個人的探求 なぜぼくは働きたくないのか

なぜぼくは働きたくないのだろうか。
これはぼくの悩みでもあり、ぼくではない誰か悩みでもあるかもしれない。
ということは、ぼくの悩みではないのかもしれないが、とにかく働きたくない。
ぼくが今している仕事は激務というわけではない。でも、働きたくない。
これだけは世界の中心でも、すみっこぐらしでも叫びたい。
この思いだけは本物だ。
僕は本物がほしい、みたいな事を言ってた小説もあったような記憶があるが、齢35にして記憶も定かではない。
こんな内容のないことばかり書いてても心苦しいし、引用っぽいこともしてみたいので使ってみる。最近読んでる「反応しない練習」の序盤早々にこんなことが書いてあった。

①「悩みがある」②「悩みには理由がある」③「悩みには解決策がある」と、順を追って「理解」していくことで、どんな悩みも確実に解決できるというのが、ブッダの合理的な考え方です。

反応しない練習 

この考え方は素敵だと思った。
僕には切実な悩みがある。
そして、その悩みの本質を捉えることで今考えている僕の「本物」が解決へと結びつけるかもしれない。
そんなことを思って、ここに文章を綴ろうと決意した。

これはなぜぼくは働きたくないのかの探究であり孤独な散歩者の夢想になるかもしれない。
かもしれないと書いていればなんとなく考えてるふうな空気感も出てくるんだなと感じているかもしれない。
それでも、なにかの意味があると信じて書いていきたいと思う。

セカイ系単純作業系工場系おぢとしてここに生きた思い出を作りたいと思う。


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