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-小説- ミモザからはじまる 【5.ギンヨウアカシア】 (最終話)

フェスを翌日に控え、亮の運転で会場へと向かう。助手席の若葉が、後部座席をのぞくと、シンの頬にまつ毛の影が揺れていた。
「シンさん、寝ちゃいましたね」
「喋りすぎのはしゃぎすぎや」
シンはあれこれ調べてきたという、フェスに出演する他のアーティストのこと、会場のこと、フードのことなど、運転しながら喋り倒していた。亮と運転を変わると、車内はすっかりと静かになった。
「はしゃぎたくなります。私もはしゃいでます」


若葉は窓の外を眺める。自分は止まっていて、景色の方が動いているようだ。景色は色を変えながら、川のように流れていく。窓が閉まっていても、風を感じる。
連なった緑の切れ間に、川が見えた。ゆるやかに川がカーブした辺りに民家があり、「うたたね」みたいだと思った。その景色を見送った若葉が小さく歌い始めた。その声に、亮がビクッと反応したことに若葉は気付かなかった。

「片方のイヤホン外せば聞こえる
 世界と混ざる 混ぜる音楽
 そよぐ木々 すべる水面
 すれちがう自転車の車輪
 君の声が聞こえたらなんて」

「その曲」
「『イヤホン』って曲です。知ってます? 結構昔の曲ですけど、CMでも流れてたみたいですよ」
無言でハンドルをぐっと握る亮の横顔をちらりと見て、若葉もまっすぐ前を見ながら言葉を続けた。
「この曲、私の原点なんです。音楽聴くのは好きだったんだけど、地味にひっそりと、ただそれだけで。初めてこの曲を聴いたときに、それまで思いもしなかったけど、自分で音楽してみるのもありなんじゃないかってひらめいたんです。この曲が開いてくれた。次の瞬間には、音楽やろうって決めてた。今でも気づいたら口ずさんでるんです。ずっと大好き」
若葉は頭に流れる『イヤホン』に沿って懐かしい思いをなぞった。
車の中にはアスファルトを擦るタイヤの音が響くだけで、亮は硬い表情でじっと前を見据えている。
亮が小さく震えた。
次の瞬間、顔が柔らかく崩れて、笑いながら話し始めた。
「若葉は天才やな。ほんまに。何て言うんや。偶然の天才か。縁の天才か。まあええわ」
「何? 急に何ですか。私が天才だったことなんてあります?」
若葉は首を右に左に傾けて、言葉の意味を探るべく視線をぐるぐると巡らせた。
「人生ってわからんなあ。おもろいなあ。若葉と会ってから、そんなことばっかりや」
意味を掴むのを諦めた若葉は、不思議そうな顔のまま、亮の横顔を見つめた。
「その曲な、元々はRoundの曲やったんや。俺が作った」
若葉は乾いた笑いを貼り付けた。
「亮さんらしい冗談ですね。本当にいい曲ですもんね」
「なんや。ほんまやで」
「はいはい。そんなことあるわけないでしょ。騙されませんよ。BRIGHT DAYの曲ですよ」
「そうや。俺らがライブで『イヤホン』演ってるの見て、レコード会社の人に声かけられたんやけど、メジャーデビューする他のバンドに提供してほしいって話で。悩んだけど、Roundの次につながるかもしれんと思ってOKした。正直、俺が歌うのが一番、Roundで演るのが一番に決まっとるって思っとったしな。やれるもんならやってみって。そしたらこの通りや。売れたんは、BRIGHT DAY。調べてみ」
ぽかんとした顔のまま、若葉はスマホの検索窓に「BRIGHT DAY イヤホン」と入力し、検索結果の一番上に出てきた歌詞情報を開く。
タイトルの下に書かれたクレジット、「作詞・作曲 Ryo.K」。
「Ryo.Kと書いてあります。亮さんは、河西亮さんです。ということは本当ということでしょうか」
「本当ということですよ」
亮は、柔らかくほほえんで頷いてみせた。
「軽やかにやりおった。俺は認められんかった。こっちがカバーしとると思われたくなくて『イヤホン』を歌えんくなって。それでも絶対Roundの方がいいやろって、腐ってしまって、どうにもうまくいかんくなった」
「そんなことある?」
「こっちのセリフやで。俺の因縁にずかずかと。「うたたね」で突然、Roundに入りたいって言うてきた子がきっかけでRoundがまた動きだすとか。その子が『イヤホン』きっかけで音楽始めたとか。まじか」
「まじか」
若葉はぱくぱくとつぶやいて、混乱を静かに片付けていく。しばらくすると若葉はいつもの熱を取り戻したように声を上げた。
「すごすぎる。人生で一番大切な曲を亮さんが作ったなんて。何で今まで気づかなかったのか、まぬけすぎて呆れます。でも、どう考えても、うれしいうれしいうれしい。亮さん、握手してください」
「何を今さら」
そういいながら、まんざらでもない表情で亮は左手を差し出した。若葉はその手を取って、勢いよくぶんぶんと握手をする。
「ありがとうございます」
若葉は最後に一度ぎゅっと握ってから丁寧に手を離して、亮の手をそっとハンドルに戻した。
「どういたしまして」
横顔から低い声が響いた。亮の背景を流れる緑が途切れて、若葉の瞳に光が射した。
「亮さん、また突然言ってもいいですか」
「やめとけ。言うな、言うな」
「もちろん言いますけどね。フェスで『イヤホン』やりませんか」
「おいおいおい。出たな、若葉のひらめき。思いつき。明日やぞ。セットリストも決めたやろ」
「それは変えたらいいだけじゃないですか。あと一日もあります」
「そんなん言うても」
「亮さんの気持ちもわかります。でも、私は、亮さんの『イヤホン』聞きたいです。それじゃだめですか?」
若葉のまっすぐな視線を感じながら、亮はもうそれで十分だと思った。
「恥とか今さらないな。そう思うのは自分だけやな。『イヤホン』やるか」
「ほんとに? やった! 亮さん、ありがとう」
「おい、シン。聞いとるやろ? 『イヤホン』いけるよな?」
シンはいたずらが見つかったかのように肩をすくめ、ゆっくり片目を開いて、小さく答えた。
「もちろん」
「起きてたんですか? シンさん!」
「こういう話を聞き逃さないのがシンや」
「その通り」
淡く笑うシンの寝起きの顔がバックミラーに映る。
「やるぞー!」
シンと若葉の『イヤホン』の合唱を乗せて車は走っていく。その表情は、どれもただただ笑顔だった。


UNBIRTHDAY FESのロゴが入ったTシャツを着たスタッフが忙しなく行き交う。緊張と高揚の混ざったその表情を見ているだけで会場の雰囲気が伝わってくる。
「フェスの裏側ってこんな感じなんですね」
若葉はそわそわと辺りを見回している。
「Round Scapeさん、今日はよろしくお願いします」
ざわざわした空気の中をまっすぐに貫いたその声は、太陽の光を音にしたようだった。そちらを向かずにはいられない、その声の主はアリスだった。
「亮さん、昨日のリハーサルに伺えなくてすみませんでした」
「スタッフのみなさんによくしていただいて、お気遣いありがとうございます」
亮がかしこまってぺこりと頭を下げる。
アリスは若葉の方を向いた。
「はじめまして、岩瀬アリスです」
スタッフTシャツをさらりと着た姿が本当にきれいだと思う。若葉は見とれながら、差し出されたアリスの手にそっと触れた。
「若葉さん、急なお願いに応えていただいてありがとうございます」
「いや、いえ」
若葉はもごもごと口を動かして、小さくなりながらも、アリスから目を離せずにいた。
「シンさんのピアノ。本当に楽しみです」
「嬉しいな。がんばります」
シンは満面の笑みを返した。
「みなさんのシャツ、すごく素敵ですね」
三人の衣装を褒めて、戻っていくアリスの後ろ姿に天使の粉が舞う。
「やっぱり、いいシャツだよね」
シャツを見ながらシンがささやいた。

フェス本番が近づいたある日、同じタイミングで「うたたね」に顔を出した亮と若葉に、シンが声をかけた。
「Round宛に彩から荷物が届いてるよ」
「彩さんから?」
「何やろ」
箱を開くと、ラッピングされた三つの包みと一通の手紙が入っていた。
「これは若葉やって」
亮が手渡した封筒には、「若葉さん」と書かれている。包みには、それぞれの名前のタグが付けられている。手に持つとふんわりと軽い。
包みを開いていく。白い草花の描かれたクラフト紙のかさりかさりという音の中から、柔らかな白色の光がこぼれた。彩から贈られたのは、白いシャツだった。広げてみると、三枚のシャツはそれぞれ形が違っている。亮には、小さめの襟がついたスタンダードなシャツ。シンには、スタンドカラーシャツ。若葉には、ふんわりとしたシルエットのブラウス。
若葉は手紙の封を開く。便箋には、ブルーブラックのインクで書かれた細くて美しい文字が並んでいる。若葉は声に出して読んだ。

「Round Scapeのみなさま
梅雨明けしましたね。フェスまであと一週間、セットリストは決まりましたか? 私は残念ながら仕事で行けそうにありません。代わりにというわけではないけれど、シャツを送らせてもらいました。もしよかったら着てください。この前、仕事でシャツを作られている方に知り合って、その方に作ってもらいました。形は一人一人をイメージして、そしてRoundの持つまるさとつよさをイメージして丸のパターンを刺繍してもらいました。それから、ミモザの花も。三人を守ってくれますように。いいステージになりますように、祈っています。」

手紙から顔をあげると、亮とシンはシャツを体にあてて見せ合っている。
「いいシャツやな」
「かっこいい」
重なった手紙を一枚、後ろに送ると、若葉の名前が目に入る。

「若葉さんへ
ここからは、若葉さん一人で読んでください。お願いします。
若葉さんに謝らなくてはいけません。初めて『うたたね』でお会いした時、あんな態度をとってしまって、すみませんでした。私はずっとRound Scapeのファンでした。いつも亮に助けられてきたように思います。亮の生み出す音楽が大好きで、今まで支えられてがんばってこられました。恩返しではないけど、亮にしてあげられることは何でもしたいと思ってきました。また音楽をしてもらいたいと思って励ましてきたつもりでした。いつしか亮のことは私が一番分かっていると思うようになっていました。だから、Round再開の話を聞いた時は、すごく嬉しかった。だけど、メンバーが若葉さんだと聞いて、私は一瞬で、なんでなんでの塊になってしまいました。私が今まで何を言っても、何をしても響かなかったのに、ふらりと現れた女の子があっさりと動かしてしまうなんて。そして、『うたたね』であんな言い方をしてしまいました。若葉さんに嫉妬していたのだと、今なら認められます。本当にごめんなさい。『うたたね』でのライブを見て、私の嫉妬は無意味だと思い知りました。二人のライブ、とても素敵で、いつまでも聞いていたかった。なかなか気持ちの整理がつかなくて、今さらですが、お手紙させてもらいました。
フェスのステージが、うまくいきますようにと、シャツの背中のミモザに願いを託しました。ミモザのことを色々調べていたら、本当はアカシアなんですって。『うたたね』にあるのは、ギンヨウアカシアって言うんだって。知ってた? ミモザはもともとおじぎそうのことで、葉が似ていることからミモザと呼ばれるようになって、ミモザという名前が定着したんだそうです。やっぱりミモザはミモザだよね。名前って不思議だなと思います。
若葉さんがRoundに入ると聞いた時、私はRoundの名前は変えるべきだと思っていました。だけど、今となっては若葉さんがいるのが、Roundなんだって思います。Round Scapeを残してくれてありがとう。
これからもRoundを応援してもいいですか? 若葉さんのファンでいさせてください。Round Scapeを動かしてくれてありがとう。
若葉さんは本当にすごいって思っています。
新野彩」

若葉は手紙を丁寧に封筒にしまって、テーブルの上のシャツにそっと触れると柔らかかった。シャツを体にあててみると、ふわりとなじんだ。胸ポケットや襟元に淡い丸の刺繍がさりげなく並んでいる。光の加減で丸が隠れたり浮かび上がったり、シャツの表情が違って見える。体から離すと、シャツの後ろ側にミモザの黄色が光って揺れた。小さなミモザの花をなでると、指先から温もりが広がった。若葉が顔をあげると、亮とシンのそそぐ視線があたたかかった。

彩からの手紙は、ギターケースの中に入れてある。若葉にとって初めてのファンレター。ギターケースに手を置いて、「いってきます」と声をかけた。
「Round Scapeさん、お願いします」
スタッフから声がかかる。
「それじゃ、行こうか」
亮が声をかけ、シンと若葉の背中にぽんと手を置いた。もう何も言えなかった。舞台袖からステージまでの歩みは、スローモーションで、その一歩、呼吸の一つ、まばたきの一つが永遠だった。
ステージに現れた三人の姿を、拍手が迎えた。Picnic Stageと呼ばれるステージの前方には、まばらに人がいるばかりで満員とは言えないが、「うたたね」でのライブの何倍もの観客がいて、ステージだって広い。後方には、キッズエリアで遊ぶ子どもたちの姿が見える。子どもの様子を見ている大人たちもくつろいだ様子でステージに視線を向けている。
三人はステージに立ち、交互に目を合わせて、うなずいた。あとはいつも通りにやるだけ。若葉は、シャツの裾をピンと伸ばした。
一曲目は『around』。目を閉じた亮が息を吸い込む。何度聞いてもハッとする、その息の音さえも音楽だと若葉は思う。
息が声になり、声が歌になる。

「いつもの道が 知らない道」

亮の歌声に、若葉のギターが重なり、そしてシンのピアノが包みこむ。こんなに優しい音がする曲だったのかと、亮が目を開くと、ステージが木々に囲まれているのが見えた。
Round Scapeの音楽が、草木の間にしみこんでいく。光に溶けて降り注ぐ。観客の肩を揺らす。曲が終わると、拍手に歓声が加わって届いた。亮がそれに応える。
「こんにちは。はじめまして。Round Scapeです。よろしくお願いします」
亮の声は低く強く空気を震わせる。若葉の音は跳ねるように躍る。シンの音はきらめきながら漂う。鳥のさえずりを乗せた心地よい風に、三人の音が舞う。観客の声を巻き上げて、穏やかに熱くライブは進んでいく。少しうつむいてから、亮は観客に話しかける。
「次の曲は、すごく久しぶりに歌う曲です。何かを乗り越えたいと思って。個人的ですが、どうぞお付き合いください」



 『イヤホン』

 取り込め音楽 揺られていく毎日
 閉じ込められた自分なだめる
 足りないものをうめる

 語りかける「Hello Hello」
 靴の中 指が踊って 扉が開く

 片方のイヤホン外せば聞こえる
 世界と混ざる 混ぜる音楽
 そよぐ木々 すべる水面
 すれちがう自転車の車輪
 君の声が聞こえたらなんて

 満たせ音楽 彩られる毎日
 衝動 体からあふれる
 音楽が僕に生きる

 僕の中で「ま、やってみな」と
 ずらり顔をそろえて ほほえんでいる

 両方のイヤホン外せばはじまる
 世界が音楽 自分が音楽
 眠っていても 迷っていても
 いつまでも消えぬ宝物
 僕をはるか導いてくれる


 この香りは あの曲みたいだ
 あの景色は この歌みたいだ
 この思いは 僕の曲なんだ


 優しい風 なびく髪
 君の耳のイヤホンがのぞく
 どんな音が流れているの?
 僕もそこに行くよ
 君にとどく 歌を

 片方のイヤホン外せば聞こえる
 世界と混ざる 混ぜる音楽
 そよぐ木々 すべる水面
 すれちがう自転車の車輪
 君の声が聞こえたらなんて

 君にも聞こえたらいいな



シンが奏でるイントロがきらめきをまとって走り出す。何の重さも感じていないかのように、軽やかに鍵盤の上を駆けていく。音のまぶしさに大きな歓声が沸く。
Round Scapeの、亮の、『イヤホン』が始まる。
亮が深く息を吸って歌い始める。亮の熱い声が、観客一人一人の心にある音楽に語りかける。
手拍子や歓声が、次々に積み重なってふくらんでいく。
こんなに明るくて前向きで穏やかな気持ちでステージに立つ日が来るとは思わなかった。確かな二人の気配を感じて、更に熱が込もる。
ステージ前方に観客が押し寄せてくる。音に惹きつけられて、違うエリアからも観客が流れてくるのが見える。キッズエリアでは、子どもたちが踊っている。くるくる回ったり、でんぐり返しをしたり、メロディを使って、リズムをつかんで、気ままに遊んでいる。
止まらない汗の中、楽しくておかしくて、笑うように歌って、笑いながら演奏した。
曲が終盤にさしかかる時、一人の観客の姿が亮の目に入った。観客の着ている黒いTシャツ。胸にはRound Scapeのロゴ。昔、初めて作ったRound ScapeのTシャツだった。その表情があまりにも晴れやかで、色あせたTシャツとの対比が、これまでに過ぎた時を思わずにはいられなかった。あなたが過ごした時と、自分が過ごした時。
今まで笑っていたのが嘘のように、込み上げてくる思いに喉が詰まる。視界がぼやけて、汗なのか何なのかわからない。
急に日が雲に隠れ薄暗くなる。
亮の声が聞こえない。
亮の声をうめるように、とっさにシンのフレーズがつなぐ。誰にもそうとは気付かせない圧倒的な説得力を持つ音だった。全ての光がシンの指に集まり、音の川となって導く。その音が、「行け!」と若葉の背中を押す。
若葉はささやくように歌い始める。

「この香りは あの曲みたいだ
 あの景色は この歌みたいだ
 この思いは 僕の曲なんだ」

若葉の声は、次第に熱を帯びる。亮にこの歌を届けたい。
深くうつむいた亮の耳に、シンの音が流れ込み、若葉の声がじわりと染みてくる。この歌は自分の歌。シンの歌。若葉の歌。そして、この歌を歌うあなたの歌。全てが無駄ではなかったのかもしれない。
顔をあげて、まっすぐに、歌を歌う。

「僕もそこに行くよ
 君にとどく 歌を」

若葉の声に、亮の声が重なった。
まだ間に合う。この歌を届けに駆け抜ける。
雲が流れ、どっと日の光が差し込む。光に細めた目は、どれもほほえんでいる。
音が止んで、風さえも、鳥さえも、静かになった一瞬ののち、歓声がはじけた。ぎゅうぎゅうになって、笑いながら、手をたたき、声を上げる。子どもたちは、飛び跳ねて手を振っている。一生忘れない美しい景色がそこにあった。
「ありがとう」
亮はそう言うと、タオルでごしごしと顔をぬぐった。振り向いて、くしゃっと髪をかきながら、困ったような顔で笑ってみせた。シンと若葉は、笑顔でうなずいた。
「最後の曲!」
若葉が声を放つと、すぐさまシンのピアノが弾ける。亮と若葉が交互にかけあい、時に声を重ね、互いに導きあう。


 『Sky Blue Soda』

 ステージライト まぶしくて目を閉じる
 息を吸う音が 大きく聞こえる

 最初の一言 迷子にならないよう
 ぐっと引きよせる
 声が歌になる

 もっと歌って歌って歌って
 この部屋を満たしたい
 もっと奏で奏で奏で
 足りないと思ってばかり

 Sky Blue Soda
 光のあわが つぶつぶと
 Sky Blue Soda
 丸く丸く丸く 浮かんでくる
 Sky Blue Soda
 小さなあの子のひとみ
 キラキラと たたく手 あげる声

 ひとみがライト あたたかく照らしてる
 すべての音が 音楽になった

 最後の一音 とどめておきたいよ
 丁寧にならす
 歌が空気になる

 もっと笑って笑って笑って
 その顔を見ていたい
 もっと踊って踊って踊って
 忘れてもかまわない

 Sky Blue Soda
 浮かぶ月は どこまでも
 Sky Blue Soda
 あわくあわくあわく 見つめている
 Sky Blue Soda
 かけひき いらない 思うまま
 あの子の寝息も 一つの音色

 ああもう完璧だと すべて忘れて
 思ってしまえる日があってもいいだろ
 こんな夜はそうそうあるもんじゃない

 Sky Blue Soda
 光のあわが つぶつぶと
 Sky Blue Soda
 丸く丸く丸く 浮かんでくる
 Sky Blue Soda
 小さなあの子のひとみ
 キラキラと たたく手 あげる声

 Sky Blue Soda
 笑う顔が 拍手が 歓声が
 Sky Blue Soda
 次から次へと 浮かんでくる
 Sky Blue Soda
 残さず 味わう 飲み干す
 こんな夜に会いたくて 歌が生まれる
 歌う歌う歌う


終わってしまう。
引き止めたい。
全てを最後の一音に込める。
声がやみ、ギターがやみ、ピアノがやむ。
ピアノから顔をあげたシンは、二人の後ろ姿を見ながら思う。店の前で写真を撮ったあの時の予感は、当たっていた。でも、まさかここまでは想像がつかなかった。自分の店で出会った二人と、そのライブをカウンターから見ていた自分が、今、同じステージに立っている。たまたま流れ着いただけのようでもあり、初めから決まっていたことのようでもある。偶然と必然の軌跡がここにある。
「最高のライブにしてくれたみなさん、また会いたいです。ありがとう!」
若葉が声を尽くす。
亮は右の拳を掲げ、シンはさらさらと手を振って、ステージを後にする。
若葉は、残さず吸い込みたくて、腕を大きく広げ深呼吸をした。そして会場の隅から隅まで、後ろの後ろまで届くように、大きく大きく手を振った。
自分にしかできないとは言えない。けれど、三人だからできる音楽があるのだと、今、はっきりと言える。
若葉が遅れてステージの袖に戻ると、シンの側に崩れ落ちた亮の姿が見えた。
しゃがんだ格好のまま三人で寄り添って、聞こえてくる余韻をじっと聞いていた。

「本当に最高でした。亮さん、シンさん」
ステージ裏を歩きながら、若葉が声を発した。
「若葉ちゃん、頼もしかったよ」
「私も『イヤホン』歌えて幸せでした」
亮は黙ったままでいる。
「せっかくだから僕は、他のライブ見たり、フラフラしてから帰るね。じゃまた」
シンは手を振って、すたすたと歩き出し、少しして振り返った。
「若葉ちゃん。亮。ありがとう!」
シンはそう言って顔をくしゃっと笑って、フェスの風景の中へ入っていった。
「亮」
呼ぶ声がして振り返る。
「……大介?」
亮が小さく名前を口に出した。
「亮、久しぶり。今日は、Seven Stageのサポートに来とって。タイムテーブルにRoundの名前があるから、ちゃうやろと思いつつ見に来たら、亮やった。懐かしすぎてめまいしたで」
「ああ」
「めっちゃよかった。やっぱいい歌、歌うな。亮が楽しそうで、たまらんかった」
大介は、目に涙が浮かぶのをごまかして、若葉に向けて言葉を続けた。
「ギターもよかった。自然に体が動いて、お客さん、みんな踊っとったな」
「ありがとうございます」
大介の大きな声に、若葉は小さく笑った。
「俺も昔Roundでギターやっててん。いいギタリスト見つけたな、亮」
大介は、Round Scapeのかつてのメンバーだった。
「ごめん。あの時はごめん」
伏し目がちだった亮は、そのまま頭を下げた。
「ちょいちょい、そんなんやめてや。俺が悪者みたいに見えるやんか」
「ほんまごめん」
さらに深く頭を下げた。
「ええから。亮がRoundのこと大事にしとったんは、みんな分かっとる。今日、Roundとしてステージに上がったのが何よりの証拠やろ。今さら怒っとるやつなんかおらん。みんな亮には感謝しとる。あの時、音楽誘ってくれて、ほんまおおきに。何もない俺に亮が道を見せてくれた」
大介の言葉に、亮は頭を上げて、視線を合わせた。
「あいつらに言うたら喜ぶわ。また飲み行こうや」
「ありがとう」
「相変わらずウーロン茶か」
「相変わらずや」
「ウーロン茶のうまい店、探しとくわ。また連絡する」
笑い合う二人の影が美しく揺れるのを、若葉は目に焼き付けた。
「じゃまたな」
「おう」
大介の長く伸びた影を二人は見送った。

「こんなところにいた」
ビールのカップを両手に持って、シンが彩の元に駆け寄った。
「シン! ほんとによかった。めちゃくちゃ楽しかった」
「本当に? ありがとう。ちゃんと弾けてよかった。わ、懐かしいの着てる」
「そうなの。私が初めてデザインしたTシャツ」
Round Scapeのロゴが入った白いTシャツ。今のロゴに比べると太い文字に勢いを感じる。亮にデザインを頼まれて、褒められて、嬉しくてたまらなかった。若かった自分のあの時の気持ちに、ここまで導かれてきたんだ。
「ライブ中、探したけど全然見つからなかったよ。もっと真ん前で見たらよかったのに。亮に会っていかなくてよかったの?」
「ううん。ちゃんと聞こえてたからいいの。今日はフェスを楽しみに来たの。そのために仕事終わらせてきたんだから」
「うん。そうだね。打ち上げだよ、彩」
シンは持っていたビールを彩に手渡し、空に掲げる。
「さすがシン! 準備いいね。それでは。共に戦ってきた私たちに、カンパイ!」
「カンパイ!」
合わせたカップの中で、ビールに太陽がとろりと溶けて輝いた。
「おいしー」
「うまー。今日、来てよかった。シン、ありがとう。私も前に進めると思う」
労うように励ますようにうなずいて、もう一度カップを合わせた。へこんだカップが柔らかく指を押し返した。
「今日は楽しむよ!」
「おともします。次どこ行く?」
はしゃぐシンと彩の声が跳ねる。
フェスのタイムテーブルを見ていると、出演アーティスト紹介の中にあるRound Scapeの写真が目に入った。
「この写真、もっとかっこいいのにしたらよかったのに」
「時間もなかったんだけど、これがよかったんだ。すごく愛おしい写真でしょ」
「うん。愛おしいね」
ミモザの側で亮と若葉の写真を撮った後、シンも一緒に入ると言って撮っていた写真だ。画角に入るのが難しく、くっついて笑いくずれた表情の三人がそこにいる。
シンは、写真にそっと触れる。
「このミモザから始まったんだ」

鳥の声が聞こえる。高い声、低い声、長い声、短い声、混ざり合って一瞬たりとも同じ音ではない。
亮と若葉は、側に小川が流れる遊歩道を並んで歩く。
「若葉」
名前を呼ぶ亮の声は優しい。
「こんな所まで来れると思ってなかった。連れてきてくれてありがとう」
「私が亮さんに付いてきただけです。ありがとうございます」
ゆっくりとした歩みに合わせて、足下で小石が鳴る。
「若葉に会わなかったら、どこにも行けなかったと思う。どこかに行けることにも気付けなかったと思う」
「『うたたね』のフライヤーのとこで」
「そう。あのフライヤーのとこで」
風が強く吹く。
木々の葉が揺れる。
鳥が飛ぶ。
空には白く細い月がほほえんでいる。
若葉が立ち止まって見上げる。
木漏れ日が降り注ぐ。
亮は振り返り若葉を見る。
きれいだと思った。
「ねえ、亮さん」
ゆっくりと空から視線を移し、まっすぐに亮を見つめる。
「私とずっと一緒におってほしい」
若葉は右手を差し出した。
「初めから分かってたこと、なんやろ?」
亮は腕を伸ばして、若葉に歩み寄った。手の平と、くすくす笑う声が重なった。
「若葉とずっと一緒におる」
初めてつないだ右手と左手が、ゆらりゆらりと歩いていく。
「帰ろう」
シャツの背中のミモザも、それに合わせて揺れていた。


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