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”庭の命”論

”スコップで土を掘る”ということ。
ただ”土”を掘ってると思う人もいれば
そこに”樹木”を植えるために掘ってると思う人もいれば
そこに”庭”をつくるために掘ってると思う人もいれば
そこに”幸せな未来”があると思って掘ってる人もいる。
最後のはよくわからない感じになってしまいましたが
この言い方はよく言われることだし
僕もよく使ってる言い回しだ。

僕らの仕事は
土を掘ってると思えば単なる肉体労働だし
庭や未来をつくってると思いながらしたら
その目の前のひとつの穴に無限の可能性を感じれる仕事だとも言える。
それはどんな仕事でも一緒だとは思うけど
その人の捉え方ひとつで同じ作業でも全然違ってくる。

ちょっとまた違う話なのかもしれないけれど
僕らの仕事は植物の命をつかわせてもらって
”庭”をつくっている。
そのことはとても大切なことなんだけど
それとは違う
もう一つ”庭”には命があるなぁって感じることある。
それはつくり手の魂みたいなものだ。

”画竜点睛”というのか
”仏つくって魂いれず”というのか
それがただ色を重ねたなにかになるのか龍になるのか
それが木のかたまりなのか仏様になるのか
植物が並んでるだけなのか庭になるのか

そこの違いってなんだろうか?
命のある庭をつくるってどうしたらいいんだろうか?
知識。技術。経験。センス。運。ねばり。
どれも違うしどれも必要な気がする。

最近みた安諸親方の庭をみて再びそんなことを思った。

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