建設機械化史総論25 第4期(建設機械工業会の設立)

1.5.2建設機械整備費

5.布石二三

 建設機械整備費は昭和23年度から予算化されることは決定を見たが、本予算を有意義ならしめる為には種々困難た問題を解決しなければならぬ。その為次に述べる如く各方面と折衝を開始した。

(1)建設機械用資材の獲得

 まず最初は主要資材即ち鋼材、銑鉄等の獲得に努力した。当時は物資統制令の生きていた時代であるから、たとえ予算がついても資材がなければ、予算が削減を受ける資材第一主義であった。早速、高木君の所で4億円の機械に必要な資材料の算定を行うと鋼材約1,000t、銑鉄約500t、その他副資材若干の所要資材量が出た。その資材をもって私は生産局と交渉した。前に述べた如く筆者は公共事業に関する所要資材を確保するため、建設局に資材班を設置し、生産局の資材需給算定作業に参加することになっていたので、既に生産局の連中とは熟知の間柄であり、信用もあった。従って資材特に鋼材の苦しい時代ではあったけれども、建設機械化の意義、予算化の経緯等を述べて協力方を申入れたところ、生産局もその重要性を理解し要求書を若干削減されたが略必要量を確保することができた。ちょうど生産局機械課に戦後農林省に於て機械開墾に尽力し、ブラウン旋風で挫折した時の立役者堀直治氏がいて、内部的にも種々協力して貰えたもの資材確保の有力な因をなしていた。

(2)機械関係官への懇請

 建設機械の育成には経本生産局機械課と商工省機械局産業機械課が非常に関係が深い。幸い経本生産局機械課の田中宏課長、商工省産業機械課の鈴江康平課長は共に筆者が技術院時代の同僚で極めて懇意な仲なので、建設機械化の意義を説明し援助方を懇請したところ、全面的にその趣旨に賛成すると同時に尽力を約してくれ、資材副資材等の獲得にる協力を惜しまぬ旨の申出があった。事実、建設機械そのものが社会的にも未だ殆ど認められていない当時、両氏の精神的、物質的両面の援助は建設機械化推進に非常に役立ったのである。

(3)建設機械化中心団体の構想

 我々は建設機械化を推進するには単に建設省がメーカーから機械を買うだけでは到底短期間にその性能を向上させることはできないと考えた。建設機械の性能向上はメーカーのみにては不可能で、使用者と製作者とが一体にになって研究する必要を痛感していた。また機械化施工法を確立するにも共同研究が必要と考えた。私は戦時における大日本航空技術協会の如き組織を作らねばならぬと心に期していた。最初は建設機械工業会を育成し、その役目を持たせようとしたが所期の目的が達成できなかったし、高木君は建設機材研究会を設けたがこれもまた大をなさず、結局建設機械化協会の設立に至ったのであるが、これは大分後のことに属する。順次述べることとする。

6.建設機械工業会の設立

 昭和22年11月の或る日、東大助教授国分正胤氏の紹介状を持って金井栄君が来訪した。
 金井君来訪の趣旨は次の通りであった。終戦時金井君は軍廃止のため、土木機械統制会が看板を塗り変えた土木機械工業会に就職し、調査課長として活躍していたのだが、この工業会は土木機械メーカーの同業組合であると同時に、商工省の資材統制事務の一部を委任され細々と事業を続けていた。しかるに土木機械に対する資材、動力の配当が極めて少量で各メーカーは闇資材、闇動力によらざるを得ず、製品は割高となり、ただでさえ少ない需要を益々減じている実情を述べ、筆者が建設機械化を推進するという噂を聞いて、土木機械工業の振興に関する援助方を乞いに来たのであった。また土木機械工業会を近く発展解消し、建設機械工業会として新発足するための準備中とのことであった。
 筆者は工業会の定款、組織、役員、会員、事業内容等の詳細な説明を求めた。会員は主として中小の土木機械メーカーであり、従って役員の顔ぶれも淋しく、なぜ当時既に土木機械の製作に乗り出していた日立製作所、四国機械、小松製作所、三菱重工業等の1流メーカーが会員に入っていないかに疑問を抱いた。すなわち会員としては、いわゆる土木機械として従来ありきたりのウィンチ、ミキサ、ロードローラ、機関車、トロ等のメーカーばかりで、私が企図する建設の機械化に必要な機種のメーカーが入っていない。私は金井君に建設機械整備費の性格すなわち工事費では購入不可能な重建設機械の育成に主力を注ぎ、従来の土木機械は工事費でも購入し得るから整備費の対象にならぬこと、しかししながら全般的に建設機械化が進展すれば従来の土木機械の需要も増すだろうという見透しを述べ、建設機械工業会が新発足するならば重建設機械メーカーをも会員に獲得すべきであると勧めたのである。
 建設機械工業会の発足したのは昭和22年の暮か23年の初めだったと記憶する。会長は小野志朗氏であった。鈴江康平氏と筆者が来賓として招かれ、鈴江氏は商工行政の立場から、筆者は建設行政の立場から工業会に対する今後の運営について注文をつけ、その在り方について若干の意見を述べた。すなわち筆者は工業会が単なる同業組合に堕し、資材の配当事務に満足しているのでは発展は望まれぬ。よろしく建設機械の性能の改良、重建設機械の製造、建設技術者との提携等に努力すれば、政府としても応援するにやぶさかではないし、建設機械整備費を契機とする予算的措置もとる用意がある旨を告げたのである。
 昭和23年4月に関西の建設機械工業会を併せて建設機械工業会を1本にするため、いささか微力を尽した。
私達はこの工業会を育成し、建設機械に関する技術の向上の母体にするため、できる丈の努力を払ったのであるが、中小メーカーを主とする集りであるので、後から加った1流メーカーとの軋轢もあり、役員の頭の切換えがむつかしく、また事務局の能力の点などでどうしても我々の意図する活動は望まれず、昭和23年末のストライキを機会に”建設機械化協議会”の設置を見るに至ったのである。

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