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言葉って、なんて窮屈なんでしょうね。

両手で、できるだけ掬うことができる最大量を両手で。なみなみに注がれたような楽しかったことや嬉しかったことがひたひたしていて、そういった明日を頑張れるような思い出は表面張力ですれすれを漂っているようなものだと思っています。今日と明日の境目もきっと、この表面張力みたいにゆらゆらと張り付いていて、今日にいったり、明日にいったり行き来しているんじゃないのかな。まだ今日が、昨日だってこともあるような気がして。
すきって、どういう気持ちのことを言うんだろって、今更になって不思議になりました。すきってなんなのかを明らかにしたい訳じゃないけども、自分がいったい何をもってすきって感情を、脳に、身体に、心臓に保存していたのかがさっぱりわからなくなってしまいました。でもだからって、わからないからって怖くなるようなものじゃなくて、ほら、財布や鍵をなくしたら怖くて不安になるでしょう。そんなぐらぐらした感情ではなくて、ただただぼんやりと煙の行き先をたどるようなふわふわした気持ちになっています。けむりはどんどん空にのぼって、どんどん形がぼやけていって、それぞれが、それぞれの方向に散り散りになって最後には見えなくなってしまうんだろうな。それって少し、かわいそう。
かわいそうって言葉の、そばに立っていない感じが気に食わないことがあります。上から見下ろして、かわいそうって垂れ流してるような感じや他人事のような距離感をがあって、あまり好きではありません。だからと言って、代わりの言葉があるのかと言えばないような気もして、ああ、言葉ってなんて窮屈なんでしょうね。早く言葉の先にいきたいね。

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