建設機械化史総論24 第4期(建設機械化推進の人と組織)
1.5.2建設機械整備費
4.建設機械化推進の人と組織
以上述べた如き経緯で筆者は建設機械の予算と運営とに対し主査として責任を持たされたが、一般の事業と異り、単に経済安定本部と原局との間に立って連絡するだけでは役目は果せず、一大決心を決めざるを得なかった。特に局議に於てあれ程上司の反対を受けたのであるから全力を尽して建設機械の運営を推進し、事ならざる時は潔く身を退く決心を胸中に自ら固く誓ったのである。
さて、とりあえずアシスタントが要るのだが、幸い計画課にいた加藤栄一君が建設機械化に興味を抱き自ら進んでその役目を買って出た。
大学時代の同級生中岡二郎君も当時計画課にいたが、私は彼が満州にいた当時松花江の豊満ダム工事の現場にいたことを知っていたので、建設機械化推進に一役買わないかと話しかけた処、彼も建設機械についてはかねて興味を抱いていたので喜んで参加することになった。
先に述べた資材班に機械係を設け中岡、加藤両君が担当することに建設局としての建設機械化推進の組織を持つことになった。一方建設省の資材課の機械係の組織は如何であったか。係長には同級生の高木薫君がいたことは前に述べた通りであるが、係員は3名位で極めて貧弱な陣容であった。
高木君は後でわかったことだが、満州における建設機械化を推進しており、丁度私が内地に於て建設機械化の推進役であったことと符節を合していたのである。「ローマは1日にして成らず」のことわざの如く、筆者が経本にいて建設機械化を推進しようと決心したのは戦時中から戦後にかけての経験がものを言ったのと同じく、高木君が建設省において同じ考えに到ったのは満洲の経験がその基礎になったのである。しかも中岡君と云い、高木君と云い同級生である。意思の疎通は極めて円滑であり、まことに偶然ではあるが、クラスメート3人が1つの目的達成のため結ばれたことは、後に記す通り建設機械化推進運動が毀誉褒貶もまちまちであり、かつ非常に困難な仕事であったにもかかわらず、現左の発展を見るにいたった大きな原動力になったことと確信している。
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