Grenier d’Alice
幼いころの体験や 教育者であった親との関係性などを綴っています。
子育てについて。 子育ても15年目に入り、この頃はようやく 親育てされてるってことに気づいて 過去を振り返り反省しております。 どう考えても、娘と息子の方が優秀であり 私の何が 劣るかというと、それはもう判断力とか 色々な部分が年とともに衰えているし、子ども達は私が学んだことのない様々な新しい技術を知っていて、優しさも愛情も、もう殆どのことが敵わない。 少しずつ 気づいたのです、 目の前の人に対して 「どうして●●してくれないのだろう」というのは、完全な
屋根裏部屋のアリス わたしのお仕事の1つに イベント企画のいうものがある。 6年間7年前ほど前から 単発の企画もののイベントを定期的に開催しており、主に「手仕事」に目を向けたワークショップなどを企画していた。 開催するにつれ ほどよく進化していき 奥様方が子どもを幼稚園などに預けられる時間帯に息抜きに参加できる2時間ほどの「クラフトカフェ」という名のお茶会は人気だった。 また、土日に開催する 子ども向けの手作りワークショップは大盛況。 それも 4、5年前から同じようなイベ
痛み といっても 2つあって 今、まさに 肩こりが酷くて首筋が「痛い」とか 仕事で失敗して 胸が「痛い」とか なんかそういう 痛い っていうのを 小さな時から頻繁に感じていたように思う。 私に大きな変化があるということがわかったのは10歳の頃だった。 左腕が痺れて動かない、とか 呼吸が、しにくくて苦しいとか。なんとなくそんな風に感じることはあったが、当時はそれ以上に感じる痛みがあった。 先日も書いた 兄からの受ける言葉や 振りかざされる拳 そんな日常に私の心は支配さ
屋根裏部屋のアリス Grenier de Alice デザインオフィスを始めて もうすぐ1年になります。 フリーになってから 「描く」ことが多くなりました。描くことを仕事にできるとは はじめは夢にも思わず、それこそ小さな頃 思っていた「絵描きさんになりたい」が 気がついた時に叶っていたのです。 「絵描きさん」なんて サロペットを彩んな色で汚し、大きなキャンパスに たくさんの種類の筆で描いてるような そんなのを思ってはいたが それが大きくなる課程で 難しいということが分か
わたしは 1番古い記憶の中でも 「ブス」として生きていた。 物心ついた頃には「ブス」か「ブタ」と認識していた。 わたしの兄は わたしのことをそう呼んでいた。 3メートル以内に近づくと 腐るので近づくな。 そんな風に言われていた。 兄が腐るのは 申し訳ないので、わたしは兄に近付かないように気をつけるようになっていた。 妹だと思われたくないから 学校では近づくな。 バカが移るから 喋るな。 そんな類の言葉を毎日毎日何年も何年も言い続けられた。 機嫌を損ねた時には 拳が
わたしの名前は アリス。 本名です。 先程も書いたが、母と父はヨーロッパに留学しており、イギリスとフランスの生活が短くなかった。 イギリスに4年、フランスに2年と聞いている。 アリスという名前の由来は「不思議の国のアリス」ルイスキャロルの Alice in wonderland のアリスから。 80年代に日本で人気のあった「アリス」が由来なのか?と、よく父世代の人に聞かれるが… 「??」知らない。 父に聞くと 父も知らないという。 ただ アリスという名は意外と日本でも
1982年、私はなかなか異色な両親の元へ産まれました。 当時の母は フランスのソルボンヌ大学でフランス文学を学んだ後、通訳などの仕事をし、帰国後は私の兄を出産した後 自宅で子ども向けの塾を営んでいた。 父は そんな母の世話役として フランスに同行し ジャーナリストとして 活動をし、母と帰国後は自宅で母と塾を営んでいた。 私の幼少期は、自宅に近所の小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんが わちゃわちゃと 集まり、 自宅の玄関を入ってすぐの角の部屋から英語の歌が聞こえてくるような 日
Grenier de alice 屋根裏部屋のアリスです。 私は2018年の4月にデザインオフィスを立ち上げ まぁまぁ、きままに、空想にふける日々をおくりながら2人の子どもを適当な感じに育てております。 4年と少しまえに シングルマザーになり 精神ボロボロ、泥沼の日々を乗り越えて なんとか子どもたちに不自由なく食べさせていけるまでになりました。 「note」では●デザインのこと ●シングルマザーの子育て ●哲学 ●病気のこと ●セルフポートレート などなどを綴っていこ