20秒と言う永遠

コーヒーは私の体にあまり合わないと感じている。
味の良し悪しも、正直さしてわからない。

けれど一方で、ドリップが終わるまで間に焙煎されたコーヒー豆から立ちのぼる香りが空間を満たすこと、それがたまらなく好きで、時折好んで飲む。

元日の今日も何度か淹れては、その香りに満足し、そして飲んだ。

……具体的にそういった描写があったのか、私が映像を見て勝手に解釈しただけなのかは忘れてしまったのだが、
ワトソンが部屋に入ると、薄暗い自室の中ホームズがパイプをふかしており紫煙が充満しているのだが、それはあたかも脳内で巡らされる思考のそのものを可視化したようであり、

ドリップコーヒーを蒸らしている間、立ちのぼる香りの中であれこれと思考が働く中で、今日は何故だかその場景が思い出された。

◆ ◆ ◆

火の鳥を読み返した。

人生において影響を受けた作品は多々あれど、こと死生観に関しては、火の鳥ほど影響を受けた作品はない。

生命は懸命に生きていこうとすること、そのこと自体にその美しさと崇高さがあり、それは人間も動植物も同じであるのかもしれない。
私の中にはそのような考えがある。

もちろんそれが全てではないし、一方で人間のみが持ちうる“ヒューマニズム”のようなものにも一定の理解はあるが、私の考え方の根底には「生命自体への礼讃」のようなものがある。

コーヒーが蒸らされるのを待つ間、火の鳥の中に出てくる「生命を無駄遣いしない」ということは、果たして如何様なものか考えていた。

果たして本当に、生きていくことそれそのものが美しいのだろうか。
“懸命に生きる”とは、一体どういうことだろうか。

様々な考えや思いが胸に去来しては霧散し、そうしてはまた新たな考えが浮揚する。

当然、束の間の逡巡ごときで、答えなど得ようもない。永遠とも思える20秒の後、私は考えることをやめ、コーヒーカップに口付けた。

◆ ◆ ◆

ここまで書いた後2日の日が経ってしまったのですが、そういえばnoteに綴る際は、敬体を使っていましたね。

何も意識せず、今回は常体で書いておりました。
(普段は常体で文章を書いているので)

特に書き直す必要性も感じていないので上の文はそのままとしますが、今後はまた敬体で書いて行こうと思います。


……さて。
noteを書き始めてから2日も経ってしまい、正直前回の話の落とし所をどこに据えるつもりであったのか
正直忘れてしまいました。

ですので一度話を変えまして、一年の抱負などについて語ることとします。

哲学を学ぶことから派生して、今の私は「付随するさまざまなことを学びたい」と考えています。

西洋史、東洋史、日本史
仏教をはじめとする各宗教について
基礎心理学、臨床心理学
美術史、音楽史
ブラックミュージック以降のダンスミュージックの派生と各ジャンルについて
日本におけるサブカルチャー全般について

そんなようなことに、興味関心があります。

一方で、コロナ禍以降不安定な店舗経営についてともっと注力していきたいし、小説の執筆も疎かにしたくないし、多くの人と会うことも変わらず大切にしていきたいと思っています。

ですので今年の目標は

・誠意を持って人にあたる
・学問を学ぶことを通じて多くのことに理解を深める
・物事の取捨選択、優先順位決めを丁寧に行う

この3つにしたいと思います。

noteも引き続き書いていければいいなと思っています。

お付き合いいただければ、私は幸せ。

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