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誰もが思っている人生程、何もない

みんな自分の人生に自信がないんだな

どのブログも
写真から、飾りつけの罫線ひとつ
お洒落で工夫してあってキラキラしていた。
こんなこと調べて、あんなこと考えて
何気ない日常を観光地のように紹介していて
とにかく真似できない! って思っていた。
それが古いネット社会の印象。

Twitterがでまわってきた辺りから、いわゆるSNSってやつのハードルがグンと、さがった気がする。
たった数行、下手したら一文字。
それで、だれかの共感を経て「いいね」が沢山つく。

気になった人は簡単にフォローし
気に入らなければブロック

好きな時に好きなことだけ呟けばいい。
すっごい幸せコンテンツだと思う。

Xと名前がかわっても
内容が変わるわけではない
でも微妙な空気感の違いがでてくるのはなぜなんだろう? 

いままで、いろんなコンテンツを利用してきたけれど
過去一番楽しかったのは、やはり「チャット」だったかな。

ブログも立ち上げてみたものの、
とにかく面倒だったのだ。
なのでHP作成して満足して終わってしまった。

とにかく、ネット社会に馴染んだのもチャットからだったと思う。

いわゆる管理人がいて、誰でも参加できるチャットサイトがあった。
参加者はCookieを残すことが条件だったはず。
なにか問題があればそこから対応する。
と、いうやや実験的なサイトだったと思う。

いまでこそ当たり前のそのサイト形態は、当時めずらしかった。

ログインして
挨拶して、適当に会話する。
20代そこそこで世の中には大人と称されて
やはりフィールドは格段にひろがった。

チャット相手は、ネトゲ? の感覚に似ていて
年齢、性別、関係なくて
必要なのは、お互いの興味とコミュニケーション

当時仕事を始めたばかりで
バリバリの新社会人のわたしにとって
特にお気に入りだったチャット相手が
高校生の子たちだった。

いま思えば、あそこの管理人はものすごく偉大な開発者だったのではないか? と、思っている(チャット名を覚えているので検索かけてみようと思うの)
とにかく革命的だった。

仕事が忙しくなってきて、しばらくできなかったとき。
久しぶりにはいったチャットの空間は変貌していた。
以前はログも、会話もオープンに誰でも参加できて、ログインしているメンバーによっては、全員と会話することも可能だった。

それが

小さなグループができていて、参加を打診して、OKがでれば会話できる。と、いうような流れに変更していた。

このように、ちょっとでも仕様がかわると
全然別のサイトにきてしまったような感覚になる。

結局は、その感覚は生きているのだろうと思う。

空気感がまったくかわってしまうのはどうかとも思う。
ネットの世界だって、ある意味日常だ。
そんなに簡単にしよう仕様を変えられたら困るのだ。

個人的なブログが、あんまり見かけなくて
ある意味コミュニティーがそれぞれ存在するアプリで
様々な意見を言うしかない

ただし、ひと言で言い表せる対面は
だいたいうまくいくんだよ。


月日が流れていても、やっていることは同じ
キラキラのHPが 
ブログのサイトへと形が変更になっただけだと思っている。
内容がかわらない。

透明なんて面影もないけど 人生なにもないんだ
そんな風に


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