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Mircea Ivănescuの詩たち~短いお話

今、自分はルーマニアで小説家として活動しているのだが、そんな中で新しい夢が生まれた。それがルーマニアで詩人になることだ。言葉を使って芸術を作る者なら、誰もが詩人になることを夢見るはずだ。という訳で行動あるのみと、私はルーマニアの天才詩人に弟子入りを申し入れた。彼の名前はToni Chira(トニ・キラ)、弱冠17歳の高校生でありながら、既に幾つもの文芸誌に詩を掲載している正に新鋭だ。まだ自身の詩集も出版してないほどの新鋭だが、私としては既に詩人として名声を確立しているClaudiu Komantin(クラウディユ・コマンティン)やDosa Andrei(ドーサ・アンドレイ)、Anastasia Gavrilovici(アナスタシア・ガヴリロヴィチ)といった人物よりも、Chiraさんに学びたいと思った。それは上記の3人がルーマニア語詩の現在であり歴史として刻まれようとしている一方で、Chiraさんはルーマニア語詩の未だ未分化な未来だからである。私はこれから輝ける現在になるだろう、しかしそこには数百数千の可能性が開けている存在にこそルーマニア語詩を学びたかった訳だ。

という訳で彼に弟子入りを志願したが、彼は私の無茶な頼みを快く受け入れてくれた。そしてルーマニア語詩を学ぶにあたって読むべき詩人たちの作品を提示してくれた。まず最初に名が挙がった存在がMircea Ivănescu(ミルチャ・イヴァネスク)である。1931年生まれの彼はルーマニアのポストモダン詩を代表する詩人であり、更にはジェームズ・ジョイスやF・スコット・フィッツジェラルド、フランツ・カフカといった英語・ドイツ語文学をルーマニア語に翻訳してきた文学的大家でもある。Chiraさんが言うには今のルーマニア語詩人で彼の影響を受けていない人物はいないそうである。私は彼の作品を読み、ぜひ彼の詩を日本の皆さんにも読んでほしくなった。そしてここに拙い訳だが、Ivănescuの詩のルーマニア語からの翻訳をお届けしたい。前説だけで長くなったので解説は割愛するが、彼の詩のキーワードは"メランコリー"である。秋の夜長にピッタリの作品ばかりだ。それでは、どうぞ。

傾いていく年

秋には、もちろん、色とりどりの想像力に浸ることができる
けばけばしい雑誌から飛び出したような (煙草の広告、その中を行くのは楽しいだろう、巨大な木々の下
頭上で瞬く小さな炎たちとともに、不自然ではあるけども、草のなかを
進んでいく、丸い蛇のように、猫のように)
秋は庭の端っこから出ていくのにうってつけだし、
太陽の熱い壁を這うトカゲたちを見張るのにもいい
それに頭を少し背中の方へひっくり返してみるなら感じるのは
この1年がどういう風に冬へ傾いていくか
そして寒さを感じる。その後、腕に抱いた猫と一緒に、
窓の端に座って見るのは
庭から色が失われてゆく姿

短いお話

昔、ある町で夜を過ごした
太陽の光はより白く、通りの
終りに広がる海はよく開けていた、私は誰かに
見られているように思っていた、後々、
人生の、だいぶ後、それは愛した者たちの青い瞳だと知った
私はとても小さかった (ある時、
この町へ遊びにきた、数日のことだ、
母はここに私を連れてこれたことを喜んでいた――
あの海に) 着いてすぐ、私は病気になってしまった――
(私は、子供の頃、よく熱にかかっていた)
夜、母はホテルの部屋に私と一緒にいてくれた――
下の階にあるレストランからお茶を持ってきてくれた
それは銀のコップのなかに注がれていた
次の日――私と母――町を出なければならなかった。
午後、私は家にいた。
もう病気ではなかった。この日について
思い出すのは、大きなリビングにある、絨毯に寝転がり、
"Arcașul Verde"("緑色の矢")を読んだことだ。弟に嫉妬したのは
――彼はずっと家にいたんだった――前の日にそれを読んでいたからだ。
今、ほとんど人生そのものが通り過ぎた後、私はこの町に帰ってきた――
下の階のあのレストランにいて――前は結局入らなかった――
アルコールをしこたま呑んでいる。人生は、本当に、とうに過ぎてしまった。
母は海に行ける機会をとても喜んでいた、
その前にも行ったことがあった、弟と私が生まれる前に死んだ姉が小さかった頃に。
母はその後にももう1度海に行った――
弟が自殺した後のことだ――私が彼女の
喜びを台無しにしてしまった5年後、あの突然の病気のせいで。
さらにもう1度行きたかったと、たくさんの年が経った後のこと、
彼女が死ぬ冬のその前の夏のこと。医者たちはそれを許さなかった。
今、私はここにいる。机に向かって書き続けている。
今は夜だ。今日は晴れていた、太陽の白い光、
そして海、青い海、レストランの角にある道のその終り

詩とは何かであるのか?

詩で何かを物語る必要はない――私が読んだのは
若い詩人に対する助言だ――なら語らないでおこう
朝まだき、彼女が起きて、
ベッドの端に座り、
顔を手で覆いながら呼吸が落ち着くのを待つ、様について――
彼女の疲れ果てた顔については何も言わないでおこう
そのしえで鏡の前で、彼女は肩を曲げて、髪に
ゆっくりと櫛を通していた。恐怖については語らないでおこう
彼女の遠ざかった顔、私から背けられた顔の横にあるそれについては。
詩とともには歩かないでおこう、手のなかの鏡には
夜明け前の朝に満ちる茶色い光が
映っている。詩は表現である必要がない、
イメージの連なりだ――書いたとおりの。詩は
内なる語りなのだ。つまり
私の語る全ては溺れゆく、空気を求める
彼女の顔についてなのか? そしてそれこそが私の語り方なのだ
彼女の顔について、困惑に満ちた自責の念の、
ただ私の思索の、彼女のイメージの複層を通じたゆっくりとした動きについて――それが顔、イメージなのだ――
そして彼女――それが彼女の本当の魂なのか?

内向きの雰囲気にあるモペテ

モペテは心地よい夜に腰を据えていた
炎の傍らで、新聞を読む――
後ろには、橋へと続く階段があった
炎の輝きがシラサギの羽に刺さる時震えるのだ
一歩動くごとに、モペテから音が響く
そしてページを捲り自分の書いたものを追っていく
あることと他のあることについて。時々は袖口に考えを
書く、後でそれを写すために
眠りにつく時、ベッドのうえの
壁に、衣装箪笥のうえに、ボトルとコップが幾つかある
(彼はあの夜に大きな友人を
待っていた――だが来なかった)、全ての
風景には恩寵の静寂が宿っていた
ボトルの水は静かに叩くごとに冷えていった

誤った儚さ

私たちの周りから全てが消えていく――感情、
存在――そして私たち、狭間にいる者たち、私たちは忘れている
どう死ぬかを、空白の数々を残し、空白はどのように満たすのか
数本のボトルのように、この空白たちの形を成した思い出とともに
つまりはこの失われた感情たちの形 (もしくはこの存在群
死んでしまったそれらの姿――何故ならその存在は
思い出から二度とは作られない――) 狭間にいる
私たちはいつも孤独だった
だが思い出は――それは新しいもののように思える――私たちに
どれだけ孤独かを、更に深く孤独であり続けるかを忘れさせる

私たちの何人か、互いに背を
向ける時、そこには海に面した
テラスがある――夜に外へ出ることは滅多にない
壁板を這っていき海藻を残していく海を
見にいこう――そして私たちは蟹の群れに出会うことを
知っている――(その何匹かが私たちの足を
掴む――しかしそれはつまり
反転した噛みつきなのだ――何もあなたを苛みはしない、そしてゆっくりと
毒していく類のものでもない――2本の濡れたリボンに
掴まれているだけなのだ、指のように――それで十分だ)
私たちは足を海へ突き出す。ベランダで
時間を過ごす、夜の海を眺める。
その時私たちは月光と波の反映が
交錯する演壇へと出ていく
ほとんどは、部屋に留まっている
そしてこれを孤独と呼ぶのだ

そう、孤独など存在しない

そう、孤独など存在しない
私たちはいつも複数でありうる――私たち自身、
どこに行くにも――そしてどんなに他人に
懇願しようとも彼らは孤独を憐れんでいる
私たちのなかに潜み隠れる、此方か、
それとも彼方か
もちろん、特に、私たちが隣人たちに
願う時とそして彼らの顔に告白する時
丸まった文字の書かれた公文書の上にあるように
私たちが孤独と呼ぶものが存在している――特に
私たちは孤独ではないのだ
(というより
私たちが私たちでしかない時、その中の1人が、そこで
振り返り、不誠実である故か、それとも嫉妬深い故か、背中を他の者たちに向ける――というより
私たちはより孤独に近いのだ――もし
私たちの中の、他者たちは――外から――怒りに浮かぶ
微笑みとともに彼を追うことはない――もしくは無視することもない
シンプルに言えばだが。そしてこれがもっと悪い――
だが皆が孤独である訳ではない、この時に関しては)
"そして後には大いなる雨が降る"――そして幾度も
やってくるのは濡れた葉々のなかの私たちの顔
そして揺れる――まるで鏡の中で夢を見るように

気だるい午後のこと

結局、そこまでダラけていないなら
外に出られるだろう――密やかに
この部屋から病に罹った天気とともに、炎の
サインと窓枠の雪、そして

ポケットに両手を突っこんで家のなかを行こう
――退屈してるんだ、つまりは――全く未知の他人に
燃える家具の間に見える黄昏、伸びゆく葬列の
影を残すカーテン

吹雪の真っただ中で吹き荒ぶ沈黙、
その小さな、終りのない瞳にぶつかり、
窓へ、私たちを探している (私はあなたを見つける、そしてあなたは

その存在全てを投げ出す、私たちが語ったことには、海とともに
想像のジェスチャーの不誠実さ)
私たちはただダラダラしているだけなのだ――この部屋で燻る孤独とともにいる

耳が聞こえなくなるほどの誕生

恐怖――それを語る言葉は幾つもある
だが実際、恐怖? どう感じる、例えば、角を
通る時――そして突然にそれに出会う、髪に絡まった濃密な霧とともに
そして手、彼の腕をしっかりと握るのか? そして、突然、
やつだ――あなたの近くを通り、そっと頭に
折り重なる――あなたの周りで夜は突然高くなる
そして叫ぶ――頭が震えるのを感じる、痙攣する腕のなかで
耳の上で、あなたは逃げる――できるだけ遠くへ (実際には、
ゆっくりと進む、まるで本当のことなど
何もないという風に、やつらは通り過ぎた、道はもはや重要性を失った
だがやつらの道であり続ける) もう存在しない
瞬間瞬間の連なりは――かつてはあった――過ぎ去った――
恐怖、突然に、悍ましいほどの他者性、掴むのは
腕、彼の隣で、震えるのは
あなたから響く悲鳴――何も聞いていない――それが通り過ぎるのを目撃する時
そして霧、汚れた道の上で――

嘘?

何て美しいのだろう死とは――だろう?――喉のなかのコブ
そして拡大する瞳――突然あなたを見る、
そして根元で痙攣する腕、胸の痛みが
ジリジリと広がる――そこでは、鼓動が醜く響く

頸動脈――あなたはもう無理だと、もう呼吸することは
無理だと分かる――そのままで――そしてあなたはここに、こちら側に――何も感じることは
ない――(あなたが求めるのは、困惑の中で、逃げること、向こう側にいること、
そして何て美しいのだろう死とは――それは歯を持った太陽

鉛色になる顔の上をとてもゆっくりと――そして何て
美しいのだろう死とは――(これは、例えば、瞬
間、過ぎ去る、過ぎ去らない、――さらに遅く

あなたは言葉を作りだす――これらから――) そして何て美しいのだろう
死とは――ただ、聖なる父よ――私は知っている――
地獄は愛することの不能性――感じることの――そして何て美しいのだろう――

原文:http://revista-euphorion.ro/mircea-ivanescu-selectie-de-poeme/

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。