建設機械化史総論34 第4期(昭和24年度建設機械整備費)

11.昭和24年度建設機械整備費

 昭和23年5月頃、杉山知五郎公共事業課長が大蔵省銀行局総務課長に転任し、後任として大平正芳氏が就任した。杉山前課長が仲々有能な事務官であったことは既に述べたが、後任の大平課長も役人には珍しい型の人物で、現在は池田蔵相の秘書官を経て代議士として活躍しているが、既にその頃より政治性の豊な仕事ぶりで、各省の精鋭をすぐって構成している公共事業課の困難な事務を巧にさばいた手腕は既にその当時より今日あるを予想するものがあった。建設機械化運動にとって杉山、大平と二代共ついいて優れた課長を得たことは幸先がよく、運動の成功はこの間に路定まったともいえよう。
 昭和24年度予算査定事務は昭和23年6月末頃より始まった。各省要求の合計は約1400億円位あった。インフレーションの悲しい時代なので最初の査定は公共事業の合計として1000億円を目標とし、8月初めには略完了した。建設機械整備費は筆者の査定では要求の約50億円に対して27億円位だったが、大平課長の調整により21億円に抑えられた。建設機械化の意義については課長着任後私から既に縷々として詳細に説き、課長もその重要性については深く理解し、大いに推進する旨の心強い支持を得た。恐らく杉山課長より特に本予算については面倒を見る様にとの引継ぎを受けていたと考えられる節が大平課長の片言隻句(へんげんせきく)から得られた。しかるに昭和23年度予算におて対G.H.Q.工作のために一応河川事業、道路事業に区分した便宜的な措置が、建設機械整備費の予算獲得に大きな支障を生じ、当初予定した額をはるかに下回ってしまったのはまことに遺憾であった。その詳細な事情を次に述べて見よう。

 昭和23年度予算査定の時河川主査として建設機械化に協力した山内一郎君は江戸川工事事務所長に栄転し、その後任としてはM君が河川主査に就任した。M君も現場にいた頃は熱心な建設機械化論者だったし、整備費設定の賛成論者だったので、山内君と交代したときは、高木、中岡両君と共に私も非常に喜んだのである。
 丁度その頃米国から日本財政の建直しのためドッジ氏が来朝し、日本のインフレーション抑制のため、財政緊縮方策を日本政府に要請し、自ら昭和24年度予算の圧縮に努力した。もちろん公共事業費もその影響を強く受け、当初の1000億予算は850億、750億、650億、500億と漸次減らされ、前年と略同額の500億円でようやく治まったのである。大平課長の偉いところは、各事業の枠については主査の原案を集めた上で全体の枠におさめるための調整をし、更にこれを主査にはかった後、主査の了解の下に各事業の枠を無理のない形にまとめ上げるが、その内容に就ては全部主査に一任したことである。これはできそうで、なかなかできないことである。特に大蔵省主計局に長年いて数字いじりをしていると、各省の事業内容の細部にまで立入りがちで、ついつい各事業に対してはずぶの素人が低い判断で事業内容を決定する弊に陥りがちなのである。その点、大平課長は枠については調整者の立場から、判断し決定するが、その内容全体については玄人である各主査の意志と人格を尊重して一任したので主査としても非常に仕事がやりやいし、苦しい時でも課長に協力しようという気にもなったのである。20名以上の2級官を課員に持つ課というのは経本公共事業課のみであるし、それが各省からの代表選手をすぐっての寄合い世帯であるのに、それをまとめて行くというのは余程統率の才がないとうまくゆかないのに、課員全員を心服させたのは正に将に将たる器というも過言ではないであろう。
 1000億円予算から850億円予算に圧縮した時のことである。公共事業費1000億円における建設機械整備費は21億円に調整された。ドッジ氏の均衡予算のため850億円に圧縮する時、各事業共これに見合う様に査定を命ぜられた。筆者は種々考えたが19億円に査定した。総額では15%減であるから普通ならば比例的に18億円位にするのが適当だったのであろうが、筆者は考えがあって甘い査定をした。しかるに課長は筆者の査定を甘すぎる、誠意が認められぬといって、さらに減らす様に命じた。
 この時、筆者は甘くはないと反駁し公共事業費が減額されたならば経本で公共事業の運営を任されている我々は少くなった予算の中で事業量をできるだけ多くするには、いかにすればよいかを考えるべきではないか、事業量を多くするには資材費人件費が一定なばら施工を機械化すること以外に方法はない。したって公共事業費が減額された場合は逆に機械費を増額して事業量の減りをカバーすべきである。しかしながら現実の問題としては150億円を減らさなければならず機械整備費のみを増額したり据置いたのでは課長も困るだろうし他事業に対しても誠意なしと見られるおそれがあり、私としては逆に増額しなければならないと考えているのだがそれを10%も涙を呑んで減らしたのだから、査定が甘いとは何事であるか充分誠意は示したつもりだと逆に食ってかいった。理の当然に暫く沈黙した大平課長も君の言うところはもっともだ。しかし他の事業が平均 15%減らしいるのに機械のみを認めるのは困ると言いだした。そこで私は更に公共事業課長は理論上、正しいと思った事をそのまま実現すれば良いので、筆者の言うのが正しければその通り認めたらどうかと主張した。ついに課長も19億円を認めることに同意した。普通、上に立つものは下の者が言った事が正しい場合でも、仲々前言を諦すということをしないのだが、大平課長は合理化精神が強く上下とか面子とかには全然こだわらず、理論が正しければそのまま認める主義でこれもできそうで、なかなかできないことである。
 その後ドッジ氏の財政圧縮方針は、ますます強く850億は更に650億円に削られ、この時の機種整備費は14億4千万円となり、更に650億円が500億円に圧縮され、機械整備費はついに11億円にまで圧縮されたのである。先に私が支障 を生じたと述べたのは 14 億4千万円から 11 億円に減った時のことである。前年度に対 G.H.Q 関係でスムースに通すため便宜的に機械整備費を河川道路と区分したので24年度も同様に一応河川道路の主査と連絡しながら査定を進めて行ったのであるが、河川事業も1000億円から500億円に圧縮され、公共事業費に占める割合が多いだけにその圧縮作業が最も苦しく機械整備費を圧迫する結果となった。M主査は元々機械化論者であり私達も大いに期待したのであるが立場が変ると原局との板挟みとなり心ならずも機械費の圧迫をせざるを得ず、私との間に摩擦を生じ後味が悪い思いをした。結局、大平課長の責任において調整したということで私も涙を呑んで従ったがその間、M主査は約束を破ったり不信行為があったり後々までそのしこりは長く残ったのである。
 とはいえ昭和23年度495億円の公共事業費中の建設機械整備費4億円が昭和24年度500億円中の11億円と決まり 約3倍の予算を獲得したのであるから、最低15億円を目指した我々の企図は達しなかっが一応成功といえよう。 他の事業が殆ど前年並の予算に対し課長としては実に思い切って増額したのであって建設の機械化の重要性の認識が深かったから、初めてかる措置を執ることができたのである。事実この11億円の機械整備費が建設の機械化を躍進せしめたのであって大平課長の英断には我々建設機械化運動に携わる者一同は深く感謝している次第である。
 11億円の枠は昭和24年の実施に当って更に4,000万円を道路に持って行かれ1,062,244千円が実際に使用された額であった。

その内訳は次の通りである。

[建設機械整備費]
1,062,244,000円
○機械購入費 
827,150,000円
○機械修理費 
79,520,000円
○モータープールおよび機械工場整備費
110,000,000円
○その他
45,574,000円

 この中で昭和23年度と特に変っている点は、モータープールの新設費を認めたこと、その他の中に 18,000,000円含まれている試作研究補助費である。これらに関しては昭和24年における予算の実施状況を詳述する時に述べることとする。

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