靖国神社の問題 ~何が問題か、ところどころ偏見~

日本の右派勢力のあらまし


安倍晋三の逝去と安倍派の凋落後、長らく国家神道的価値観を持ったリーダーが日本で影響力を及ぼさなくなりましたが、いまだ、国家神道的価値観を内包し、活動しているところがあります。
靖国神社です。
「戦没者に哀悼の意をささげ、平和を祈念してる」から問題ないよ、と言う人が多いですが、私は違和感を覚えます。
 ということで何が問題なのか、ボチボチ上げていきます。

問題1.日本を破滅させた人々を祀っている

一番にして最大の問題がこれです。
 これに関しては歴史問題なので色々整理したいと思います。
 まず、靖国神社とは、日本軍、自衛隊の戦没者を軍神として祀る施設です。(墓参りという人がいますが、ここが違います。軍神になっちゃう訳です。)
 そして、靖国神社には第二次世界大戦の時の東京裁判で戦犯指定された人が軍神として祀られています。
 そして、ちょこっと歴史の勉強した私からすると、「こいつ明らかに戦前の日本を破綻させた奴がいるだろ」感のある人が結構祀られているのです。
なんで日本を滅ぼした人を軍神にするねん、というのが私の”違和感”の一番大きなところです。
 また「A級戦犯が合祀されてるからよくない」という人もいますが、それも違います。東京裁判は当時、日本の事情とかよく分からない英米中の裁判官による即席軍法会議と呼べる裁判であり、後世から見ると、疑問的な判決も多くあるのです。
 死刑判決の中には「こいつは死刑じゃなくて良くない?」と言う人も多くあり、それが議論を余計にややこしくしています。もちろん、死刑で当然やな、と言う人もいっぱいいます。
 なのでちょこっと、完全に私の独断と人物表でまとめました

東京裁判の死刑者リスト 主にA級戦犯


  1. 東条英機 死刑
    妥当でしょう。言わずと知れた、太平洋戦争開戦時の総理大臣、中国からの撤兵をガンとして拒否し、戦争を主導した。昭和天皇の和平の意思を尊重しきれなかった。政治ビジョンを持たない、内政屋だが、陸軍の総意を代弁し、戦争を主導したのは、やはり死刑相当でしょう。

  2. 板垣征四郎 死刑
     死刑以外ありえないでしょう。政府を無視して満州事変を主導し、日中戦争の戦端を開く。内蒙工作を進め、日中戦争を無制限に拡大し、泥沼化させました。完全に日本を破綻させた男の一人です。関東軍参謀長として、戦線不拡大派の石原莞爾を関東軍中枢から追い出したうちの一人でもあります。

  3. 武藤章 死刑
     死刑以外ありえないでしょう。石原莞爾無き後の軍参謀として、軍の戦線拡大ビジョンを進めました(石原のビジョンに比べれば、ビジョンと呼ぶにはあまりにお粗末なものでしたが)盧溝橋事件で戦線拡大を主張。その後、「石原の言うとおりだった」と戦線拡大を後悔しますが、日中戦争を泥沼化させた責任は取るべきです。のちにフィリピン方面の参謀に就任し、対米戦線も無制限に拡大させます。脳みそついてんのか。

  4. 木村兵太郎 死刑
     死刑は妥当ですが、罪状が違います。敵前逃亡で処刑されるべき男でした。当時の政治史、戦史ではあまり名前が出てこない、軍の中枢にいた人物ではありません。
     対米参戦後、日本軍はインド、ミャンマーから中国を支援する英米(援蔣ルート)を妨害するため、ミャンマーに侵攻します。これがビルマ方面軍です。(有名なインパール作戦はこの時)
     戦争末期、ビルマ方面軍はイギリスから逆侵攻をかけられるのですが、木村兵太郎はパニックに陥り、恐怖のあまり司令部の許可も取らず、ミャンマーを全力で逃げ出しました。ミャンマーは大混乱。外国要人や在留日本人の保護義務も果たさず、赤十字や民間人に大量の死傷者を出したその責任は重いものがあります。
     平和に対する罪か、と言われると微妙ですが、敵前逃亡で死刑は妥当でしょう。

  5. 松井石根 
     個人的には死刑は妥当ではない男です。アジア主義者であり、蒋介石との和平の場を作っていました。(張作霖爆殺でご破算)しかし、失点も多い男です。特に大きいのが第10軍の南京攻略追認です。第10軍は独断で南京に侵攻し、松井はこれを止めるのに失敗しました。松井は南京攻略を前に「南京城攻略要領」を兵士に示しましたが、南京事件(南京大虐殺)は実行されてしまいます。
     この時「皇軍の名に拭いようのない汚点をつけた」と嘆き、訓示「軍紀ヲ緊粛スヘキコト」「支那人ヲ馬鹿ニセヌコト」と兵士に強く言いつけています。
     その後、トラウトマン工作を通じて蒋介石との和平を画策。トラウトマン工作は成功しつつありましたが、日本の歴史に残るバカ、近衛文麿首相の「蔣介石を対手(あいて)とせず」の宣言(第一次近衛声明)で日中の和平の道は完全に断たれます。ここに松井の努力は全て水泡となりました。
     裁判の形式上、南京事件の責任をもって死刑となりましたが、その行動は、日中戦争の拡大を止めたり、南京事件を止める方向に進められており、死刑とするには厳しかった男と言えるでしょう。ちなみにB級戦犯

  6. 土肥原賢二 死刑
     死刑は不当でしょう。奉天特務機関長として、満州国と中国の情報工作にかかわっていた男です。華北分離工作の中心として、北支五省の分離独立を進めました。
     分離独立を進めたと言いながら、その方法は情報戦や内政によるところが大きく、現地中国人の信頼も勝ち得るほどの信頼を得ていました。事実、満州事変後の奉天市長に就任しています。
     ですが、その政治影響力を恐れた蔣介石により「土匪原」と呼ばれるほど、非難され、蔣が独自に作成した日本軍戦犯順位の資料で1番に上げられていました。
     その恐るべき影響力から、中国から強硬に死刑を主張されましたが、その手法は情報戦、心理戦。さらには人徳を重んじる人格者であり、死刑は不当であったと言わざるを得ません。生きていたら、日中の懸け橋になっていかもしれない人物。

  7. 広田弘毅 死刑
     議論がありますが、私は死刑は妥当ではない、感情論の死刑だと思っています。A級戦犯唯一の非軍人の死刑判決者。
     政治史の中で前半と後半で大きく政治スタンスが違います。前半では、アジア主義者であり、過激化する満州国の戦線の非拡大に努め、協和外交を取りました。陸軍の「皇国国策基本要綱」を骨抜きにする。帝国議会で「私の在任中に戦争は断じてないと云うことを確信致して居ります」と発言し、この発言は蒋介石や汪兆銘からも評価されるなど、戦争回避に尽力しています。
     しかし、後半、第二次近衛内閣以降、外務大臣としての広田は陸軍の意見を丸呑みするだけであり、政治力を失っていました。「広田外務大臣の如きはあまりに消極的で、こういう大事な時に進んでちっとも発言しない」とされ、” あ の ”近衛ですら「外務省は広田さんの消極的な態度にはほとんどあきれ返って、下の者がまるでサボタージュというような状態だ」と称しています。政治学者の猪木正道氏も「一九三六年のはじめごろから、広田は決断力を失ったと思う」と称しています。
     さらに、東京裁判ではその裁判態度が問題になります。広田は全責任を背負い、余計な弁明をしなかったため、裁判で不利になったのです。その中で「自分は死刑になるべき」とほのめかすことも発言しています。
     「太平洋戦争を止めようとしていた」という印象を国民の間にも強く持たれていた広田に対する死刑判決には、減刑するように全国から数十万という署名が集められ、首席検事のジョセフ・キーナンですら『何という馬鹿げた判決か。ヒロタが死刑などとは、まったく考えられぬ。ヒロタの絞首刑は不当だ。」と称しています。
     当時の世論もそうだし、総合的に見ても、重く見ても広田は陸軍の追随者であり、死刑には相当しない、というのが妥当でしょう。
     ちなみに、広田弘毅は靖国神社に祀られていますが、軍人ではないし、遺族に無断に靖国神社の神主が祀ったそうです。「東京裁判はおかしい。広田弘毅のような人もいる」という靖国神社の政治戦略と言われています。

  8. 番外 辻政信 起訴されず逃げ切る
     この男はかなりの例外。戦中に虐殺事件や軍の中枢にかかわっていた男です。
     軍歴としてはノモンハン事件を主導後、シンガポールの戦いで英軍を破りシンガポールを占領した後、華僑を「抗日分子」として大量に処刑しています。(シンガポール華僑粛清事件
     また、バターン半島侵攻後のバターン死の行進については大本営の方針に逆らい、「米比軍投降者を一律に射殺すべしという大本営命令を伝達する」とわざわざ偽の虐殺命令を伝令しました。
     バンコクにおいて終戦を迎えた辻は数名の青年将校とともに青木憲信と名乗って日本人僧侶に変装しタイ国内に潜伏しました。バンコクにおける中華民国代表部に赴いて日中平和の為働きたいと大ボラを吹き、中国に潜伏します。その後、上海から国内に潜伏し、戦友、寺院、右翼団体に匿われたり、偽名で炭鉱労働者として国内に潜伏します。
     1950年、戦犯指定を解除された辻は、自らの潜伏生活を書いた「潜行三千里」でベストセラー作家となり、右派の重鎮となります。アメリカの束縛から離れた辻は『第三次世界大戦アメリカ必負論』とそれに基づくアメリカ駐在軍全面撤退論を唱えはじめ、やがてGHQやCIAなどの情報機関から疎まれるようになってゆきます。
     1952年にに衆議院に初当選、政治家として政界に影響を深めます。
     そんな折、1961年、北ベトナムに向かった辻は突如として失踪します。詳細は不明ですが、経歴からスパイと思われた現地フランス軍に処刑された、との証言があります。失踪したまま、死亡宣告がなされました。
     CIAからは「政治においても情報工作においても性格と経験のなさから無価値である」「機会があるならばためらいもせずに第三次世界大戦を起こすような男」と称されています。
     死刑にされず逃げ切った男ですが、死刑が妥当でしょう。逃げ切ったのちに、政治家になって、そのあと殺されましたが。

まぁ、総体としては、「日本を破滅させた人も結構いるよね」という感じです。

問題2.国家神道の中心施設である

あまり言われないですが、これも問題です。
 例えば、神道の武神で言うと、鹿島大明神や香取大明神、諏訪神なんかが上げられますが、こういう伝統武道を守護してきた武神と違い、靖国神社は軍人を武神とする、近世の神社です。まぁ、乃木神社という、軍人を祀った神社もあったりするのですが、乃木希典みたいな立派な人と違い、靖国はがっつり日本を破滅させた人も祭られているのが違います。
 おまけに信仰してる人が「戦後GHQがどうとか」言う陰謀論者みたい人ばっかりです。陰謀論のたまり場であり、国家神道の中心施設なのが結構危険だと思います。
 私が思うに、靖国神社が、軍神を祀り、武を奉納するにふさわしい神社になるには、もう100年くらいかかるでしょうね。風化や時間切れを狙うには少し長すぎるでしょう。

問題3.千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるよ

という訳で最後の問題がこれです。こういう問題が起こるので、宗教的問題と切り離した、戦没者の墓が一応ちゃんとある訳です。終戦時に平和を祈念するにはこっちでもいい訳ですよ。
 じゃあ、靖国って何?という感じになります。

大体これが問題かなぁ、と言う感じですね。

何回か言ってるのでまとめておきました。

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