建設機械化史総論35 第5期(建設機械化協議会)

1.5.3 建設機械化協議会

1. 建設機械化協議会設立動機

 前にもちょっと触れたが我々は建設機械の性能の向上機械化施工法等の研究建設機械化の普及・宣伝・啓蒙等を行うために母体を求めていた。それが建設機械工業会の育成建設機材研究会の設立となったのであるが、いずれも意図通りに動かず我々だけの間では建設機械化運動の中心機関の構想について展々話合っていた。普通考えられる方法としては次の通り3つある。


(1)官制による建設機械化審議会または協議会を設置する方法

この方法は官制によるものであるから世間的には体裁もよく一見強く見えるのだが、筆者の経験によると官制の審議会、協議会は委員にはいわゆる大物を持ってくる関係上、どうしてる動きが鈍く、かつ封建的匂いが強くなり、機動性ある活動がむつかしい。また官制のため国会の議決を要するとか政令で出すとか設立までの事務もわずらわしく、労多くして効少なきが普通である。

(2)経本建設局限りの協議会を設置する方法

 官制と違って手続きは簡単だし、委員の選定にも前者よりは余程自由度が多く運営も楽だ。ただし官におくのは、どうしても民間側の意見が活満さを欠きがちである。

(3)社団法人の協会を設立する方法

 経済安定本部は元来臨時官庁であって経済が安定するまでという条件付である。従って建設機械化運動を永続させるためには民間団体が最も良いのである。また民間団体ならば役員、幹事等も自由に選べるし、何よりも民間側の自主的団体として、自ら民間側の熱意も盛り上る。難しいのは建設機械工業会との関係だが、性格を変えること、構成メンバーの点で摩擦なく行くことも可能であろう。
 等と漸次構想も固りつつあった。
 

昭和23年12月頃工業会の田中、金井、亀田の三君が我々を訪れた。話の趣旨は建設機械協議会設立に関し援助してもらいたいというのである。しからば協議会の事業内容はと聞くと、建設機械工業に対する電力、石炭等の配当順位を上げる運動をする。工業会は単なるメーカーの同業組合だから弱体であるから、関係官庁の担当官をも含めた協議会を設立して強力な運動を展開したいというのである。
 我々は三君の構想については、その内容が貧弱なので、そのままでは協議会設置の必要性を感ぜず、また三君の考え方には、工業会において三君が中心となって行ったストライキ以後やはり居心地が悪いため、工業会の換骨奪胎を考えていることが明瞭に判ったが、動力問題の解決はメーカーの熾烈な要求であることを知り、かつ、またかねてから考えていた建設機械化運動の中心母体の設立をこの際敢行することに意見の一致を見、いよいよ建設機械化協議会の設立準備を行うことにした。
 我々の構想と三君との構想には相当へだたりがあり、幾度か話をしたがよく判らない様であった。その違いは建設機械協議会と建設機械化協議会と化があるかないかに端的に示されていたが、三君には遂に判らなかった。

2.建設機械化協議会の設立

(1)設立世話人会の結成

 我々は関係方面との事前打合せを済まし、大体賛成を得て設立の見込みを略々ついたので、昭和24年2月8日を期して設立準備の第1回打合会を開催することにした。各方面への案内状は、経済安定本部が総合調整を任務とし、公共事業の運営を主管している建前もあり、筆者の名で発送した。設立までの事務及び費用は建設機械工業会の了解を得て、すべて工業会で立替えて貰うことになった。2月8日、小松製作所平河町分室に於て第1回の打合会が開催された。

当日出席した者は次の通りであった。

中岡二郎加藤三重次(経済安定本部建設局)
飯塚主計、高木薫(建設省総務局資材課)
新妻幸雄(運輸省港湾局建設課)
岩井具冬、上野正(商工省機械局産業機械課)
河上房義(建設技術研究所)
野田恭孫(建設機械研究所)
小野志朗(建設機械工業会)
猪瀬道生(三菱重工業株式会社)
家田秀司(日立製作所)
河村喆(四国機械株式会社)
杉山寿雄(神戸製鋼所)
天川勇、小林直己(小松製作所)、
諏沢卓二(油谷重工業株式会社)
井上直明(日本開発機製造株式会社)
鈴木洋男(浦賀船渠株式会社)
渡辺与助(渡辺機械株工業式会社)、
内田豊(渡辺製鋼所)
吉田義作(小倉製鋼所)
高橋保(日本燃化機製造株式会社)
金井栄、田中良実、亀田仙吾(建設機械工業会事務局)

計26名招請者である筆者は次の趣旨を詳細に述べた。

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