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LIBETARIAって店と店主のフジヒサ。

私、店主のフジヒサですが、幼少期からバイクに憧れていた普通の小僧でした。
「バイク好き・クルマ好き」その始まりは幼少期に父が乗っていたワーゲンビートルTYPY1やゴルフⅡなどが乗り物好きの根元にあるのかも知れない。
(ゴルフⅡは後に私のファーストマイカーとなります。もちろんMT車。)
スーパーカー世代よりはかなり後の世代ですが3歳年上の兄がいる事もあり、青年期も年上の先輩達と過ごす事を好むマセガキだったので同世代よりもその辺に対する目覚めは少し早かったです。

母がクルマの免許を取り、買ってきたクルマはサーブの900。
うーん。何だかココに私のルーツを感じ無いこともないな。母さん、父さん、素敵なDNAをありがとう。

さて、そんなフジヒサ少年。学生時代はスポーツのスパルタ校にて恐怖政治と出会います。中学時代、恩師との出会いで「やれば出来る!」大抵の事は根性で乗り切れる事を教えて貰いました。
ビンタやグーパンは当たり前。張り手食らっても、「はいっ!」「ありがとうございますっ!」の軍隊仕様で鉄人ストロング系の人格が完成します。
黒いモノも白いと言われれば白いのです。
そのおかげで県内大会、関東大会を制し、関東レベルだった我が部を創立始めての全国大会進出へ導くのでした。
成功体験を経験した私はやれば出来る!と言う自信を手に入れました。
自信と共に、苦労が報われる快感を知ってしまったので、苦労する事への抵抗は無くなりました。全てはパンチパーマのヤクザ顧問のおかげです。本当にありがとう御座いました。
※2020年に席を設けて貰い、学生時代ぶりにお会い致しました。居酒屋での再会で、見た目確かにそりゃ年をとってはいたがヤクザ感は健在でこんな時代にも関わらず、教え子をやはりぶっ飛ばすらしいです(笑)
しかも今の教え子は、我々直接ぶちのめされた本人の子供が多いんだってさ。
私なんて、全然ですが、教え子にはナショナルチームに選出された選手もいるので
その競技への情熱は私などでは計り知れないのでしょう。今になって考えると、私が初めて出会った本当のプロフェッショナルだった様に思います。

学生時代に話を戻します。
やっぱりさ、その頃のいわゆる「お年頃」になりますと、オートバイに興味を示すんですね。時はチーマーやギャングブーム。女の子はコギャルだヤマンバギャルだで厚底ブーツだアムラーだ、女子高生バブルでルーズソックスにミニスカート。
あまりお行儀の良いエリアでもありませんでしたし、大宮駅西口にはアルシェビルが出来たりしてギャルは増えまくる一方です。大変です。こちとら軍隊仕様で抑圧の限りを尽くしてます。
南銀座通りで遊び歩く友人達が増えて来ました。校庭の隅で泥団子を黒光りさせたりドッチボールブームの頃とは比べ物になんないほど、刺激的!!
(当然ミニ四駆も通りましたよ。)
好奇心の対象がドンドン増える。フジヒサ少年の抑圧生活に限界が訪れます。
だって悪友連中が尾崎豊の歌詞そのままに、鍵の変わりにハサミで回したバイクで走りだすんですよ。
もう限界。コレは無理。悪友と共に、15の夜。
ちなみに、自転車の乗り始めは、まぁまぁ遅かった記憶があります。
でも、まぁ、軍隊仕様で毎日特殊な訓練を積んでますから、幼少期になかった運動能力が備わっていたんでしょうね。
もうね、普通に乗れちゃったんですよ。それはそれは怖かったですが夜中に家を抜け出してバイクにのめり込んでしまいました。

強烈なバイクのスリルとスピード感、自転車の頃よりも格段に広くなる行動範囲。もうその魅力に取り憑かれたまんま、もう42歳。

今から20数年前の90年代終わり頃から00年代中頃にストリートバイクブームみたいのが来てドップリ。
SRを数台ゴテゴテにカスタムしてみたり、エンジンをバラしてみたり。
ドラマ『若者の全て』を見て整備工場に憧れて整備士学校へ進学していたりもしますから、好きなんですね。
クルマも好きでしたが、よりバイクに強く心惹かれていました。
たまたま働く事になった仕事が某業者向けオークション場の検査員だった事もあり、バイクバイク日々バイク漬けの20代を過ごしました。あの頃の経験も今となっては大切な財産です。
あの頃の俺、ありがとう。

そんな感じでバイクとはず〜っと一緒だった私。自然とバイク屋風な事を始めてみます。だってバイクが好きなんだもん。買っては乗って、壊しては直して、ダサいのはカッコ良くカスタムして、をひたすら永遠に繰り返すんです。みんなも何となく似たようなモンでしょ?

シングル、マルチ、レーザーレプリカ、旧車、オフ車、ツースト、フォースト、もう何にでも手を出しました。
その検査員の仕事で1番を目指していましたから。バイク全般大好きだし。
全然苦じゃない、自分にとっての天職だと感じてました。基本、ポジティブ思考なので大体の事は良い方向に考えるタイプです。
で、そんな感じでアレコレ乗ってみて、やっぱりストリート系のバイクが好きなんだってなったんですよ。ま、当時流行っていたしね。
ライコランドとかに通ってさ。楽しかったなぁ。

その延長で、XS650を買った時があったんです。バイクを触る楽しさに取り憑かれてしまった人間の通常進化と言えば、その先に『レース活動』があるんですねぇ。
タイムトンネルなどのレースの存在は知っていましたが、どれどれ?
調べてみると『LOCレジェンドオブクラシック』なるレースが行われていて、どうやらXSも参加可能との事。
はい。そうです。いつものパターンで、ココから猛スピード。アッと言う間にアレコレ改造を施し、ハリボテレーサーの完成です。

誰に教わったでも無いが、バイクを走らせる事には、割と自信のあった私は『どうせ、優勝しちゃうんだろうなぁ』『俺って最速だしっ!』みたいな感じです。アホですね。穴があったら入りたい。

成績は、、
出走したは良いがストリートと比較にならない程過酷な条件下での使用ですから、もうそれはそれは当時の未熟な自分の整備だと全てがドンドン壊れて優勝はおろか、完走さえ出来ない事が殆どでした。
しかし、やっぱりバイクで負けるなんて納得出来ないので何度も何度もリベンジするのです。俺の走りは悪くないっ!バイクをもっと速くすれば勝てるだろ?みたいに。バイク触る事に対して意地みたいになっていました。
その甲斐もあって、何とか完走は出来るようになりました。バイクもそこそこ速いマシンに仕上がって来たんですが、あれ?タイムが縮まらない。。。。

そりゃそうだ。走り方が不味いんだもん。

で、バイク屋っぽくは動いていたので、そのXSが友人に売れちゃって。
じゃぁ、次はトライアンフかな。って。
実はこのXSの少し前にユニットのTR6を手に入れた事があったんですが、そのバイクはもう本当にボロくて、あちこち壊れまくった。もちろん当時はトラの知識なんてゼロですから。ネットでも見ながらおっかなびっくり恐る恐る触っていましたよ。格好いいなぁなんて思いながら。皆さんと全然変わらない。全く一緒ですよ。
SNSなんて知らなかったし、トラ仲間も居ません。
「何だこれ、今までのバイクと全然違うじゃん!アースが逆ってどう言う事ぉ?」なんて感じでしたよ。これはハマっちゃうとマズいぞ。と恐怖を感じて早々に横流し。
今になって思うと不思議。一発目のTR6で懲りて手出しちゃマズいバイク。と認識していたトライアンフを何故XSの次に買ったんだろ?
何でか分からないけど、Yオクでハリスボンネを買って来て。当時50万円とかだったと思います。調子よく走るバイクだったので、外装変えて、レースレギュレーションに合わせて改造して、、、、、

もう、あとは転がり落ちる様に、ドンドンとトラにハマり、10年以上努めた会社も辞めて、何となく始めていたバイク屋の真似事業にチカラを注ぎこんで、あれよあれよ。と、リバタリア誕生。

そんな感じで右も左も、いまいち分からんが、まぁ。もうトライアンフの虜なので、知〜らない。
やっちゃえば、あとはもう、ひたすら目の前の事に没頭して努力すればどうにかなると思って、始めてしまったんですね。

そんな始まり。でも、大変なのも、楽しくなるのもこれからです。
トライアンフの沼は想像よりも遥かに深かったのです。。。

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