60歳になったらコロッと死にたい そんな事を思ってる。 長生きはしたいと思わない。 もう恋をする事もないだろうし 大事に育てた子供達は 私がいなくても大丈夫だろう。 でもさぁこんな事を思っている人に限って 結構長生きしちゃうんだよね。 できるなら子供達の負担になりませんように
我が家は車がない。 故に電車移動が多い。 一昔前は、携帯をいじってる人、音楽を聴く人、寝てる人、本を読む人、ぼーっとしてる人…と様々で、割合もそれほど偏りがなかった気がする。 が、今はスマホを見ている人の多いこと! 電車に乗り込んで落ち着くとスマホを見る。 ほとんどがそんなパターン。 みんなが同じ事をしているのを見て、何故か滑稽に思えてきて、私はスマホを出すのをやめた。 何となくその人達と『同じ』になるのが嫌だった。 スマホを見る事が悪いことだとは思っていない。 調べ物を
どこからか懐かしいメロディが聞こえてきた。 そうだ、この曲は2005年に流行った『粉雪』だ。 懐かしい思いと共に切いない気持ちになる。 その頃、私は恋をしていた。 毎日会いたくて毎日声が聴きたくてたまらなかった。 その人が居ないと生きていけないんじゃないかとさえ思っていた。 毎日会えない代わりに毎日電話で話した。 声を聴くたびに涙を流していた。 どうしようもできないその時の自分の状況に心が壊れそうになり、電話のたびにその壊れそうな心を救いあげてもらっていた。 『粉雪』を
年末からどうにも体調不調の日々が続いている。 気が付くと眠くてひどい時は午前中も午後もベッドの中で眠って過ごすことも多い。 夜は多少寝つきが悪くなるくらいでまた眠る。 先週は風邪をひいて発熱していたので年末の体調をそのまま引きづっていたのかは分からないけれど、風邪が治った今でも朝も昼も夜も眠い日が続いている。 うっかり寝ようものなら2~3時間は眠ってしまうから一日が短い。 やりたい事もやらなければならない事も山積みになっている。 手を着けようと思うけれどその気になれず、怠
2人ともまだ学生だった。 デートといえば、彼の家の車でドライブ。 (その頃流行りのスポーツカータイプで他に見かけることはあまりなかったのがウキウキポイントだった) 向かう方角だけ決めて車を走らせる。 何度か休憩し、2人できれいな景色を見て共感してある程度の所まで行ったら戻る。 ご飯を食べた後は公園の駐車場へ。 車の中ではずっと音楽が鳴っていた。 初めの頃は彼チョイスのアーティスト。 互いの好みが分かってくる頃にはオフコースをよく聴いていた。 『好き』とも『付き合って』とも
♪会いたくて会いたくて ♪この胸のときめきが ♪あなたを探している ♪あなたを呼んでいる ◇ ◇ ◇ スターダストレビューの『木蓮の涙』が夢の中で鳴る。 もう会えない人。 会うことの叶わない人。 亡くなってはいないが、二度と会えないのだから似たようなものだ。 別れて10ヶ月も経つのに未だに時々夢に出てきて私を悩ませる。 彼を想って泣くことは無くなったが、まだあなたの仕草、あなたの声、あなたの温もり、ひとつも忘れていない。 一緒に出かけた場所も帰るときに必ず電車の窓
クリスマスは毎年家族で過ごしていた。 チキンは総菜を、その他の料理は母が仕事をしながらも頑張って作ってくれていた。 主役のケーキは父が仕事帰りに買ってきてくれた。 クリスマスが近くなると、父が 「今年はどこのケーキにするか?」 私たちに訊ねる。 妹はあまり拘りがなくあれば良いと答える。 母はとにかく金額が気になるなしい。 私はホールでないとイヤなのでそこは譲らない。 私たちの住んでいた町には、始めは不二〇しかなく、デコレーションケーキは生デコではなくバタークリームの
もっと自由に時間を使えたらいいのに。 自分の決めた1日のスケジュールに沿って動きたい。 朝早く起きてご飯を食べて掃除洗濯を済ませた後に創作。 お腹が空いたらお昼ご飯を食べて一休み。 夜は食後にコーヒーでも飲んで一休みしたらまた創作。疲れたら寝る。 たったこれだけが今はできない。
私には3人の子供がいます。 今は成人してますが、まだ幼い子供の頃のお話し。 子供が幼い頃はサンタクロースの存在を信じていました。絵本やTVを見て信じるようになったようです。 クリスマスになると小さなクリスマスツリーを飾りケンタッキーのパーティバーレルを買いケーキを買い、白菜ツリーを作るのが恒例となってました。 (白菜ツリーとは?白菜を円錐形にカットしアルミホイルで包み、うずらの卵、キャンディチーズ、ミニウインナ、ミニトマト、ブロッコリー、その他その時々でチーズ入りの竹輪や
そもそもnoteに登録した理由は書きたいからじゃなく、あるコンテンツを購入したかったから。 こんな風に文字を綴る予定はなかった。 なのに何故私はここにいるのだろう。 消化しきれない気持ちを吐き出しにきているのかもしれない。 私はとても短気だ。 そしてすぐに顔に出る。 普段から喜怒哀楽をわりと出す方なのに、最近は笑えてもあまり泣くことができていない気がする。 泣かせてくれる人が居なくなってしまったから。 思いきり甘えさせてくれる人が居なくなってしまったから。 星占いによ
あなたと別れて半年以上経つのに、その間スマホを新しくしたのに消せないアドレス。 LINEのアカウトも残っている。 幸いSNSのアカウントは何一つ知らない。 昔blogを書いてた人だから、今も何かしら書いていると思うけど、知らないので近況は全くわからない。 分かっているのはあなたが存在していることだけだ。 10年以上あなたのそばにいたのに、別れはとても呆気なく文字だけで綴られてきた。 理由もわからないまま。 私は置き去りにされたまま暫く動くことができなかった。 私の想いは
なんだか某TVドラマのセリフみたいになっちゃったけど、夢は多くの人が持っているだろうけど、 私にも夢があります。 140文字では収まらない、けどそんなに長くはない独り言です。 今日は車で外出しました。 駅から遠く、主要道路からも市街地からも離れてる場所に「貸店舗」の文字を見つけました。 車で通ったのでチラッと見ただけだけど、古ぼけてこじんまりとした家でした。 きっと、かつては農業に携わる方が住んでいて継ぐ人も居なく、遺された人が思い出のある家を売ることが出来ず貸店舗にし
昨日久しぶりに親に会った。 2人とも80歳を超えている。 ここ数年は数ヶ月ぶりに会う度に、親が老いていくのを実感している。 時々ワイドショーに流れるベテラン俳優や女優の訃報。両親とさほど変わらない年齢の彼等。 順番から言えば両親が先に逝くのだろう。 それもそう遠くない日に…
いつも『つぶやき』でしか書いてないので、上手く書ける自信はないですが拙くても綴ってみます。 父の仕事はシフト制で小学生の頃は一週間おきにしか会えなかったが、中学に上がると私が寝る時間が遅くなったこともあってそれまでより頻繁に顔を会わせるようになっていた。 何を隠そう、私はパパっ子で何かと言うと口より先に手が出る母より数倍もいつも穏やかな父が大好きだった。 そんな父がある日、夕方母がパートから帰る前にダイニングで晩酌をしていた。 テーブルの上を見ると乾きものしかなく、私は
もう何年も前の話し。 2年程、笑う事も泣く事もなく殆ど無表情で過ごしていた時期がある。 家事は食事と洗濯のみ。 買物は子供達に引っ張られ掃除は時々。 1日中眠ってばかり。 それでも医者にかかることもせず周囲の協力で元の自分に戻れた。 明けない夜はない。 あきらめないで。
水色は~涙色 そんな便箋に➰🎵 帰り道、頭の中でリフレインしていたあべ静江さんの曲。 昔はよく手紙を書きました。 拙い文章で辞書を片手に一生懸命書きました。 学校から帰ると真っ先に見るのはポスト。 懐かしい。 今は便利すぎて情緒がないというかなんというか、ですな~。