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Overseas Korean (5) イタリア男

Cocktail People : 人はみな、いろんなもので出来ている。
何かのベースにいろんな味がまざってシェイクシェイクしたカクテルのようだと思っています。

『Overseas Korean 10』では
Koreaベースだけれど、わけあって韓国以外の国で育ち
ある時期、韓国ソウルに集まった
Overseas Korean たちの話を綴っています。

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教育院には、幼少期にアメリカやヨーロッパに養子として送り出されたグループがいた。朝鮮戦争の間にアメリカ軍人との間に生まれた子供たち、戦災孤児などの養子縁組が始まりとされるが、血統主義の根強い文化的背景および経済的理由から海外に送り出すケースが多かったとされる。

ステファノ(イタリア): 黒+Goldチェーン+長髪+日焼け

ソウルにはG.O.A.L. (Global Overseas Adoptees' Link) という養子養女のための協会(http.//www.goal.co.kr)がある。アメリカの養女が 1998年に設立。
ルームメートのサンネ(オランダ養女)が出入りしていることもあり、私も何度か足を運んだ。そこで、ステファノを初めて見かけたのだ。

23才(当時)。生後9ヶ月の時にイタリアで養子となり、ヴェネチアで育つ。

真っ黒に日焼けした肌。真っ黒でストレートの長髪を後ろでひとつに結んでいる。ノースリーブの黒のシャツに黒のパンツ。首にはゴールドのチェーンが数本。胸には十字架のチャームがぶら下がっている。時計は金系。両手首にゴールド系のブレスレットをじゃらじゃらいわせている。指にはおとなしめに(?)数個の指輪が窮屈そうに並んでいた。

ステファノは挨拶もはなしも、とにかくジェスチャーが大げさ。一緒にエレベーターなど乗ろうもんならその手でひっぱたかれる人もいたくらいである。
とにかく派手。とにかく目立つ。
フェリックス(フランス養子)と頻繁にナイトクラブに出入りしている噂もあり、韓国語習得に集中したかったので距離を置いていた。

そんなある日。ステファノと道でばったり出くわしてしまった。

場所は仁寺洞(インサドン)。この近辺はいつでも老若男女、屋台でごった返している。友達と数メートル離れてしまったら見失しなうような混雑ぶりである。
ステファノは数メートル前を歩いていた。携帯電話を片手に。トレードマークの長髪、日焼けした肌、電話で話していてもおおげさなジェスチャーつき。きわめつけは、大きな声というよりは騒がしい話し方。

私は歩調を速めて追いついた。電話の相手はフェリックス。また夜遊びの相談だろう。挨拶だけのつもりだったのに、ステファノはしつこくお茶に誘ってくる。先約があると断るが、約束の場所までエスコートしていいか、とステファノはくじけない。そうして歩きながら話しをした。初めてふたりきりで話していると、何の脈絡もなくいきなりステファノは語り出したのだ。

「昼間は一人ぼっちで寂しくて寂しくてたまらないんだ。」

ステファノは教育院に在籍してはおらず、別の学校にいっているわけでもなかった。旅館の一部屋を借りて一人暮らしをしているという。

私は考えていた。
グループの中で会うステファノは、イタリアンを無理して演じているという印象があった。見ているほうが痛ましくなるほどに懸命に。けれど、こうしてふたりきりで話してみて、はじめてステージから降りたステファノを見た気がした。

ステファノの過去

ステファノはどんどん自分の話をしてくる。
ヴェネチアで過ごした幼少期は勉強熱心ないい子ちゃんだった、と回想する。
「それがよう、ある日ふっと気がついて周りを見たわけよ。ほしたら自分は一人ぼっち。カワイコちゃんは自分より全然勉強もせずちゃらちゃらしたマッチョイタリア男に群がってるわけよ」  
「ああ、そうかってかんじ。その時だな、決心したのは。自分はイタリアン以上のイタリアンになろうって自分に誓ったよ」

ヴェネチアの自宅近所には学校も含めてアジア系は誰も居なかったという。見かけるアジア系といえば観光客くらい。そして、彼は言う。
15才くらいまでアジア人が嫌い嫌いでたまらなかった。観光客も出来れば見たくなかった、と。

一いったい何が彼を変えたのか?一

韓国に来る前に自分にはひとつの時代があったという。
それは、アメリカ放浪時代。

ロスで泣いて泣いた

「ロスアンジェルスのコリアンタウン行ってそりゃまあ、おったまげたわけよ。自分とおんなじような顔した人がうじゃうじゃいて」
「アジア人は汚くて惨め。アジアレストランで こまこま 働くっていうイメージがぶっとんだ。綺麗な女性や裕福な人達が一杯いたんだ。いっぱい、いっぱいいたんだ。みんなすっごく美しかった。美しくて美しくてあんまり美しくて歩きながら涙がでた」

いつのまにか韓国料理屋で話しを聞きながら、ふと彼が酒類に手をつけないことに気付いた。

「以前アル中だったんだ。体が麻痺しちゃって。それ以来お酒は断ってるんだ。」といいながらコカコーラをぐいっと飲み干した。
外見に反してお酒は飲めないのか。なんとなく滑稽で、一瞬笑いそうになったが、その理由を考えると彼のこれまでの壮絶な足跡を想像せざるおえなかった。

結局アメリカ西海岸に2年滞在し、イタリアへ戻る。そして韓国を目指したという。

そして韓国へ

私 :「どうして韓国に来たの?」
ステ :「だって、自分は紛れも無く韓国人だから。ここで生まれたから。僕はここに居場所があるんだ」
「でも、どうしてつながりを持っていいのかまだ分からない。模索中ってとこかな。今、日中はオリンピックスタジアムの清掃夫として働いてる。時々イタリア語も教えて割のいいアルバイトもしてるよ。土曜日は G.O.A.L. (養子支援団体)で韓国語のレッスンを受けているんだぜ」

ーステファノのイタリアの友人ってどんな奴らかなあー

「アメリカからいったん帰国して、イタリアの友達に、今度は韓国に行くって言ったら、何行ってんだ!イタリア人だろお前!韓国なんて行く必要あるのかよ! って言われたよ。友達の中には俺に腹を立てた奴もいたなあ。あいつら、いい奴たちだけど、分からないんだよ、俺の気持ちは」

私 :「韓国に来てどう?」
ステ : 「道行く人達がみんな自分と同じ顔していることがたまらなくうれしい」
「それに、G.O.A.L.を通じて、教育院の参加者と知り会いにもなれた。俺の気持ちをこんなに素直に伝えられる人達に出会えたことが一番かな」
「アメリカで放浪し、あちこち孤独な旅に出て、やっとやっと韓国で気持ちを伝えられる相手に出会えたことが一番なんだよ」

私は思った。これまでいろんなことを考えて、いろんなことを試して、心も体もぼろぼろになって、韓国に来て、こんなふうに無防備に自分の話ができるなんて、ステファノって悪くないよなって。
普通は、傷つけば傷つくほど懐疑的になってどんどん心を閉じて自分の内に内にこもってしまうものなのに。
今、彼は話す相手を渇望してる。一人ぼっちでいた時間が長ければ長いほどその期間を埋めるためにも相手がほしくなる。
ステファノが韓国で世界の『ステファノ』に会ったのが遅すぎなくて良かったなって、思った。

「俺にとってはコヒャン(故郷)はヴェネチア。祖国は韓国」
「ワールドカップでイタリア 韓国戦があったらって?もちろん韓国応援するに決ま
ってんじゃん!!!」
ああ、また大げさなジェスチャーが出てきた。

韓国名: ヤンス 国籍:イタリア 25才(当時)


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