現状維持バイアス
こんばんは、川西長人です。
浅草の安宿に籠って小説を書いています。
浅草はいいですね。
あちこちに巨大資本の影こそ見えど、それでも尚随所にかつての日本の面影や息遣いが感じられて……。
人と同様に街も変わりゆくものとは知れど、やはり美しいと思う景観が失われていくのは寂しいものですから。
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新人賞に応募するべく、友人と共作で小説を書いています。具体的に言ってしまえば、ライトノベルです。
以前にnoteで言及した「アンドロイドにも魂は宿るか」という話は一旦後回しにし、今は「変化(刹那)と非変化(永遠)」について、書いています。
応募する小説賞が中高生向けのレーベルということで、今回はアンドロイドの話ではなく、もう少し動きのある作品を仕上げて応募しようということになったのでした。
作中では「始祖民族たるアダムとイブは『変化(刹那)の実』を食べたことによってエデンの園を追われ、その末裔たる人類には皆変わっていく力が受け継がれている」ということになっています。
そう、それは私が書きたい主題でもあります。
人はみな自分の意思で、環境も、自分自身も、前向きに変化させていくことができる。
ともすれば人はそれを「綺麗事」「恵まれているからこそ言えること」と笑うかもしれません。
ですが、少なくとも私は「現状を変えようという意思こそが、前向きな変化をもたらす」
そう考えています。
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小説内で私が定めた設定とは矛盾しますが、ネットで調べたところによると、人間には少なからず「現状維持バイアス」というものがあるそうです。
それはかつて未開の地が危険だった、狩猟時代からの記憶なんだとか。
人の元来、変化を嫌う心理傾向を持っている。
そう言われてみれば、確かにそうなのかもしれません。
かくいう私自身、ある側面においてはそういう性質を持ち合わせているのかもしれません。
ある人は「変化こそが唯一の永遠である」などと言ったそうですが、仮にこの世の理が左様であるとするなら、そこで必要なのは「自身がどうありたいか、常に正直であること」なのかもしれません。
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