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「ミニマリズムと日本庭園論」

今月のはじめに10日くらいかけて
ロサンゼルスとマーファへの旅をしてきた。
ここ数年、年に1-2回はなんとか海外にいっていろんなものをみたいなと考えていて最初はNY、次はサンフランシスコとポートランド。
そして今回ということになる。
なぜアメリカばかりと聞かれた困るがとりあえず一番みたいものがあったからだと思う。もし次に行けるならどこにしようかなと想像すると今から楽しみだ。
マーファに行った理由は、ドナルド・ジャッドの作品がみたかったのと、そこに数年前に行かれた人生の先輩への憧れからだ。

いつも旅をしながらその場所で実況中継的なブログを書いていたのだが
今回はInstagramなどのSNSの発達もあり、それをやめて少し時間を置いてからなにかじぶんで感じたことを文章にしてみようかなと思い、この文章がその一回目である。(と、いっても二回、三回と続くのかは未定)

最初のお題は「ミニマリズムと日本庭園」である。
ドナルド・ジャッドはミニマリズムを代表する作家であるのは言わずもがなだが
彼のマーファにある「CHINATI FOUNDATION」を見学しながら思ったことがあった。
わからない英語の説明を一応聞きながら十数人の知的っぽい西洋人たちと一緒に行動していて彼らの驚きや関心の反応をみているとなんとなくこれってどこかでみたことあるなぁっていう既視感が。
そして自分もコの字型の建物の中庭の(写真撮影できないのでその写真がないのが残念ですが)鉄板と石が交互にひかれた構成の空間をみていて
あっこれって禅宗寺院などの枯山水といわれる日本の古庭園に似てるって。
そして西洋人のみたことある反応(ワオ、ビューティフル的)はそんな庭でよくみかけるものだと。

(この龍安寺の写真はネットから拝借したものです。)

ーーー連続性、不変性、永遠、過去からのつながり、自然や環境との対比。。。

もっといろんな言い方があるのかも知れませんが
ミニマリズムと日本庭園には考えてみればたくさんの共通点があります。
なぜ外国の方が日本庭園とくに禅宗寺院に興味をもたれるのかというのも、不思議だなと思ってたのですが、彼らはこんな現代アートと同じ文脈でそれをみているのかなと思えば納得がいきます。 

たぶんこの関係性、類似性は調べたわけではないのでわかりませんが、たくさんの人が気づき語ってることなのかも知れません。
ただボクはじぶんがこれからつくっていきたい庭のヒントをもらえたような気がします。
こんなですが日本庭園です。みたいなおもしろいものが表現できるのではないか!?
ミニマリズムの作品をみて日本庭園を再構築できるのでと思った人は少ないのかなと。
この感覚を得れただけでもマーファに行ってよかったなと思います。

「大きな自然のなかで
変わるものと変わらないものの美しさ」
チナティで興奮しながら書いた
ボクの汚い字のメモから。

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