その先へ進め 「GET OVER-JAM Project THE MOVIE-を観て」

私は普段はお絵描きをしながら色々と思いを発散しているしがないインターネットお絵描きマンだ。
本日(2021年2月23日)「GET OVER-JAM Project THE MOVIE-」を鑑賞し、


アッ、これはもしかしなくても人生のターニングポイントというべき瞬間だ…!?このクソデカ感情は多少トホホでもいいから文章に残さなければならない!


と「理解」してしまったので、ここにその記録を残す。
もう一度言うがお絵描きマンなので文章はド下手である、暖かい目で読んであげてほしい。

あとそれからガッツリネタバレを含んでいるので、できれば映画を観てから読んでほしい。

もちろん私のクソデカ感情を面白がって映画を観るキッカケとしてくれるのも1ファンとして嬉しい限りなので、そこは読者に委ねたい。


フォロワーはすでにご存知かと思うが、私はJAM Projectというアニソンシンガーのグループがめちゃくちゃに好きだ。
2004年くらいに存在を知って以来、楽曲はもとよりライブにも足繁く参加する程度には人生の推しとして私のアイデンティティの結構高い割合を占めている存在だ。
パワフルかつポジティブなスピリットに満ちた集団であり、生粋の根暗気弱オタクな私が人並みのプラス思考ができるのはJAMの前向きなメッセージをこの十数年間歌とライブパフォーマンスを通して浴び続けてきたからと言っても、おそらく大げさな表現ではないだろう。

そんなJAM Projectは2020年に結成20周年を迎えた。
JAM Projectのパフォーマンスにおいて、ライブは切っても切り離せないものであり、当然アニバーサリーツアーの企画が組まれていた。
しかし知ってのとおり、2020年は誰もが予想しなかった事態となり、JAMのツアーも中止を余儀なくされた。
その中で唯一配信という形で内容を縮小し開催された東京公演の中で私はもちろん、ファンの誰一人予想しなかったであろう発表があった。

JAM Projectのドキュメンタリー映画が製作されたのだ。

これまで様々なシーンでアニソン業界では初めての試み…と言われることを実行してきたグループだが
まさか映画になるなんて…えっ映画って、何………?と映画そのものについて記憶喪失をする程度には動揺した。
そんな状態なものだから、その映画が本当に公開されるものだという実感がなかなか湧かなかった。
この映画のムビチケにはバックステージパス風のステッカーが付く。
JAMメンバー5人それぞれのテーマカラーを表したカラーバリエーションがあるもので、これは揃えねばなるまいと10枚ほどムビチケを買い、
唯一自引きできなかった青色のステッカーを
心優しい初対面のJAMファンの方に手持ちと交換してやったー5色揃ったーなんて喜んだりもしたが
(交換してくださった方、本当にありがとうございました!)
それでもいつもの映画を観るときの、公開日を待ち焦がれる高揚感のようなものはまるで感じられなかった。

それどころか、日に日に私に押し寄せるものと言えば「恐怖感」だった。
実際、あまりの得体のしれない恐怖感からフォロワーに「手を握ってて…」と助けを求める始末だった。
イマジナリーおててを繋いでくれたフォロワーにもこの場で礼を述べたい。
好きなアーティストのドキュメンタリー映画なんて、
普通は見れないあんなところやこんなところが見れるのではないかと、ワクワクしてくるものだと思っていたが、いざ人生のバイブルのドキュメンタリー映画が公開されると知った自分の反応はあまりにも真逆のものだった。

私は言わずもがないわゆるオタクであり、マンガやゲームなど…引っくるめればフィクションのものが大好きなタイプの人間だ。
虚構の中とはいえその中で演出される力強いメッセージに心打たれ、涙を流し、魂を震わせるような人間だ。
私の場合、その虚構の中にJAMが含まれている。
彼らはパワーに満ちていて、パッションと優しさを持ってアニソンを聴く者に勇気と希望を絶えず提供してきた存在だ。
プロフェッショナルのアーティストである故に、彼らもまたその姿を揺るぎないものとして私達に見せてきた。
コロナの脅威に晒される中ファンへのメッセージとして公開された動画で、
笑顔でまたライブができる日は必ず来ると話している姿はとても印象的だった。

その姿の裏側を、果たして私は見ていいのか?

それが私の「恐怖感」の正体だ。
コロナによって、あらゆる当たり前が覆されてしまったのは記憶に新しい。
それ故に嫌でも、というか…私もいい大人なのでどこかで薄々は気付いていたことに直面せざるを得なかった。
その当たり前じゃなくなる当たり前の中に当然JAMも含まれるということである。

私がいい大人になるということは、JAMは更に良くも悪くも大人だし、この先それぞれがもっと大人になっていく。
当たり前のことだけどどこかで「まあでもJAMはいつまでも元気だもんね」と目をそらしてきた。
その漠然とした元気というイメージは、当たり前のように新譜を発表し当たり前のようにライブを開催する姿だ。
だがコロナ禍となり、震災直後でも現地へ趣き即興ライブをして被災者を勇気づけてきたようなJAMが、ライブそのものを出来なくなってしまった。
ああ、JAMでさえ、何もできなくなってしまう現実って…あるんだ。という一種の絶望感があった。
そしてそれはなにも今の特殊な状況には限らない。もっと踏み込めば、年齢とか体力とか、売上、マンネリズム…生々しい事実だ。
虚構の存在として、光り輝くものとして見ていたとしても、社会に連なる以上永遠のものではない。
そういうものと直面したくないという気持ちが、恐怖という形で私の精神にどっと溢れてしまったのだ。

……とは言っても、ブルっちまっても腐ってもオタクである。
見せていただけるものは全部見なくては気がすまないし、
なによりJAMそのものに「勇気を持て」「立ち上がれ」と十数年間聞かされ続けてきた人間だ。
そのメッセージに生かされてきた人間が今更怖いから!と
勇気をくれた人たちの勇気ある告白から目を背けていいのだろうか。

断じて、否だ。
しがない埼玉県民には縁遠い六本木ヒルズのお洒落な佇まいに若干気圧されながらも、私は劇場へと立ち向かったのである。

しかし映画を見た私は、意外にもどこか安堵すらしていた。
JAMのメンバー本人たちの口から語られる赤裸々な言葉によって
私の恐怖が予想していたものが恐ろしいくらいにそのままスクリーンに映し出されていた。
でもそれは残酷な現実を暴力的に晒し出すようなものではなかった。
むしろJAMは、その現実を如何にして我々ファンに届ければ、その向こう側に進めるのかということを真摯に追究しようとしていた。

これがプロフェッショナルたるJAMの力強さの根底なんだな…と感じた。
現実に存在する難局を乗り越えるには、その難局を冷静に認識する必要があるし
それに挫折もすれば、勢いを一時は失うこともあって当然だ。
私達はそのまま、乗り越えることを諦めてしまうこともあるし、
もっと平らかで無難な選択ができるならそうしたいと思うときもある。
JAMも勿論、そういう場面はあるのだと思う。
でも、それでもと立ち上がる様こそが「そこにあるJAMの現実」なのだと理解したら、
恐怖とはなんだったのだろう……と自分が馬鹿らしくなってしまった。
そのプログレッシブな姿勢の集大成こそが
「JAM FES(9月に開催されたJAMとアニソンシンガーによる無観客フェス)」なのだとわかった上でその映像を見たらもう涙が止まらなかった。

このパワフルで、ポジティブで、とても熱いエネルギーは決して当たり前に存在するものではなく
JAM自身が様々な壁を乗り越えて、私達があらゆる障害に挑む勇気をもってはじめて成立するものだろう。
劇中にあった「エネルギーの循環」という言葉がぐっと胸に響いた。

この映画は間違いなく、当初想定していた内容から
コロナによって大きく変わってしまったに違いない。
でもそれこそがドキュメンタリーであるし、
何よりJAMが伝えようとしているメッセージは20年前も2019年の時も、
そして今も何一つ変わっていない。


私達は乗り越えていかなければならないのだ。

Get over (意味)~を乗り越える、~を乗り切る、~を克服する


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