見出し画像

「クソくらえ、クローン病!」第29話~唐揚げを喰っていた

 何度も言うんだけどさ、俺はクローン病って腸の難病を抱えてるんだ。下痢も腹痛も結構キツいが、一番辛いのは食事制限だね。1日の脂質摂取量が30gを越えるとよくないんだ、これが一生続くんだよ。だからポテトチップスみたいなお菓子とか、マクドナルドのジャンクフードとか、こってり豚骨ラーメンとかそういう系のやつは“食べること自体は禁止されてはいないが、食べてから数時間後に下痢や腹痛が起こりトイレに駆けこむことになるかもしれないし、長期的に見ても体調が悪化することは覚悟する必要がある”って感じだ。また言うけど、これが一生なわけだな。
 何だけども、今俺はショッピングモールの外広場のベンチで、クローン病一番の大敵である油、このヌルヌルの物質でメタメタに揚げまくった鶏の肉、つまりは唐揚げってやつを、マジですげえ勢いで貪っているんだよ。こいつはマジで旨い、旨いんだよな。
 一体、どういうことなんだ?

 今日1日をちょっと振り返させてくれ。
 特に普通の1日だ。俺はまあ無職で引きこもりなんだけど、家は空気が悪くて息が詰まるから、近くのショッピングモールに逃げてって読書をしていた。まあ引きこもりあるあるだな。読んでたのは「スタンフォード式人生デザイン講座 仕事編」と「教養としてのラテン語の授業 古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流」の2冊だ。無職が何読んでんだって感じだが。
 それで夕方になって、お腹減ってきて、まあ食事制限とかあるもんで物はあんま喰うべきでないが、それでも親に隠れてこそこそコーラを飲もうかと思った。
 そしたら何故だかいつの間に、唐揚げをモリモリと喰ってたんだよなあ。
 マジでさ、ケースにこんもり入ったクソデカい唐揚げに貪りついてるんだよ、俺。本当にマジで旨くて、肉の分厚さに、油のジューシーさにと、もう口が爆発しそうなくらい旨いんだ。
 でも……いやマジで、こんなん食べちゃダメなんだよ。
 腸の難病クローン病なんだからさ。
 もうちょっとちゃんと何が起こったか、整理させてくれ。
 親に隠れてこそこそとコーラを買ったんだよ。フライドチキン用のペプシゼロね。その後にモール内をフラフラしてたら、屋台を発見したんだ。そこでは唐揚げが売られてたんだよ。塩唐揚げと醤油唐揚げの2種類があって、本当に旨そうだったんだ。
 俺は唐揚げが大好きだったんだよ。
 クローン病になる前は、母親が作った唐揚げをめっちゃ喰ってた。本当大好きだったんだ。Twitterで知り合った人もさ、俺こと済東鉄腸といえば唐揚げとかいう印象を持ってくれていた。それで、唐揚げ食い過ぎて体重は90kg台だったよ。
 でも2年前から体調が悪くなってきて、ものが喰えなくなるは冷たいもの飲むと腹痛を起こすはで散々だった。こんな状態なもんだから、どんどん衰弱していき親に担がれて病院行ったらクローン病と診断されたわけなんだ。その頃には体重が40kg減ってたよ。
 それが1年8ヶ月前だ。そっからはもう油使ったもの自体を喰わなくなり、いや喰えなくなり、結局体重も50後半から増えることがない。そういう全く以て“健康的な”食生活に追い込まれたんだけ、俺は。
 だが今、めっちゃ唐揚げを喰ってるんだよな。
 いや、待て待て、どういうことなんだ。マジで俺自身がこの状況を理解できてないんだ。ちゃんと今日の出来事を振り返らなきゃアカンよな。
 塩唐揚げと醤油唐揚げがあったのは話したな。そこには“100g480円”って書かれた紙も置いてあった。これを若い女性店員が頑張って売ってるんだよな。
 で、俺も夕飯メニューを考える主夫って感じで唐揚げを探していた。不思議だが、この時点で頭は“買う”が決定していたみたいだ。そういう思考だか感覚だかの残滓を今でも感じられるんだよ。その結果、今普通に唐揚げを喰ってるってわけだね。

 いや、真面目にその過程について思い出すべきなんだ、俺は。
 で、小さめのやつを手に取ったんだけども、何か違うなと思ってしまった。振り返れば“少なすぎだろ”とでも俺は思っていたんだろう。
 そして、かなり旨そうな、赤茶色の衣に包まれた唐揚げがこんもり入ってるケースを持って、これを買おうって決めていたんだ。とても自然な成り行きで、レジにこれを持っていって、店員さんに渡す。それから彼女が重さを量るんだ。
「1800円になりますがよろしいですか?」
 彼女がそう言ったんだが、俺はここでの動揺をまざまざと思い出せるよ。
 ???と頭がバグった感覚を、正に今、唐揚げを食っているなかでも鮮明に思い出せるんだよ。
 “100g480円”って書いてあるから、全部が480円だと思ったんだよな、おそらくだが。あんなこんもり入ってるやつが、でも480円なわけがないんだよ。とはいえそう思えるのは、この時点から見て未来にいる俺が、唐揚げを貪りながらも比較的冷静な思考を働かせることができているからだ。
 この時の俺は完全にイカれてたんだよ。
 ここで金の話をしよう。ニートなんで、俺の今の全財産18000円くらいだった。月末にはネトフリとかspotifyの金払わなくちゃいけない。今後も色々あるだろうし、この分じゃ来年1月の引き落としの際には、親に頭下げてお金をせびる必要があるだろうね。
 だから、ここで引けばよかったんだよ。
 普通に「あっ、じゃあ買うの止めます」って言えばよかった。
 だが俺は「はい、大丈夫です」とそう言っていた。
 マジで何故引かなかったのかが理解できないんだがね。
 それで、手元の現金は1400円で普通に払えなかったから、クレジットカードを機械に差してたんだよな。ここで暗証番号を打つことになるんだけども、それを間違えた。打ち直すんだけども、もう一回間違えた。
 振り返れば、ここは引き返すチャンスだったんだよ。
 だが俺は引き返さなかった。
 3回目で普通に暗証番号が通って、俺は唐揚げ屋に1800円を払っていた。
 全財産の10分の1が消えた。
 そして俺は唐揚げを手にしていたんだ。

 唐揚げ。
 あれほど食べたかった唐揚げ。
 それが俺の手元にあって、マジですげえってそう思った。
 なんだけども、俺は興奮とかは特にしていなかった。
 逆に驚くほど冷静さだったんだ。それでモールのフードコートに行ってから、唐揚げのケースをテーブルに置き、しばらく見つめてたよ。美しかった。
 だがそこで、背中から尋常じゃないレベルの汗を掻いているのに気づいたんだ。ダウンの下の服がヤバイくらい湿っていて、何で今の今まで気づかなかったのかってくらいだよ。
 何だけども、俺はダウンを脱いで、それを椅子にかけてから図書館で新しく借りてきた本を取り出した。2冊借りてたんだけども、取り出したのはクソぶっとい「キケロー選集13」の方……じゃなくて、ダニエル・ピンクの「人を動かす、新たな3原則 売らないセールスで、誰もが成功する!」だったよ。また無職が何で読んでんだって本だね。
 でも本を読むその前に、目の前にはあれほど食べたかった唐揚げがあったので食べたんだよな。輪ゴムで閉じられたケースを俺は何故か開かず、代わりに半開きになった蓋の隙間から唐揚げを摘まみ、無理やり唐揚げを取りだした。そうすると唐揚げがでかすぎてケースが裂けるんだけども、気にしないで唐揚げを喰らったね。
 旨い、旨すぎる。
 いや本当に、この瞬間、たぶん1年9ヶ月ぶりに唐揚げを食べた。
 本当に唐揚げが大好きだったんだよ、俺は。
 2年前は、唐揚げ食い過ぎて90kgもある図体だけはクソデカイ馬鹿野郎だった。でも今は50kg後半、先にウンコが刺さった木の棒みたいな感じだ。数年ぶりに会った友人に「めっちゃ痩せたね」と言われるのもさもありなん。
 そんな俺が1年9ヶ月ぶりに唐揚げを食べて、本当に美味しかったんだ。
 でも途中で、モールのフードコートで唐揚げ貪ってるとか見られたらヤバすぎだろって急に思った。他の気にすることあるだろ?って感じだが、俺はモールの外に出ていって、外の広場の暗い場所にあるベンチに座った。
 そこで唐揚げをまた貪りだすんだよ。
 旨かったね、本当。
 だがあれほど食べたかった唐揚げを食べているのに、俺は冷静だった。完全に冷静だったよ。俺はこんなことを考えていた。
 100g480円となると、1800円は400gくらいと換算されるだろう、もしこれを全部食べたとしたら、腸がヤバイことになるな、実際今年、スパイダーマン観に行った時にTOHOシネマズのシネマイクポップコーン喰ったら、夜にえげつないくらい激しい腹痛に襲われて、地獄の1夜を過ごしたしね、というか家の近くのスーパーにこれくらいいっぱいぶちこんである唐揚げ売ってて、しかも500円じゃなかったか?……云々。こんなことを平然と思考しているんだよ。
 だが、それなのに俺は当然のように唐揚げを食っていて、止めることができなかったんだ。今も止めることができてない。喰いながら、この文章を書いてるんだ。

 こういう状況だと、心と体は1つじゃなくて2つに分かれているように感じられるよな。明らかにヤバイことやらかしてる体をさ、心は他者として観察しているってそういう感じなんだ。もう完全に別個の存在となっていると感じる。このまま喰い続けたとするなら、スパイダーマン激痛事件の再来だとは頭の片隅で思いながら、普通に食べ続けてるんだよ。唐揚げ、マジでめっちゃ夜の外気に晒されてるから、今や氷のような冷たさになってるけど、それもまた美味しいって思えるんだよな。そして心は“ふむふむ、体はそのようにこの唐揚げを味わっているのだな。実に興味深い”って感じで観察を続けてるんだ。
 今、俺の心には驚くほどの凪が広がっている。
 ある種、悟りと表現してもいいやつかもしれないが、どっちかというと諦めって言葉の方が近い気がするな。一生治ることのない難病を患うって経験は、俺を別の人間に変えてしまったってことなんだろうかね。
 今こうして振り返るんなら、何というか“一線を越えた”って表現がかなりしっくりくるんだ。何がどうとかは言えないんだが、俺は一線を越えたんだと。
 そしてこれに関して俺は今、唐揚げを食べながら“しょうがない”と思っている。
 ただ、しょうがないと。

 何にしろ、唐揚げは旨い。
 マジで旨い。
 だが……何故だか、他に言葉が思いつかないんだ。
 昔の自分ならもっと唐揚げの旨さについて馬鹿みたいに話せたはずなんだが。
 これが“大人になる”ってことなのか。
 これが“老いる”ってことなのか?
 誰か教えてくれよ、なあ。

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。