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「阿波連さんははかれない」があまりにもはかりしれなかった件

それはエモさと馬鹿さを兼ね備えた、隠れた当たり枠

つい先日 阿波連さんははかれないがエンディングを迎えた。

とある高校に通う阿波連れいな は、人との距離をはかるのが苦手。入学して隣の席になった ライドウ は彼女と距離を感じていた。ある日、れいなが落とした消しゴムを拾ったことをきっかけに、ライドウは彼女の「他人との距離を加減できない」性格と、孤独な過去を知る。再び「はかれない」行動を取ってしまったことを謝り彼女は再び孤独に戻ろうとするも、ライドウがそれを受け入れたことで2人は打ち解ける。それ以降、れいなとライドウはよく2人で過ごすようになる。

何かにハマったれいなに付き合って自らも虜になったり、不思議な仕草から良からぬ未来を妄想してやめさせようとしたりなど、彼女の予測不能な動きにライドウはいつも翻弄される。しかしながら、クラスメイトや近所の小学生も巻き込んで日々を過ごすうちに、2人の距離は次第に縮んでいくのであった。

wikipedia 『阿波連さんははかれない』より

これはwikipediaより引用させていただいた阿波連さんの概要である。まぁなんかごちゃごちゃ書いてあるが基本は日常ギャグアニメと思っていただいて差し支えない。ほんの少しシリアスなシーンも出てくるが基本的には頭を空っぽにして見ることの出来るアニメである。
正直に言って見る前、事前情報は何一つ知らなかったし、就活で疲れていたので、「少しも心の琴線に触れないクソ日常系でも見るかw」といった浅はかな理由であった。「進化の実」のような穴の開いた靴下をただひたすら眺めてた方が面白いアニメだったらさっさと切ろう。そんな思いで見ていた筆者をこのアニメは良い意味で大きく裏切った。今期はかなり面白いアニメが多いように感じているが本作はそういった他のアニメにも負けない魅力がある。今回はその魅力について列挙させていただきたい。


  • 魅力その1 ツッコミ不在

両者この真顔である

このアニメにはツッコミ役が永遠に表れない。誰も突っ込まない。あり得ない展開はそのまま突っ込まれることなく放置されていく。そして、これは筆者の癖(へき)なのだがこういったツッコミ不在のアニメを見ながらゲラゲラ笑いながら突っ込むのが筆者は大好きなのである。テニプリと似たようなものと思っていただきたい。今では普通に人が5mくらいでっかくなって進●の巨人リスペクト始めたり、試合中にミュージカルが始まって、(作品内でテニミュ始まった?)となるのを、だーれも突っ込まず真剣な感じで話が進んでいくテニプリだが、本作もそんな感じである。家より大きなかまくら作ったり、窓の外に吊り下がってる友達がいたり、あり得ない状況、あり得ない展開が多発するが、誰も突っ込まない。つまりこの作品のツッコミは読み手、自分自身なのである。しばしばボケに対するツッコミが大きくて、少し寒く感じてしまうようなアニメも存在するが本作はそもそもツッコミがないので、寒くも感じない。私のようなランジャタイやトム・ブラウンが大好きな特殊な癖の持ち主や、日々ツッコミに飢えている上京したての関西人の方などには是非オススメしたい作品となっている。

  • 魅力その2 作画の無駄な安定感

この距離感で「あいつらイチャついてる」的な良くある煽りもないのである

今作は本当に無駄に作画が安定している。正直に言って作品のテイスト的に多少ほちゃったりへにゃったりしても何ら問題はないのだが、本作は本当に無駄に作画が安定している。本作がこんだけ崩れないのに劇場版五等分は怪しさ満点、制作サイドの悲鳴がそのまま聞こえてくるような作画だったので、やはり神様はいないのだろう。神様がいたら本作の作画が崩れ、五等分はもっと完璧な作画でお届けできていたはずである。(一応補足だが、五等分も大切なところはちゃんと作画も良かった。何より声のついた名シーンの数々は普通にエモかったし、是非劇場に足を運んでいただきたい。)ただ本当に自分の記憶の限り、本作の作画が乱れることは一度もなかった。作画崩壊で気持ちが萎えてしまうナイーブオタクなあなたにもおすすめの作品である。

  • 魅力その3 水瀬いのりの囁き声

目もでかけりゃ涙もでけぇ

「いのすけや あぁいのすけや いのすけや」
これは松尾芭蕉が阿波連さんを視聴した際、余りの声の破壊力に語彙が破壊されて生まれたとされる一句である。先ほどまで列挙した魅力なんて言わば戯言、就活における「御社の企業理念に共感し・・・」みたいなものであり、本作の魅力の798%はこれである。水瀬いのりの囁き声、それを聞くだけで人は安らぎ、癒され、最終的に溶けてなくなるのである。もちろん筆者はもう溶けてなくなっている。概念と執念、この世の未練のみで今回の記事を書き連ねている。男の子の大半が一般に好きだと言われている、スポーツ、ロボット、おっぱいに、水瀬いのりの囁き声が並ぶのもそう遠くない未来であろう。 特に最終話は必見だ。余りの尊さに松尾芭蕉は「わが生涯に一片の悔いなし」と言い遺し、この世を去ったと言われている。無論私も生涯に悔いはない。この記事を書き終えた頃には私の成仏も完了しているであろう。大体冷静に考えてほしい。「水瀬いのりのASMRが無料でアニメのついでに聞けます。」 見るだろう?それは。そういうことだ。なんならアニメなんていらなかったのかもしれない。人は皆、水瀬いのりのASMRを聞きたくて辛く苦しい日々を生き抜いているのだ。早くCANDY VOICEは水瀬いのりを起用してくれ 頼む。少々値が張ろうが俺が買う。なんなら元の音源を買う。言い値で買おうじゃないか。あぁ?


最終的に筆者の理性が壊れてしまい少々話題が逸れてしまったが、個人的に馬鹿げた展開、誰も突っ込まない空気感、阿波連さんの可愛さと様々に推せる要素がそろっていて、かなり面白いアニメだった。所詮は日常系で、見ていて衝撃のどんでん返し等があるわけではないので、無理に見るようなものではないが、時間のある方はぜひとも一瞥し、成仏していただきたい。


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