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アポロ弁当計画

 女性と交際した際に最もされて嬉しかったことは?と聞かれたら、相手が言い終わらぬ内に「弁当を作ってもらったことだ」と即答出来る。彼女の彼女による私のための弁当。時間差で発動する愛のトラップカード。こんなに素朴で確かな幸せがあるかね。たとえ手が込んでいなくても、慌ただしい1日の始まりに弁当を拵えるのがどれだけ大変なことか。朝に弱い、というか昼さえ弱い私からしたらノーベル平和賞モノである。
 
 先日仕事の合間にコンビニに行き、いつものように食事を買うはずが、そのときはやけに値段が気にかかり、これかと手を延ばしては、いや高くないかと引っ込め、ではこれかと手を延ばしては、これっきしでは腹が満たされぬと引っ込め、それならこれかと手を延ばしたものは最早食いたいものではなかった...物価上昇もいまに始まったことではないが、日々流れ出る金や、それ以上に自制が利かぬ自身の贅沢振りに嫌気が差し、
 
 とにかくもう
 コンビニで散財なんて
 うんざりだった...
 Angel!!!
 
と、それなら弁当を作るかと思い立った。これまでは恋人に作ってもらう弁当に、憧れただけサ...と自分で作るというのは違う、と傲慢にも思っていた。しかし私が弁当を作ってもらえるような境遇から何百万光年も離れた位置にいるのは自分でもよくわかっているし、私は私のために弁当を作るのだと決心した。社会人生活十年越しの、アポロ弁当計画である。
 
 決心したのは良いが、料理の知識がない。まずは基礎から学ばねば弁当が弁当にならない。ネットで書物を買い漁り、動画を見漁り、何がどう利くかもわからぬまま、みりん、酒、酢、片栗粉、パン粉、各種調味料、諸々買い揃えていった(先ほども何となくカレー粉を買ってみた)。そうこうしている内、この料理はこんなにシンプルに、或いは面倒に出来ていたかと膝を打ち、動画で有名ホテルの料理長の手際に感心し、長年謎のベールに包まれていたみりんの正体がわかり、片栗粉が馬鈴薯であることを知り(栗という字に騙された)、世界への視野が拡がる感覚があった。
 
 いよいよ弁当を作る時が来たか...となったあたりで、『私たちのお弁当(マガジンハウス)』という本を手に取った。これは様々な職業の人々が実際に作っている弁当の写真と、本人による説明文が載った本である。読み進めて行くと、人間の健気さや、親やその上の世代からの継承、家族への愛、人それぞれの人生に心底感服してしまった。しかし感服していたのも束の間、
 
 「う〜ん、ちょっと彩りがねぇ...」
 「それじゃタンパク質が足らんし、糖質が多過ぎるよな」
 「曲げわっぱっていかにも弁当らしくてよいけど、レンジで温められないのは論外だなぁ」
 「ごめん、卵焼きに他の具材混ぜられるの無理なんだわ」
 「メインが弱くて、弁当の端の寄せ集めのようだな」等々、
 
自らの好みにおいて他人の弁当に散々ケチをつけている自分がいた。あまりのクズ振りに唖然として本を床に落とし、私は人に弁当を作ってもらう資格など一切ないことを再認識した。こだわりが強過ぎるのだ。グルメではない癖に食の好みがうるさい。屋台で相手の言い分を一切聞かない『ブレードランナー』のハリソン・フォードのようである。
 
 節制のため、彼女に作ってもらいたい意地も捨て、弁当を作ろうとしたことで、自らの最低さを痛烈に思い知らされた。そこまでだ!とサーチライトを浴びせられた気分である。くっ!どこで私は間違ったのだ。とにかくもう時が戻ることもなく、非常に切なくなった今年の春だった...Angel!
 
追伸、ショックで寝込むところだったが、泣きながら己の理想とする弁当を作った。どうだ、私にも弁当が作れたぞ!!!わはははははははは!......

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