建設機械発達の概要(ブルドーザ・昭和27年~昭和29年その2)
(ii) D120 ブルドーザー
小松D120ブルドーザ
昭和 28 年を初年度とする電源開発 5ヶ年計画には従来の 15t級のブルドーザだけでは不足であったから、主としてキャタピラ D8の輸入が行われた。資料(建設の機械化57 号、吉見浩一『建設機械輸入の概況と国産化の諸問題について』)によれば昭和 28 年度 41 台 110 万ドルが輸入されている。当時国内メーカや建設省等では国内の貨車輸送などの点から考えて D8 級 (23t) ブルドーザの製作は企業的には無理であるとの意見 が多かった。(しかし一部には電源開発等の事業を見越してD8 級を国産化すべしという識者もあった)。小松がD120の生産に踏み切ってから昭和31-9に4型を、また昭和31-12 にト ルコン付の5型を出すにおよんで、ようやく実用機としての地位を確保 したのである。この間に電源開発事業において民間コントラク タが大型ブルドーザの有利さに着目し、ダム以外の敷地造成工
図 1.2-4 小松 D120 ブルドーザ 事、河川工事などに盛んに利用されるに至り、他社も NTK-12 (日時、 18t)、 BG(三菱 18 t)、 BE (23t) 等が作 られることになった。最近ではさらに大型化の状勢が続いているがこの点は後述する。
(iii) タイヤドーザの試作
クローラー型ブルドーザの普及にともない、その耐久性や維持修理費などについての考察が各所で行われた結果、足まわりの維持修理費が非常に大きいことが問題となった。また市街地の走行、機動性の向上などの諸問題の解決策としてタイヤドーザが採りあげられ、国土開発(株)が昭和 28年度にルターナ社のターナドーザスーパC型 (15 t/186 ps) 2台を輸入して使用した。これに刺戦をうけて建設省を中心として三菱・小松などでタイヤドーザの設計が進められ、昭和 28 年度の通産省工業化試験補助金を得て昭和 29 年に至り試作車の完成を見た。(機関誌 50 号参照)。三菱WH 型はシンクロメッシュ式変速機を、また小松 WD 140 型はトルコン付きの新機軸であった。その後の発達状況はあまり芳しいものとはいえないが、WH型はロータリ式除雪装置をつけて飛行場滑走路や国道の除雪に利用されている。試作の目的であった建設工事用として発展が見られなかったのは主として次の理由によるものと思われる。
(イ) わが国の土質・天候上の制約を大きく受けること。
(ロ) 工事の規模が小さいので能率化の余地が少い。それよりも万能的に使用できるクローラ型が歓迎されたこと。
(ハ) 足廻りの摩耗に悩まされた河川事業において、その予算が伸びないため、建設省などにおいて積極的な助成策がとられなかったこと。
しかるに米国においてはタイヤドーザとスクレーパの組合せから発展したモータスクレーパの発達は極めて顕著で、 このため掘削時のプッシャーとしてトルコン付き 30t 級プルドーザ(D9 など)の発達を促したことなどを考えると、 日本の作業条件とか社会事情とかが大きく影響していることが看取される。最近に至りタイヤドーザの再認識が行われ小松でも WD-140-2 型を作った(昭33年末)が、国内の大規模土木工事(例えば名神高速道路、愛知用水公団 牧尾ダム、農林省の岩洞ダム、その他飛行場建設)にモータスクレーパが利用され、今後の工事の高速化、能率化の 試金石として注目されている。
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