おはよう という呪縛

爽やかに あいさつ
朝は比較的元気にあいさつ
そんなのが世界中で
求められてる気がする

わたしの世界は恐らく
だいぶ狭い
知らないことが当たり前で
知ってることのほうが珍しい
好奇心は大きかったと思う

小さな頃の記憶はあるけど
ぼーーーっと生きていたような気がしてる
まるで体を通して目から覗いてみているような感覚だった。
さすがに赤ちゃんの記憶があるわけではないので、一番の幼少期で、3歳頃か2歳か?
身体の中に意識だけが入っていたような、そんな記憶がある。

なので、世間一般常識的な発想は皆無だった。お洒落して、旅行に行って、美味しいものを食べて、、、

幼少期に決して平和ではない家庭で育ったせいもあるだろうけれど、それにしても興味がなさすぎた。人と交わらない感情が邪魔してたんだろう。混ざりたくないとか同じになりたくないとか。あえて、人と違ったものを好んだし、選んだ。

人が嫌いと言われたら否定できない。
でも人は好きだった、とも思う。

そんな狭い知識の私が 「おはよう」について語るのには情報不足過ぎるだろう。

なので、あくまでも個人の主観だ。

朝は1日の始まり。
地球の殆どは太陽に向きはじめたら朝、反対向いたら夜。

つまり太陽が自分たちと生活を照らすのは朝。
大事な時間。
1日の始まり。
そういう認識が共通項なんだと思う。
(宗教的な感知はさておき)
その あしさつ
日本なら「おはよう」
意味は深掘りできないけれど、それはきっと力強くとか、厳粛的な思いが込められてるんだろう。 だから あいさつの
「おはよう」は元気よく言わないといけない

それは、もう呪縛だろう

と、おもうわけです。


おはよう みなさん

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