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観劇と私、私と演劇

初めて観劇へ行ったのは2019年3月4日。
シアタークリエの朗読劇。
声優に憧れてその道を目指していた私は、所謂大御所と呼ばれるレジェンドたちの公演があることを知ってチケットを取った。
演技の勉強をしていたのに観劇経験がほとんどなかったなんて、今考えても驚きだ。

知り合いの出演する舞台は誘いがあって観に行ったこともあるが、自分で積極的に観劇のために行動するのは初めてだった。プロの役者の舞台なんて自分が行けるような場所ではないと別世界のように感じていたのだ。


twitterで公演情報を知った時にはとっくにチケットの発売は始まっていて、私が手にできたのは最後列の一席だった。全席指定で金額は同じなのだから今考えると少し損に感じる。
朗読劇がどんなものかいまいちピンと来ていなかったが、プレミア音楽朗読劇という単語と出演者のレジェンドたちを実際に見てその声を聞くことはとても特別なことに感じた。

一万円のチケット代に見合う格好をしようと、気まぐれで買ったきり着たことのないワンピースを着た。そもそもどんな格好で行けばいいのかよく分からなかったが、いつものTシャツにジーパンで行く場所ではないだろうし、レジェンドのお声を拝聴するのに相応しくない。 


慣れない乗り換えで劇場へ向かう。
初めて乗る路線もあった。出口も分からなければ、その街のことを何一つ知らない。ただ地図を頼りに、チケットがカバンにちゃんとあるか何度も確認しながら歩いた。

劇場に入る時の作法というか、どのタイミングで中に入り開演までの時間をどう過ごすか分からなかったが、なんとか周りを盗み見て、「え、私?まあ人より観劇経験はあるかな」みたいな顔をして中に入る。

客席にはいって感じたのは圧倒的に広いということだ。
座席が想像以上に多かった。舞台がすごく遠い。知り合いが出演する舞台は小さな劇場で、もっと舞台と観客の距離は近かった。近いからこそエネルギッシュで観客を含めた空間丸ごとが舞台となっていた。それなのに圧倒的に広い劇場の最後列。決して安くはない金額を払っていたのでその距離感に少しガッカリした。

舞台にはすでにセットが置いてあって効果音も流れていた。水の音だった。
とにかくもう物語の舞台はそこにあって、始まる瞬間を待ち受けていた。

開演時間になって出演者たちが舞台に揃ってからのことはあまり覚えていない。さすが声優界のレジェンド。あっという間に物語に入り込んで、終わった時には、物語が終わってしまった名残惜しさと感動で夢中で拍手した。
退場の段階になって、自分が疲れていることに気づいた。レジェンドの発する一音一音を決して聴き逃すまい、表情の一つも見逃すまいと視力と聴力に全神経を集中させていたし、そのレジェンド達のエネルギーで最後列でも圧倒的な力を感じていたのだ。

大学2年生も終わろうとしていたその時、私は高校二年生から通っていた声優養成所の4年目だった。4年目というのは養成所が設けた在籍期間の最後の一年である。その後も在籍は可能だが、私は迷っていた。大学3年生にもなればこれから勉強はもっと本格的になって就活も始まる。そろそろ選択しなければと考えていたのだ。私は決して下手くそではなかった(はすだ)。耳は良かったし内部オーディションにも数回引っかかっていた。あと一年もっと本気で取り組めばもしかしたら、それにプロになれなくても演じることが好きだから、演技の勉強ができるだけで楽しい。

しかし、ただ好きという気持ちで、週一回3時間のレッスンで満足できた私にはあの高みに行けるわけがないことも分かっていた。4年も続けていれば、自分の弱点も嫌という程自覚する。それも自覚したからといって簡単に克服できない類いのもので、更にまだ自覚していないものも山ほどあるはずだ。それに私は基本的に面倒くさがりで脆弱なメンタルの持ち主だ。演技というのはやればやるほど自分の輪郭がはっきりしてくる。突き詰めて考えていけば、私は演じるのは好きだがプロに向いていないと自覚していて、それでもなんとかプロになってやるというパワーはなかった。それでも迷っていたのは単に実力的にチャンスはありそうなのにもったいないと感じていたからだ。しかしこの初めての観劇でそんなちっぽけな悩みは吹っ飛んだ。

私はあの朗読劇でレジェンドたちの表情や発声の仕方や台本の捲り方(音がしないように捲るのは意外と難しい)、テンポコントロールや滑舌の良さといった、養成所で鍛えた耳や目でしか捉えられない部分も目の当たりにしていた。演技の経験があることでその技術がどれほど高度なものか、その演技の価値が分かった。チケット代一万円なんて安すぎる。彼らがどれだけすごい存在なのか理解できる私はすごく幸せだ。真面目に4年も通ってて本当に良かった!といつの間にかただのファンになり金銭感覚までやられていた。

自分を納得させようとか、諦める言い訳を探していたわけではない。ただ腑に落ちるように収まるべきところに収まり、私はなんの悔いもなく養成所を退所した。

今ではもう観劇は私の日常の一部になっている。
公演情報をチェックして、半年近く前からチケットを取って、相変わらず一人で劇場に向かう。開演1時間前くらいには最寄り駅に着いて軽く食事を取るというルーティンもでき、私は躊躇なく一人で牛丼屋に入れる女になった。さらに一万三千円の双眼鏡を買った。後方席でも二階席でもこれがあれば表情も衣装の刺繍もバッチリ見え、近い席からだとアイシャドウのグラデーションとアイラインの境目も見える。ヒノデ最高、ヒノデありがとう。


このコロナ禍の大変な状況で公演を迎える舞台全てに、感謝と尊敬の念を覚える。役者も観客もリスクを背負っていて、それでも演じたい観劇したいという人間だけが集まった劇場はエネルギーの密度が以前にも増して濃くなった。カーテンコールで全員が何かしらの想いを込めて手を叩いていて、舞台に立つ役者の顔つきも以前と何かが違うように感じる。

警戒を万全にしながら観劇を楽んで大切にしていきたい。財布にゆとりがある時の豪華な外食や、たまに会う友人との時間みたいに。この状況の早い収束を祈っている。


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