コーヒーメーカーにも魂は宿るか

こんばんは、川西長人です。
コーヒーを飲みすぎて、幾分具合が悪うござんす。

夜も遅いので、今夜は短めに。

今日火曜日は哲学のセミナーです。
今日はバガヴァッド・ギーダーが内包する考え方について、その理解を深めました。

最近の授業では、肉体・活力・感情・精神・直観・意思について、その関係について考えさせられます。

今日の授業は古代インドの考えということもあって、輪廻転生などについても学びましたが、個人的には疑問に感じる部分も多く、これから時間をかけて反芻していこうと思います。


さて、まだ声高に語れるほどの進捗状況ではないのですが、友人と小説を書くことになりました。

主題になりそうなものとしては、「魂の所在はどこか」というものです。

私は精神や意思というのは肉体から切り離されて独立して存在するものとは考えていないので、死後にも人の魂が残るということはあまりイメージできません。

また人間にのみ、もしくは生命体にのみ魂があるというのも、些か人間本意な考えな気がして、私の考えとは少しズレを感じます。

そんな中で、非生命体にも魂が宿るかどうかを論じるということに、少しの愉しみも覚えています。

私は言い切り型で、結論めいたこと述べるのが苦手です。
人一人が持ち得る価値観など、その人の経験に基づき導かれた極めて狭量なものであって、考えは日々アップデートされていくべきだと考えているからです。

そう。今ある自分なりの答えみたいなものは、全て暫定的なもの。
だからより深い“真実”が知りたくなる。

今は哲学史を学び、自問自答し、その上で小説執筆するというアプローチをもってさまざまな題目に考えを巡らせることが、楽しくて仕方がありません。


果たして私の“処女作”が日の目を見る日は来るのでしょうか。
……結末や如何に。

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