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バイバイ、バイアス(無理)

モノを創りはじめてから、というか絵とか音楽とかの芸術作品に
積極的に触れるようになってから、ずっと思っていることがある。
「絶対『誰が作ったか』より『何が出来上がったか』のほうが大事だろ」
これだ。

『見る目』

特定の誰かを攻撃するつもりは毛頭ないが、同じようなテーマ、同じような構図で描かれた量産されたような絵が、
ただ「自分の好きなキャラクターが描かれているから」
とか、「描いた人が影響力を持っているから」
といった理由で拡散されているのを目にすることがある。
いや、僕がそう思っているだけで拡散している側には
そういった意図は全くないんだろう。
しかし、如何せん僕は性格のひん曲がった人間。
火のない所に煙は立たぬというが、悪意のないところにも
悪意を見出す人間だ。
そういった人間としては、舌打ちの機会にしかならない。
じゃあ見なきゃいいじゃん、SNSなんてさっさと辞めちまえという話に
なるが、僕だって辞めたい。マジで。
でもこの高度に発展した現代社会、SNSで収集できる情報は侮れない。
というか、デザイナーとしてのリファレンス収集やゲーマーとしての
最新情報収集とか、もはやSNSに頼りっきりだ。
だから辞めたくても辞められず、しぶしぶTwitter等を観測している。
すると、前述したような現象に出会い、機嫌を悪くする。
何やってんだ。
こういった機会を減らすため、僕はかなり慎重にSNSのフォローをする。
例えとしてTwitterを挙げるが、誰が言ったかTwitterはTweet、呟くという
動詞から名づけられている。
であれば、誰がしかをフォローするということはその人物のチラ裏を
わざわざ覗き見るということと同義だ。
だから、フォローしている側としては、流れてくる情報がいくら不愉快な
ものだろうが文句を言う権利など何一つなく、それが嫌ならフォローを
外せという話になるのである。
しかし、ここで問題が発生する。
ある人物が共有する情報が、半分は有益で、半分は不愉快なものな場合だ。
こういった場合、その人物の情報を追い続けるべきか、それとも
目を瞑ることなくバッサリと切るかの2択が存在すると思う。
今のところ、僕は少しでもインプットを多くするため追い続けるように
しているが、本音を言うと叩き斬りたい。
見たくないものは1mmたりとも見たくないという我儘な欲求があるので、
本来ならそれに従いたい。
しかしそれでは、貴重なインプットの機会を失ってしまう。
まあ審美眼なんて人それぞれで、どこに、どう価値を感じるかってのも
個々人の感性だ。
だから、いかに不愉快だろうが、「見る目ね~な~」くらいで流すのが
正解なのかもしれない。舌打ちは出るが。

これって、誰が作ったんですか?

前項はかなり話が逸れた気もするが、本題の回収もしていく。
前述した内容に、『SNSのフォローを慎重にする』という部分があったが、
これは作品にバイアスがかかるのを防ぐため、という意図もある。
ここ最近、SNSで作品を公開するのがものづくりをする人間の間では
標準的になっているように感じる。
さっきも書いたように、SNSなんてのは基本的にチラ裏だ。
一部の倫理的意識の高い人や企業が公的に運営するアカウントを除いて、
モノを創ったとてそれはチラ裏の中に展示されることになる。
そうなると、どうしても「この作品はどのような人間が作ったのだろう?」
という疑問に対しての答えが公然と示されることになる。
どの分野を見てみても、その人物が創り出した作品は素晴らしいけれど、
その人格は褒められるべきではない、というケースが多々ある。
それが現代ではあまりにも簡単に起こりやすくなっているのだ。
いくら美しい絵を描く人間がいたとして、僕はその人物が悪人である場合、
手放しには賞賛できない。
そうやって作品への評価と人物への評価が繋がりやすい性格である、ということを自分自身で自覚しているため、そのバイアスをなるべく減らせるよう
様々な視点から考えて、その人間をフォローするかどうか決める。
前述したように僕は見たくないものはマジで見たくない性質なので、
相当気を使っている。
まあ、そういう僕が恐らく一番悪辣な人間であることは
疑いようがないのだが。


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