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スミテリーの杜 事件を吸い込むサイキスト 最初の事件(第二回)


 初めからの予定通りE海岸に向かった。平日の真夜中過ぎだ、先行車も後に続く車も、対向車も殆ど無かった。それでも、猛スピードぼくを追い越していく車もあったけれど、のんびりと車を走らせた。
 運転は上手くない。免許を取るときには苦労した。

「死に急ぐことは無い」と、思った。

 国道4☓☓号はなだらかな坂を登って行った。峠はトンネルだった。
 トンネルを抜けると道は下りの急勾配になった。もう、アクセルを踏む必要は無かった。逆にエンジンブレーキでは効かなかった。アクセルを離しただけではスピードが出過ぎた。運転に自信がないぼくは、必死でブレーキを踏み続けた。やがて道はループ橋にさしかかった。ぼくは、ますます、ブレーキを踏み続けた。
 やがて、道は家が立て込んだ海沿いの集落に入った。
 直ぐにE海岸に出た。点滅の信号を左折。海岸沿いの国道3☓☓号になった。二十分程走り、小さな公園を見つけ駐車場に車を停めた。
 車を降り、海に向かって歩いた。月明かりと外灯の中、かすかに潮の匂いと波の音が聞こえた。
 公園は階段状で海に降りていた。ぼくは階段の一番上に腰をおろした。
 暗い海を見ながらコーヒーを飲み、チョコバーを口にした。
 親父とお袋を殺した酔っ払いは、結局、ぼくに「すみません」とは言わなかった。「酔はさめていると思った。おれは運が惡かった」と、しか言わなかった。親父とお袋が乗った車を信号柱に飛ばした男も「おれは運が悪かったのだ……。」としか言わなかった。
 運が悪いのは、お前ではなく、このぼくだ。

 貯金も百万円を切ってしまった。仕事もない。
 明日のご飯も買えなくなるのは、時間の問題だ。
 このまま行けば、犯罪者になるか眼の前の海に浮かぶかだ。
 あの世の親父やお袋も、ぼくが犯罪者になるのは望まないだろう。最も、ぼくできる「犯罪」と言ったも“万引き”くらいだろうけれど……。
 じゃぁ、死ぬか……。
 ぼくは立って階段を降り始めた。後、一歩踏み出せば海に入るところで足が止まった。
 もう、一歩が踏み出せない。
「フン、そんなものだ、ぼくは……」と、呟いた。
 車に戻り、車を発進させた。ここで都合、三十分くらい暗い海を見ていた、ことになる……。
 国道3☓☓号を、再び、南下し、二十分くらい車を走らせた。
 真っ暗な家が立て込んだ集落の信号が点滅している交差点を左折した。道は狭く急な勾配が続いた。急なカーブも続いた。勿論、街灯もない。
 ぼくのボロ車はあえぎ声をあげて何とか上りきった。
 峠に近づくと急に道も広くなってトンネルになった。トンネルの中は蛍光灯で明るかった。暗い道を運転してきたぼくには、真昼のようだった。
 トンネルを出て三十分くらい走ると、国道☓号との交差点。左折して一時間後、N市内のボロアパートに戻った時は東の空が明るくなっていた。
 ぼくは煎餅ぶとんにもぐりこんだ。
 そして、あっと言う間に深い眠りに落ちた。

 暑さと空腹で目覚めた。辺りはすっかり明るくなっていた。携帯電話は八時過ぎを示していた。顔も洗わず外に出ると駐車場で隣の部屋の八十代で一人ぐらしの老人がしきりに通りの方をのぞいていた。パトカーが見え、制服警官も数人見えた。
「何かあったのですか?」と、ぼくは老人に声を掛けた。
「あの屋敷の爺が殺された」と、爺さんが嬉しそうに答えた。口臭と酒の匂いがした。平日の朝から飲んでいるようだ。
 昨夜、通りかかったぼくの目の前に車が飛び出してきた屋敷で殺人だ。
「いつごろですか?」
「昨夜の深夜だそうだ」
「深夜……」
「何か知っているのか?!」 爺さんはぼくを睨んで、そう言った。
「いや、何も」と、ぼくは思わず爺さんの視線を逸らした。
「何か知っていても言わない方がいいよ」と、酔っ払い爺さん。
「じゃ、コンビニに行ってきます」と、ぼく。爺さんの言ったことが聞こえなかった振りをして歩き始めた。
 爺さんと殺された老人は同じ年代だ。屋敷に住む老人は資産家。
 でも、この爺さんは酒におぼれて奥さんと子供たちは出て行った、という噂だ。で、このボロアパートで一人暮らし。
 どっちが、人生の勝者・敗者かは明らかだ。
 しかし、資産家は殺され、このじいさんは生き残った。「皮肉だね」と、ぼくは心の中で呟いた。
 でも、生き残っただけで勝者とも言えないか。

 屋敷の前を通りかかると、門から二人の男が出てきた。五十前後、ぼくの死んだ親父くらいの男と、二十代なかば過ぎの男。
 中々のイケメンだった。
 ぼくは思わず目を逸らした。
「すみません」と、年かさの男が話しかけてきた。
  聞こえない振りをして通り過ぎようかとも思ったけれど、返って怪しまれると思い直して振り返り男を見た。
 二人は警察手帳を提示した。年嵩は鈴木で巡査部長。イケメン男は佐藤で巡査。
「鈴木、佐藤は馬のくそ」と、ぼくは呟いた。
「えっ!?」と、 鈴木部長刑事。
「なんでもないです」
「お近くにお住まいですか?」
「あのアパートに住んでいます」と、ぼく。
「丁度良かった。昨夜の十一時頃から今日の一時頃までに不審な車とか人影を見ませんでしたか? 異様な音とか!!」
「十二時ごろ?」と、ぼく。「寝ていましたから何も知りません!」 
 ぼくは嘘をついた。不審な軽乗用車を思い出したけれど、ここは“何も知らない”ことにした方が良いと思った。

 でも、ぼくは大きなミスを犯した。刑事達が“十一時頃から翌日一時頃まで”と広い時間を言ったのに、ぼくは“十二時”って言ってしまった……。
 時間をぼく自身が限定してしまったのだ。
 二人の刑事が互いに顔を見合わせた。
「昨夜は蒸しあつくて寝苦しい夜でしたけれど……」と、鈴木刑事。
「エアコンをガンガン利かせて寝ました」と、ぼく。また、嘘をついた。思わず刑事たちから目を逸らした。
「何か思いだしたら連絡をください」と、鈴木刑事が名刺をくれた。
 これがぼくと鈴木刑事との最初の出会いだった。

 二つのパンと小さなサラダ、それにオレンジジュースをレジに持っていくと昨夜のあの爺さんだった。まだ、働いていたのだ。
「昨夜、あの屋敷の爺が殺された時間くらいに、あんた、ここに来たけれど何か変わった物は見なかったかい?」と、爺さんが横柄に言った。
「いや、何も」と、ぼく。思わず言葉が強くなった。隣にいた店員や客が、ぼくを不思議な目で見た。
「ついさっき、警察が前の通りが写っている防犯カメラ映像をコピーして持っていったよ」
「そうかい」と、ぼくは気の無い返事をして金を払いコンビニを出た。
 でも、すっかり忘れていた。ぼくは刑事達に“昨夜十二時には寝ていた”と言ったけれど、防犯カメラにぼくはバッチリ写っていることを……。

 ぼくが住むN市は人口七万にもならない小さな街だ。冬は雪に埋もれる。事件なんて、尚更、殺人なんて凶悪事件はめったに起きない。それが、一人暮らしの資産家老人が殺されたので、当然、話題になった。

                           つづく


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