建設機械化史総論30 第4期(パワーショベル)

1.5.2建設機械整備費

10.建設機械化の重点

(2)パワーショベル

 パワーショベルがわが国に輸入されたのは明治末葉から大正の初めにかけてのことらしい。当時ようやく河川改修工事が盛になり、ラダーエキスカベータや作業船の輸入に引続いてパワーショベルがドラグラインあるいはクラムシェルとして掘削用に使用された。その頃のエンジンは主としてスチームエンジンであった。地方に行くと未だに残っているが、ビサイライスの1~1.5yd3が多い。日本が満州に進出し、満鉄が撫順炭礦の経営を行ったが、撫順では早くからビサイラスの大型電気ショベルを使用して露天堀を行っていた。神戸製鋼所は大正末期頃からショベルの設計にとりかかり、昭和5年頃から生産を開始し、200k、120k、50k等を世に出して、ビサイラスと競争入札で勝ち撫順炭の採掘用として活躍した。その後、建設機械としてスチームショベルを製作する様になり、日立製作所、油谷重工業、東京重工業、大福機工等が努力した。
 太平洋戦争に入ってから航空基地設定用掘削機械として小型軽量パワーショベルが必要となり東京重工業の芳野重正氏等が試作した。戦後、建設機械として現場においてはドラグラインを必要とし戦時中の仕掛品を活用しようとしたが、ほとんど使いものにならなかった。以上が昭和23年より以前に於けるパワーショベルの概要である。
 さて我々は建設機械整備費を設定した時の主要目的の1つとしてパワーショベル、ドラグラインを掘削機械の中心機種として考えた。パワーショベルの中、ビサイラス型3/4yd3程度のディーゼルエンジンのものを私達は先ず最初に欲しかった。名乗りを挙げたのは日立製作所、三菱重工業、四国機械、神戸製鋼所、油谷重工業の5社であった。他に日本燃化機が1yd3のものを製作することになった。いずれも、ほとんど試作機械といっても良いほど無経験なので、我々としては最初の年は期待が持てなかった。はして神戸製鋼所の製品がやはり過去の経験を活して辛うじて使用に耐えた程度で他のは使いものにならなかった。しかし我々は1回目に失敗したくらいでは諦めることはできぬ。引き続き昭和24年度にも再度各社にチャンスを与えることとした。そして残ったのが0.4m3の神鋼、0.5m3の油谷、0.6m3の日立、0.75m3の日燃の4社である。その後もたゆまず努力した甲斐あってこれらは性能も向上し、信頼度もまして現在では略々安定し、米国製品の域に迫り、電源開発にも多数活躍しているが、建設機械としては最も成功した機種と確信している。

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