自由のカラス

自由というと『自由の女神』
ではなくて私はカラスを思い出す
「自由のカラス」だ

憧れでもある。そういうふうに考えたの最近でそれまでは、黒猫と同様にどこか不吉でマイナス的な印象だった

黒猫は不吉というよりは前を横切ると不幸が訪れるとかいい加減な噂のような、それでいてジンクスのような確固たる認識があったけどカラスに関してはおそらく死骸も食い尽くすイメージから不穏な鳥類として不気味に感じていただけだった。

実際近くでみたカラスは 身近にいるどの鳥よりも
カラダもくちばしもガッシリしていてどこか鋭い
おまけに子育て期に近づくと石をを投げられるという話もきくとにかく強い カラス最近、そのカラスに憧れるようになってしまった自由だということ。
ゴミ荒らすので嫌われるだけど気にしないゴミの中から人間の出した生ごみを食べるのも自然の虫を食するのも死骸を口にするのも気にしていない

そんなことを考え私の世界ではどうだろう
人々の評価は絶対で
カラスのような忌み嫌われるようなことがあったら生きてはいけない気がするから憧れた。

衝撃的なことはやはり、田んぼの真ん中にいた二羽のカラス。
仲睦まじく、田んぼに顔を突っ込んでおそらくなにかを捕食していたのだと思う
近所のごみ置き場がシートで覆われたせいで生ごみにありつけなくなったのだろうけど、そこから自然で本来の餌を求めていくなんて思わなかった

偏見もあるし、普通にあることなのかもしれないけれど、少なくともその光景を目の当たりにしたのは初めてだった。
初めてが故に感動してしまった。
そして、その選択をすることのできる頭脳の良さに憧れににた感情を抱いてしまった。
死肉を喰らうことも、生ごみを漁ることも
当たり前だと思っていたカラスという種族は決してそうではなくても生きる方法を選択できるのだ、
穏やかに、そして楽しむようにしていた「田んぼのカラス」をみて思った。

現代の社会を遡った世界では、卑下た者の食事さえ他者に管理されていたのを考えるとそれもやっぱり、自由ではなかったなって思った。

1886年にニューヨークにフランスから寄贈された銅像

アメリカの1776年7月4日の
独立記念日100周年を記念して創られた。
ってとこまでしか知らない

世界各国が似たようなタイミングで
独立していたり、解放していたり
流れができてて興味深い「自由」への道

カラスが真っ黒な形態をしていることにも
凄く興味深くて
神聖な服は「白」か「黒」
そこからしてカラスって実は嫌うような鳥ではなくて
神聖な鳥なのではないかとさえ思いはじめてた。

鳩は聖書にもでてくる代表的な象徴だけど
カラスって特に調べたこともなくて
情報をしらなかった

人と同じようにRGPや紫外線を認知する
社会性がある
巣立った子は親の面倒をみてくれるらしい

ますます
惹かれてしまう
イメージは怖かったり、不気味だったりするんだけれど
実は感情が人間に似ている。

ひとりの人間から何かされたりすると
色別できるからひとりずつ覚えていられるらしい
これが攻撃につながるんだな

人は誰かに嫌なことされると
覚えていて仕返ししたりするから
そういうところも似てる

選択をしているカラスがいたことで
よけい親近感を感じたのも
自分が人間なのに関わらず
それができていない

わたしは人の目を気にしていて
食べたくもない
死肉や生ごみを平気なふりして食べるのだろう
そして、やりたくもない復習に加担して
それが社会性を身につけていくことだと思っていたんだ

黒い服をまとい
人から遠巻きにされ
自由であることを揶揄されるのも
それが人間であるから
そう思ってしまうのは
自分が思う通りに行動していないからなんだな

必死に生きるために
選んだものは
決して悪いものではないはずなのに
なぜか恥じてしまうのは
それが汚いものであると自覚しているから
自分が好んで選んでいたことではないから

本当の選びたいこと
自分がしたいこと
それを見つけなおすことから始めよう

そんな風にかんがえた

あれ以来
わたしはカラスの動向に注目している

多種多様な世の中にあって
全身黒で
ある意味スタンスを変えない芸術科の塊のよう

よくみていれば
喧嘩も遊びもこなしていて
好き嫌いもはっきりしているのだろう、たぶん

投げられた米粒を
ついばむような ちいさなことにはこだわらず

投げられるパンがなければ
自分から奪いに来るのも流石だとおもう

ただ、自転車のかごから
買い物袋を漁られた時には
やはりムッとした怒りにかわるのだけれど
それでも
まあ思い切ったことをするものだとおもった。

人のような感情をもち
けれど
落ちぶれているかの様ふるまい
じつは
孤高で我をもち
自らの行動に自信に満ち溢れたようにみえる
それは
いまのわたしにとっては
眩しくもあり
みならいたい部分でもあった。


社会性ってどの世界でもあるんだなぁってあらためておもった

これを書く機会に調べていこうと思ってる
今回はその出始めってことで私のなかではファーストストーリだ




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