建設機械化史総論19 第4期(経済安定本部と公共事業)

1.5.1経済安定本部と公共事業

1.経済安定本部

 敗戦直後わが国は正に滅亡の一歩手前の様相を示していた。即ち長期に亘る戦争の間、不急として維持補修を等閑に附していたため我等の国土は荒廃し尽してしまった。都市の大半は戦禍に壊滅し、都市民の大半は住むべき家を失ってしまった。産業は破壊され、失業者はちまたに溢れていた。国民は呆然自失し、ただ食わんがために奔走し、道義は退廃の極に達していた。復興の掛声はあれども、その方途は分らず為政者もその為すところを知らざる有様で前途は暗澹(あんたん)たるものがあった。戦時中の財政は厖大(ぼうだい)な臨時軍事費を擁して赤字財政によって賄っていたため、通貨の膨張はすべてにインフレーションの萌芽(ほうが)を蔵していたが、戦後の経済の混乱はこれに拍車をかけ、インフレーションの波は堰を切って落したことく一時に押し寄せ、第一次世界大戦後のドイツに似た様相を見せ始めた。物質の極度の逼迫は物価の高騰を来し、物価の高騰は必然的に赤字財政をとらざるを得ず、更にこれがまた通貨の膨張をきたすというインフレーションの原則を着実にふみ、日本経済はインフレーションの前に危く崩壊せんとし、国民生活はインフレの波に溺れんとしつつあった。

 日本経済を再建するためには重要生産資材が不急不要方面に流れるのを防ぎ、石炭、電力、鉄鋼等の重要基礎産業に重点的に配給して先づ基礎産業を建直し、これによって生産資材の生産量を増大し、基礎産業の復興を挺子として順次2次3次の重要産業の復興を促すことが絶対に必要である。また重要産業の輸送を確保し、金融措置を考慮し、さらにまた社会不安の大きな根元をなす失業者の救済問題の解決を図らねばならぬ等、日本経済再建には数多くの計画性あるかつ強力な施策を必要とするが、従来の行政機関のみでは総合性を欠きまたセクショナリズムにもあってなかなか思うにまかせぬ実情にあった。当時は第1次吉田内閣時代であったがG.H.Qの指会もあって総合企画機関として総理府に経済安定本部が設置されたのは昭和21年5月であった。

 当初経済安定本部は「物資の生産、配給および消費、財政金融、輸送、労務、物価等に関する経済安定の緊急施策についての企画立案の基本に関するもの並びに各庁事務の総合調整および推進に関する事務を掌る」ということで発足し、機構としては総裁、総務長官の下に5部制が布かれた。職員はすべて部員と主事の二種とし、事務、技術の区別を廃し機動性を持たせた。後になって事務官、技官に変更したが、企画官庁としては部員制の方が能率的と考えられる。総裁には総理が兼任し、初代総務長官は膳桂之助氏であった。

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