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「クオリティーとクオンティティー論」

昨日42歳になりました。
微妙な年齢になってきました。
そこで今日はなんとなくそれにぴったりの話を。

クオリティーとクオンティティー。
つまり「質」と「量」の話です。

よく使われるパターンとしては「オレは質より量やねん」的な言い方ですかね。

調べてみるとクオリティーqualityの反対語は
クオンティティーquantityらしいです。
質と量というのは互いが作用しあってるような気もしないわけではないけど
じぶんの実感ではすべてがそうなのかなぁって思うところがあって。
ここ5年くらいはボクはそこそこ「量」も意識しながら
庭づくりをさせてもらっている。
もしかしてある意味では「量」がテーマだったのかもとも言ってもいいかもです。
まずは「量」をテーマにするにはある程度の依頼がくる状況をつくらねばならない。
最初は少ないけど「質」のいいものをつくって、そこである程度の「量」の依頼がくるようになって、そしてそこからどう考えたかという話です。

ではなぜ5年前に「量」をテーマにしたのか。
なんていうのかじぶんまりに見渡したときに
建物やインテリアに対してのいい関係の庭ががあまりにも少ないなと思ったからです。
庭だけ単独でみたら今現在でも技術的にも意匠的にも素晴らしいものはいっぱいある。ただ家や店などの関係をみるとうーんと。。。いうものがほとんど。
庭が中心で庭が建物や店を引っ張っていったらいいんだという考えの方もいるが
残念ながらそんな成功例はボクはほぼ知らないし、ボクには無理かな(汗)

逆に建物や店をデザインした方が庭までデザインするというほうが可能性はあるのかなと思うが、経年変化などを考えるとそれは最初だけの庭というものではハリボテのようなものになってしまう場合がほとんどかと。

ちゃんと建物やインテリアやファッションの流れのようなものがわかってそこにじぶんの感覚にプラスして庭の文脈をそっともってこれるようなプロフェッショナルな庭をつくれるような人がいないなと。
じゃあじぶんがある程度の時間をかけてある程度の「量」の成功例をつくっていったらいいし、またつくるべきなんではないだろうかと。
たぶんそれは目立つものとかではなく自然にその場所にあるべきもののようにあるものなんだろう。

ボクは庭で世界を変えてやろうなんて大それたことはこれっぽっちも思ったことがない。
残念ながらそういうタイプの野心家ではないようだ。
ただ小さな点をたくさんつくることでなにかが変わったらおもしろいなとは思っている。
それは伝わるのにとても時間がかかることだ。
だたそんなふうに時間がかかることを続けていくのは
もしかして得意ではないけど好きなのかもしれない。

なんていうか「質」の話だけだったら簡単だなと思った。
難しいのは「質」のいいものをコンスタントにたくさん提供することだ。
それがひとつのプロフェッショナルの仕事なんではないかな。

これからもそこそこ「量」にはこだわっていきたいし
それを続けられるチームというものにもこだわっていきたい。

そして最終的には「質」にもっとフォーカスしていけたら
庭をつくるものとしては幸せなのかなとも考えている。

クオリティーとクオンティティーの話でした。
もちろん両方やばいって言われたら言うことないのですがね。

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