【黒木啓司さん芸能界引退に寄せて:③】7年越しに描かれた完璧な前日譚【HiGH&LOW】

こちらは連続記事の3番目となります。

3. 2018-2022 〜そこに彼がいなくても〜

FM公開から時間が過ぎ、新規作品にROCKYが出なくなってからも、何かがある度に彼のことに思いを馳せては、それを言語化して繋ぎ止めておきたい、フォロワーと共有したい、という気持ちを抑えられずに、不定期に衝動に駆られたツイートを続けてきました。しょーもないものも多いですが……。

いやー、何もないときも騒ぐ騒ぐ。この頃になると、リプライツリーを用いて作品全体を振り返りながら語ることが増えたので、別のキャラクターの話も多くなっているのはご容赦ください。

でも、たとえばDTCザ湯でSMGとキャストが慰安旅行の休暇をもらったと言及していたように、あるいはその後リスペクトしたシーンが見られたように、たとえそこにいなくとも言及されるだけで想像が膨らむのがROCKYという男でした。これはザワで村山さんがコブラちゃんに電話するシーンにも通じます。それほどまでに、彼らSWORD第一世代は特別で、存在感の強いキャラクターたちでした。

さて、2019年以降のシリーズ展開はというと、新たなキャストを中心に据えた鬼邪高全日生のスピンオフであるザワシリーズにシフトしていきます。新作公開のたび、折に触れて「頭という存在」や「子供と大人」などを考えることもあり、その度にROCKYの存在は頭をよぎりますが、一方で今後は世代交代と「子供の喧嘩」へのフォーカスが進み、ROCKYを含むSWORD第一世代の物語を観ることはもうできない……とずっと思っていました。そこに突然、思いもよらない方向から彗星のごとく、それはもたらされました。

4. 宝塚歌劇『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』の衝撃、そして再び輝きを放つSWORDサーガ

そう、「ヅカロー」です。以前の記事でも触れましたが、ドラマS1の放送時から数えて実に7年後に描かれた過去の物語は、「コブラの悲恋」「空白の時期」という衝撃的な情報を受けて期待と不安の入り混じったこちらの予想を遥かに上回りました。

誰もが見たかった、知りたかった、夢見ていた、けれど諦めていた「SWORDの前日譚」を、溢れんばかりの愛と最高の解像度を持って描ききることを完遂してくれました。

単体作品としての出来も白眉ながら、ハイローのディープなファンにとっては、さらに嬉しいことがありました。ヅカローによって、もはや掘り尽くされた鉱脈だと思っていたドラマ〜FMまでの第一世代の物語に新たな切り口、文脈、背景が描き込まれ、余白が彩られたことで、「もう一周」の楽しみが生まれたのです。

その中でも自分が最も胸を打たれた、「『ムゲン』概念の再定義」という話は、別の記事で詳しく触れております。

その他は初見後の衝動に任せて殴り書いており、また一回しか観られていないためにディテールへの解像度はとても粗いのですが、一応ヒートアップしたツイート群も載せておきます。

※中盤の脱字、正確には「S1を経ての」です。

よーーーうやく、執筆している本日までのROCKYツイートの発掘と掲載を終えられました。

改めまして、ヅカローの話です。今回は宝塚歌劇ということもあってか、またメインがコブラとカナの愛を軸にしていることもあってか、女を守ることを誓う誘惑の白き悪魔・White RascalsのLeaderであるROCKYは、もう一人の主役と言ってもいい程に破格の存在感を放ちます。

そろそろ言及しておかないといけないですが、ITOKAN襲撃事件やDOUBTの高野がヘブンに来てるのに気付かない事件といったS1の面白描写(前者はシーン自体はかなり狂ってて怖いですが)との整合性はいよいよ取れなくなってきたものの、そこはカッコいいROCKYを語りつくすということで、今回は完全無視して進めましょう。擦り続けるのも愉快ですが……。

ヅカローについては、どうしてもその性質上観客数とその機会が映像作品に比べて非常に限られており、まだ未視聴(ライビュ待ち)の方もいらっしゃると思います。よって大筋のネタバレは省略いたしますが、本作でのROCKYはビジュアルも振る舞いも歌唱も、とにかく何もかもが完璧に作り込まれ、我々の知っているあのROCKYが舞台の上にいました

もちろん、宝塚ならではの解釈を盛り込んだり、役者の個性とのすり合わせの中で調整していくという方法も間違いなく素晴らしいのですが、ことROCKYというキャラクターに関しては、徹底的に原作のキャラクター像を貫くという方法がバッチリとハマっていたように感じます。さらに言えば、彼にとって欠かすことのできない側近のKOOまでもが、「実写版」と謎の言葉で称えられたほどに完璧な再現度。この2人のシーンは本当に、原作からカットされたと言われても違和感のないほど「あの2人」でした。

ラスカルズは結成当初からの強固な信念として、「女を守る」ことを掲げ、ROCKYはその統率者としてそのために殉じることすら厭わないほどの決意と覚悟を最初から決めている人間です。その特異さが、ビジュアル・脚本・演技全てで完璧に表されており、自分はそれだけでも胸が一杯になりました。

また、あえて自分のことを「私」と呼ぶ劇中歌も、とても印象的でした。ヘブンという女たちの聖域を築く決意と覚悟を一層強め、その重みを己に課す歌。「私」という一人称は、ROCKYという個人を超えた存在の名乗り口上であり、その心身に神性を宿らせ、守護者としての使命を貫く宣言を、自らに強く言い聞かせているかのように響き渡ります。そんな素晴らしい宝塚版ROCKYは、エピローグに至るまで、PREQUELを白く彩ってくれました。

さらには、その後に新時代の勢力圏を各々確立させることになるSWORDの頭たちの中でも、コブラとROCKYだけは劇中で背中を預け合って共闘します。ツイートでも触れた通り、まさにEOSでコブラが救援に来た場面を彷彿とさせるシーンです。(例のITOKAN破壊事件はあったものの)その後のドラマでのミホの件や、EOSで何度もヘブンを訪れ、DOUBTとの決戦への助力を申し出るシーンに至るまでの行動で見られる通り、コブラにとってのROCKYはSWORDの頭で唯一「いざというときに頼れる男」だという印象があったのかもしれません。加えて特に義理堅いコブラのことですから、ヅカローでの恩義があるからこそ助力を何度突っぱねられてもなお、「立てなくなったらいつでも呼べよ」という言葉が自然と出たのでしょう。

このように、ヅカローから過去作品のROCKYを振り返るだけでも、また何周でもシリーズ全作を通し視聴したくなってきます。ここまででも既に、彼が最高の男であること、それに俺がどこまでも魅せられ続けてきたことはご理解いただけたかと思いますが、あえて今回はもう一歩踏み込み、ROCKYを語る上でどうしても外せない最後のピースに、今だからこそ触れたいと思います。

それは無論、DOUBTの頭にして最凶最悪の男、蘭丸です。次の記事では、彼について見ていきましょう。


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