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コロナウイルス連作短編その209「日本人男性、白人男性、日本人女性」

 塩野義星野が道を歩いていると,向こう側からカップルがやってくるのに気づいた.そしてそのカップルが白人男性と日本人女性で構成されていることを一瞬にして認識せざるを得ない.
 顔半分がマスクに覆われているとしても分かるのだ.あの彫りの深さや頑健な額,そして風になびく金色の髪は白人男性のそれであり,あの人口甘味料だけでできたような甘ったるい目許は日本人女性のそれだと.
 その組合せが網膜に映っているだけでも虫酸が走る.肩甲骨の辺りからぬるく粘り気のある汗が滲みでてきて,シャツを濡らすのを感じた.
 とうとう世界的にコロナ収束宣言が成され,観光客が日本にも雪崩れ込んできた.そのなかでこの不愉快な構成のカップルをよく目にするようになった.
 星野は白人男性の横に立つ日本人女性を睨めつける.彼は日々,こういった日本人女性が日本を馬鹿にし,日本人男性を軽蔑する様を見ていた.そしてそのたびに彼女たちは“海外では……”もしくは“外国の人は……”という言葉によって,自身の軽蔑心を正当化しようとして憚らない.
 だが得てしてその“海外”とは“欧米圏”であり,その“外国の人”とは“白人”であるという欺瞞が潜んでいると星野は固く信じていた.彼女たちは白人と彼らが作った文化,そして美こそが世界における至上の存在であると崇拝しているのだ.日本人女性とは正に彼ら白人に従う奴隷なのである.
 “奴隷”という言葉について最近学んだことが星野にはあった.近年,アメリカでは“奴隷”といった言葉は使われなくなっている.これではその言葉で指示される対象が本質的に“奴隷”であったと見なされる危惧があるというのだ.そこで使われている言葉が“奴隷化された○○”という言葉だ.この言葉遣いにおいては,奴隷とされたのはある一時期ということが含意され,奴隷という言葉とその対象が切り離される.こちらの方がより適切であると“奴隷化された”が使われていると.
 これを知った時星野は自分も,例えば“黒人奴隷”ではなく“奴隷化された黒人”といった言葉を使っていこうとそう思った.
 そこでふと,ならば“奴隷”という言葉でこそ言い表すべき存在は誰か?ということを考えてしまう.それはおそらく強制的でなく,他ならぬ自らの意思でこそある対象におもねり隷従する者たちのことを指すのだろう.
 そういった存在が今正に目の前にいるあの日本人女性なのだと,星野は思っている.そして彼女のような奴隷は現実世界でもネット世界でも加速度的に増殖を始めていると危機感を抱かざるを得ない.
 それは日本だけではないだろう.
 中国,台湾,韓国……東アジアという地域に精神の発達など期待できない.

 フロリン・ツェレは前を歩いている男の薄汚い視線を浴びながら,清々しい気分を覚えていた.このような優越感を味わえたことはついぞなかったからだ.
 イギリスに住んでいた頃,女性たちから一心に好意を向けられることはほとんどなかった.身形自体は平均的なものだと彼自身思っていたが,問題は声だった.どの人種に関わらず女性たちは,彼が喋るたびに侮蔑の視線を向けてきた.鼓膜を引っ張りあげるような甲高い声,それに加えて英語にこびりついたルーマニア語の鈍重な訛り.それらは彼女たちを常に不愉快にさせるようだった.
「何か,猫の糞みたいね」
 そして1度だけデートしたウジェマという黒人女性からそう言われたのを今でもハッキリと覚えている.場所はエンバンクメントのSimmons Templeというパブだった.死ぬほど五月蝿い場所で,入口でセキュリティに止められている客の唸り声が酷かったことすら覚えている.
 同じルーマニア人の女性たちはフロリンを一顧だにしなかった.彼女たちが同じ白人と付き合うならまだいい.黒人ももはや仕様がないと思える.だがトルコ人やパキスタン人と付き合うのは許しがたい.あのミミズまみれの土のような肌をした人間のペニスが彼女たちの中に入るのを考えるだけで狂いそうになった.
 だがフロリンにできることと言えば,部屋に込もって数人の白人男性から精子をかけられるサングラスをかけた白人女性のポルノ動画を観て,自分を慰めることだけだった.
 だがある日,通りで旅行中らしきアジア人女性に助けを求められた.Daunt Booksという本屋への行き方を聞かれ,近いのでそのまま案内すると黄色い声で感謝され悪くない気分になった.成り行きで一緒になかに入り,文学について話した.Bernardine Evaristoというゴリラのような顔をした黒人女性作家の書いた“Girl, Woman, Other”がブッカー賞を獲った頃で,話題にもこの本が出たが好きなフリをして話した.
 その日から何度か時間を過ごし,これに関しても成り行きでセックスまですることになった.少ないセックス経験においてもアジア人女性との経験は初めてだったが,喘ぎ声がとにかく高音でどこか親近感を覚えた.これがイギリスの白人フェミニストに“日本の女性があんなにも声を高くして喋るのは女性が抑圧されている証!”と言わしめる声かと思うと苦笑しながら,同情もした.
 彼女とはそれだけの関係だったが,数日後,トッテナム・コート・ロード駅近くのパブで2人の東アジア人女性を見掛けた.浮き足たった雰囲気から旅行客というのは分かった.話しかけ,そのうちの1人,長い黒髪を持っていた女性の方とセックスをした.
 その後も,コロナ禍に突入するまでにあまりに容易く幾人もの東アジア人女性とセックスをこなすことができることに,フロリン自身驚いた.その経験のなかで彼が学んだのは,水で薄めたクリームのような,どこかぼんやりしたメイクの東アジア人女性に声をかければ大抵ことが上手く運び,彼女らがほぼ間違いなく日本人女性ということだった.
 彼女らが特に気に入るフロリンの行動が1つあった.
「ワタシハふろりんトイウモノデゴザイマス」
 そう覚えたばかりの日本語を,それ相応の片言さで彼女たちに言うと,大きく目を見開いたあとにゆっくりと目を細めてくれるのだ.
「カワイイね」
 そう日本語で返事してくれる女性すらいた.ルーマニアの訛りがこびりついた英語訛りの日本語は,彼女たちにとっては猫の糞どころか,猫の愛らしい鳴き声にすら聞こえるらしい.
 そしてそれは今隣にいる日本人女性もそうらしかった.
 フロリンはもう一度あの日本人男性を見る.彼はマスクをしていなかった.
 イギリスの人間は白人も黒人もアジア人もアラブ人も誰も彼もマスクをしなくなった.自分以外の人間は苦しみ,時には死んでも構わないという姿勢の人間が多すぎる.日本とは真逆だ.そういう意味でもここにいると安堵することができたが,やはりこちらにもイギリスと同じ類いの間抜けはいるのだ.
 あの日本人男性に,あの惨めな視線をこちらへ向けてくる日本人男性に,自分が日本人女性に“カワイイ”と思われる様を,フロリンは見せつけてやりたい.
「ネエ,ツギ,ドコイクマスカ……」
 こうした意図的な片言発声の後,彼女の名前を言おうとするのだがそれが出てこない.忘れてしまっているようだった.確か“チョウコ”だったか“キョウコ”だったかという気がする.自己紹介の際に自分の名前は“butterfly”の意味だと言っていたことは覚えているが,そもそも“butterfly”を日本語で何と言うかを忘れていた.
 だが結局,どちらでもいいのだ.ルーマニア訛りを効かせて片言で発音すれば,どうせ日本人女性は間違いに気づかないのだから.

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。