建設機械発達の概要(ブルドーザ・昭和22~25年)

1.2.1 トラクタ及びブルドーザ

1.トラクタ

 トラクタは元来その名のしめすように、外国では農業用けん引車として発達したものであるが、わが国においては、 主として建設工事用のブルドーザとして出発した。また装軌式のものと装輪式のものがあるが、建設工事用として現在主流をなしている装軌式トラクタ及びその変形について、その発達のあとを辿ることにする。また戦前や戦時中の研究開発については別項(建設の機械化 昭和34 年5月号)に譲り本稿では終戦直後の昭和 22~23 年頃より昭和34 年初期に至る間に限ることにする。
 
 わが国の一般建設工事にブルドーザが取り入れられたのは、米軍が災害復旧、戦災復興のためにブルドーザ類を払い下げたのに始る。当時の払下げ機械はキャタピラ D4・D6・D7・D8、 インタナショナル TD9・TD14・TD18、 アリスチャルマ-ズ HD7・HD10・HD14等があった。これらの機械類が戦後の建設事業において、 優秀な性能を発揮し、人力施工から機械化施 工への切換えを促進した効果は大きなものがある。国産ブルドーザはこの様な優秀な外国機械を目標としてまず 9~10t級より生産を開始した。

全般的に見て次の様に分類できる。
○第1期 (昭和22~25年)
 試作期 (9、10、13、15 t級)
○第2期 (昭和26~29年) 
 改良期、大型の試作期
○第三期 (昭和30〜34年) 
 発展期 

2. 発達の概要

(1) 中小型ブルドーザの試作期

  昭和 20 年末より農林省の機械開こん計画用として小松製作所を始めとする国産ブルドーザの生産が計画され昭和 22 年10 月に小倉製鋼所KTA-70、 12 月には小松製作所D50 の第1号機が作られ た。しかしながら、いわゆるブラウン旋風のため本格的な実用試験には 至らなかった。続いて昭和 23 には建設省より D50を10 台、 BBIIを10 台、KTC-70型4台の発注をうけ、昭和 23 年後半より 34 年 3月頃に納入された。当時のものは型式名称は現在のものと同じでも、戦時中の軍用けん引車を原型として発足してい たため比較的軽量でまた機関出力も小さかった。またブルドー ザとしての諸条件も備えておらず、軍用けん引車に排土板とウ ィンチを取付けたというに過ぎなかった。

 D50のみは多少ブルドーザとしての経験もあり、油圧式であったが、製作技術や資材の不均一、また外注部品の質的不充分などのために故障続出であった。したがって昭和26年頃までは毎年大幅の設計変更が ありその間の生産台数は極めて僅かなものであったがこの間は、実に苦難の道を歩んだのである。D50とKTC 型は戦時中からの経験が物を言ってどうにか実用に耐えたが、戦車から出発し た BBI の最初の10台は下部ローラ、リンク懸架ばね等の欠陥から殆んど実用にならず、当時としては相当の犠牲を払って クレーム修理を実施して次の年は BB II 型となったのである。 しかしD50、 KT-70 型も問題がなかったわけではなく、どうにか 使用出来たという程度であった。

クリップボード一時ファイル01

(↑)小松製作所 D50ブルドーザ

クリップボード一時ファイル02

(↑)MHI BB型ブルドーザ

主なる問題点は次の通り

 (i) 機関出力及び耐久性の不足

 当時の機関は戦時中のロケ車系の 4Cyl・6 cyl (小松、日野)および三菱 DA 型であって、ディーゼル機関としてようやく実用期に入ったばかりであったから車体の要求する出力を満せなかった。また初期においては自動車用の最高最低ガバナーを装着していたため、排土板の負荷の変動に応じて車速が変化して満足な作業は不可能であった。一例とし て当時最も信頼されていた三菱 DA 機関の例をとると、試作ブルドーザにおいては 1,500 rpm、70 ps として装着さ れたが、自動車用としては実用に差支えなかったのにもかかわらず、 ブルドーザ用としては シリンダライナーの早期磨耗、出力の低下、前記ガバナーの不具合などのため、はなはだ成績は悪かった。25 年からは オールスピードガバナー、 プ レクリーナ付エャークリーナなどの研究もあって 1,300 rpm に回転速度を下げて出現した。KTC 型に載せていた日野製 DA 55 エンジンも同様な問題があり車体の要求する出力が出ないため、KTC-70 型では最高速度段での前進は不可能であったと記憶する。これも三菱の研究を追ってガバナー、エャークリーナ等が改良されブルドーザ用としての諸条件が整えられた。またD50用機関は小松の自家製であったが、最初は日野と同様旧陸軍統制型エンジンから出発したが油圧式ブルのためギャポンプに馬力を喰われる上、機関の製造経験不足もあってユーザにはあまり評判がよくなかった。


(ii)足廻りの耐久力不足

 各社共下部ローラ、トラックリンク、シュー等の強度不足、磨耗対策に苦心した。トラックリンクではD50の特殊マンガン鋳鋼製を別として、BB、KTCとも鍛造品であったが、何れるピッチの延び、早期破断、硬度不足で悩まされた。これらのうちで摩耗に対してはD50が比較的よくエンジンの不評をカバーしていた。しかし接手の穴の加工が不可能であったためピッチが不揃いで且つ伸びが大きいため、旋回などの際にリンクが直ぐ外れるという悪い点があった。加工技術の進歩によってこれが改良されたのは数年後のことである。またBBでは下部ローラのフランジが硬度不足のため100時間ももたなかった例があった。


(iii)外注部品の不良

 ブルドーザ自体の設計の不充分な面もあったが、完成外注品が悪いためにブルメーカーが払った苦心は相当なものであった。例としてはボールベヤリング類、高圧ホース、クラッチライニング、オイルシール、ラジェータ、計器等がある。このうちボールベアリングについては製作精度や潤滑機構上の欠陥もあったと思はれるが、終減速装置のベアリング等は引取試験の最中に発熱破損するものもあった。また高圧ホースは耐油性ゴムの研究不足と構成の不備から常用耐圧30kg/cm2程度に押えて使用していた。このため設計上る排土板操作速度や、掘削力に制約をうけた。オイルシールやダストシールに至っては大問題であった。終減速用ベローズシール及び下部ローラ用ダストシールが甚だ不良で機械部分に損傷をあたえた。この改良はあとあとまで手間どった。

(iv)設計面での欠陥

 機械は経験の積み重ねによって進歩するのであるが、いかに優秀な設計者でも使用方法とか使用条件をはっきりつかんでいなくてはよい設計は不可能である。ところが建設工事用機械特にブルドーザについてはその使用条件がはなはだアイマイでかつ苛酷である。一例をあげればグローサシュー(爪付履板)の土砂に対する摩擦はどの位か、また土、砂利、岩、コンクリート、芝等の場合にはどう変化するか、衝げき力はどの位に考えるか、エンジンの常用負荷はどの位か、等々考えてもわからない問題が沢山あった。その上設計者は今でもそうかも知れないが、機械の操作自身をよく知らない。まあ大体の見当かちょっとでも知っておりそうな人に聞いてやる。等々、従来の機械設計だけでは片付かない問題が多かった。

 以上の様な諸問題が発生したが、これらの解決に当るためには、メーカだけでなくユーザも一丸となって協力する必要が叫ばれ、昭和24年度以降の建設省の試作研究費で特に部分改良費、現場調査費、部品耐久度調査等の研究が行われた。
 昭和24年度に建設省によって建設機械用ディーゼル機関の試作が行われ、三菱のDF型機関2台が試作された。この結果は大変良好であったので昭和25年度から15t級ブルドーザ(当時D7級ともいった)の製作を始めることになった。DF型機関はキャタピラD7用のD8800機関に相当するもので、当時車輛用ディーゼル機関としては日野DA55型(10.8)より一段上廻って14L、90ps、1,000rpmで始動用ガソリン機関を装着していた。この計画には建設省の意向で、建設機械化協議会においてブルドーザ規格委員会が設けられその仕様を決定したが、15tブルドーザの試作は小松、三菱2社の競作ということになった。昭和25年度予算により三菱BF5台、小松D805台の製作が行われ、記録によればD80の1号機は、25年11月に、BFの1号機は26年3月に完成されている。15tブルドーザの試作に当っては、ユーザの意見を充分に採り入れたのと小型車の製作経験を生かしてまずまずのものが出来上った。当時、三菱はエンジンとリンク、シューの製作を担当しスプロケット下部ローラ等の特殊の鋳鋼品は小松が製作して、お互いに協力すると云う様なやり方で進められ、また払下げのD7ブルドーザを生かすために足廻り等はアッセンブリ交換性を有する様に計画された。この15tブルドーザの完成は国産ブルドーザの主力としてその後の「建設機械化」に明るい希望を持たせ、建設省に続いて昭和26年度には農林省や新設の国土開発(株)などにも採用され、ユーザ側の協力と相俟って着々と実績をあげて行ったのである。

クリップボード一時ファイル06

表1.2-1 ブルドーザーの運転経費一覧表(抜粋)

国産ブルドーザについてのまとまった記録としては『建設の機械化22号』『建設の機械化23号』(何れもブルドーザ特集号)があるがそのうち稼働時間その他を抜すいしてみると表1.2-1の通りとなる。
24年度製、25年度製造機は一応の稼動を示しているが、矢張り修理時間が比較的多くなっているのが目立ち細かい故障が多かったことが推察される。同例の払下げ車D7、D8等が古いものであるにも拘らず相当の稼動を示している。機械が古くなってからの稼動率の重要さについては後年になってよくわかったが、当時の雑誌を見るとまあ国産機としてはよく動くという様な考え方がうかがわれる。


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