パラレルキャリアが何なのか分からなかったから、何なのかめっちゃ考えた:前編

2019年9月27日に、大阪市のOBPアカデミアで行われた人生100年時代の働き方を考える交流会、コレハタナイトに参加しました!

コレハタナイトとは、『コレハタナイツ〜人生100年時代の働き方を考えるコミュニティ〜』主催の「人生100年時代の働き方を考える」交流会で、毎回テーマに沿ったこれからの働き方をされているゲストスピーカーのお話を聞き、その後参加者やゲストスピーカーと現状の働き方の問題やこれからどうしたいかなど意見・情報交換する会です。
「これからの働き方」でコレハタ。略されると、新しい単語も急に普遍キーワードのように感じる魔法。

第4回目に当たるこの回のテーマは『人生を豊かにするパラレルキャリア』でした。
ゲストスピーカーは大企業でお勤めをしながらセミナー・読書会などを開催し、会社員の働き方改革を支援されている崎山てつやさんと、これまでなんと50職種を経験され、現在は医療・介護・福祉に関わる複業人材の育成に尽力されている中西信雄さんのお二人。
それぞれ違うパラキャリタイプのお二人から、ご自身がどのような取り組みを、何故取り組んでいらっしゃるのかをお話くださいました。

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パラレルキャリアの社会的背景を分かりやすく説明くださった崎山さん


突然ですが、みなさんはパラキャリというとどういうイメージですか?

副業解禁を発表する企業も出てきている中、勤めている会社以外でもバリバリ能力を発揮して、セルフブランディングが出来ていて会社以外の肩書きがあるスーパー人材ーー今、時代はパラレルキャリア人材が熱い!

言葉にしてみると、なんだかよくわかりませんね。でも私の中のパラレルキャリアはこんな感じのイメージが強かったんです。
あ、略しておきましょうか、パラキャリ

パラキャリとは一体なんなのか、お国あげての働き方改革の一環なのか?
誰がどうなったらパラキャリとなるのだろう?
みんながみんな、パラキャリをしないといけないの???

このイベントで、私のちょっと斜に構えた態度から出てきていた疑問を、少しだけ、解消出来たのかなと思ったので、それを以下に説明していきます。

そもそもパラキャリってなに?

気がつけば自然と使われるようになっていた『パラレルキャリア』という言葉。
まず説明としてあげられるのは提唱者と言われるピーター・ドラッカーの名前です。
今回のゲストスピーカーだった崎山さんも、ご自身の発表でパラレルキャリアの説明としてドラッカーを引用されていました。

ドラッカーは著書『明日を支配するものー21世紀のマネジメント革命』等で、これからの社会の生き方として、「本業以外の第2の人生を始める必要がある」、とパラレルキャリアを提唱したと言われています。

「第2の人生」…。ちょっと前なら退職後を指す言葉だったように思います。

ここで私の疑問をひとつ。
パラキャリは副業ではないのか?

なんとなく、企業の副業解禁とセットに感じていましたが、ドラッカーの言葉をみる限り、副業だけを指しているわけではなくて、本業以外の活動全てを指すようです。

そうなると、実は既にパラキャリの人は結構いるんじゃないでしょうか?

長く続けている趣味や習い事がある人。
バイトや仕事を掛け持ちして働いている、フリーターやフリーランスの人。
また、お子さんが所属する学校のPTA活動に参加されたり、クラブ活動の支援をされていたりと、会社とは別の組織で活動されている人。

今ざっと思いつく限りであげてみましたが、既にこの例だけで、日本にはたくさんのパラキャリ人材が存在すると言えそうです!

ゲストスピーカーの中西さんも、「パラキャリと意識したわけではなく、色々な仕事をしていった結果、こうなった」とおっしゃっていて、「パラキャリ」という言葉が出てきたからパラキャリ人材として認識された、というようなイメージを受けました。

なぜ今、「パラキャリ」と言われるようになったのか。
はたして、わざわざ「パラキャリ」と言われる必要性があるのか?という観点から、誰にとってその呼称が必要なものなのかを考えたいと思います。

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つまり…何なんだ!?

なんでわざわざ「パラキャリ」って言うの?

まずはどうして「パラキャリ」と言うようになったのかですが、私はコレハタに参加した結果、以下2点が理由かな?と思いました。

理由①今はパラキャリじゃないけど、パラキャリをしないといけない事情があるから
理由②パラキャリをしたくても出来ない環境の打破のため

ちょっと長くなりそうなので、理由①は前半(この記事)に、理由②を後半(次の記事)に書きたいと思います。

理由①今はパラキャリじゃないけど、パラキャリをしないといけない事情があるから

・今はパラキャリじゃない人って誰のこと?
わざわざ「パラキャリ」という必要があるのは、中西さんのように「行動したら結果パラキャリだった」ではなく、今パラキャリではない人に先に「こういう考え方があるよ」と示すために、パラキャリという言葉を伝え、そこに向かわせる必要があるのかなと考えました。(そろそろパラキャリゲシュタルトしそう)

今パラキャリじゃない人…つまり、生活に本業しかないという人。
今の日本では会社にお勤めの方でしょうか。
なので、

会社に週5日お勤めの会社員

と定義します。

雇用形態はおそらく正社員。一般的には、朝出勤して夕方〜夜に帰宅、深夜に睡眠をとり、翌朝また出勤する日を5日繰り返す働き方です。

バイトや非正規雇用だと、同じ週5勤務でも仕事を掛け持ちしたり、勤務時間を短かくして他の活動をしていたりと、実は既にパラキャリである可能性が高まります。

さて、週5日お勤めの会社員の方、一度は思ったことがありませんか?
「あれ?家と会社の往復しかしていない?」と。

そんなあなたは…シングルキャリアです!

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帰ったら「風呂!飯!寝る!」

今、シングルキャリアという言葉が頭から湧いてきましたが、少し前まではそもそもこれが普通で当たり前だと思ってみんな過ごしてたんですよね。

ではなぜシンキャリ(シングルキャリアも略しましょう)がわざわざパラキャリに目を向けなきゃいけなくなったのか。その理由は、大きく2つあると思います。

・もっと収入を増やしたい!

今、「副業やろうかな」と腰をあげている人の中には、「もっと稼ぎたい!」と思っている方もいるのではと思います。
アラサーの私から見て年上のみなさんで、「この年になって、今更転職はちょっと…」という方々は、特に思われているのではないでしょうか。(ちなみに同世代で稼ぎたい知人たちはすぐ転職したり仕事を増やしたりと活動が盛んなので、シンキャリになりにくいようにと思います。)

コレハタナイトでも、ゲストへの質疑応答の時間で「貯蓄はどうするのか?」という質問が出ており、やはり金銭面はパラキャリを考える上で大きなポイントとなるようです。

老後2000万円問題や、大手企業社長の「もう終身雇用は守れない」という発言など、社会に激震が走りましたよね。
特に定年退職が見えていた方は、「シンキャリすれば生涯安定」と言われてここまで登ってきたはずなのに、急にハシゴを外された感じになっているかもしれません。

ですから積極的にパラキャリになりたい、というよりは、将来に向けて何か手を打ちたい、という心配を抱えているように感じました。

・もっとやりがいを感じたい、自分の能力を試したい

一方、パラキャリになることで得たいのは「やりがい」だという人たち。こちらは比較的若い世代や、給与面で不安がないシンキャリが感じていそうなイメージです。
転職という方法もありますが、今の仕事に不満があるわけではないのに転職するのも…となった時、もしくは新しいことを始めてみたいけど、今の生活をいきなり全部ストップするのも勇気がいる…という時に、確かにパラキャリであれば挑めそうです。

パラキャリであれば、今の仕事の延長で試してみたかったこと、あるいは今までと全く違う可能性を低リスクで試してみることが出来ます。

会社というたったひとつのコミュニティーだけで過ごしていると、どんどん選択の幅が狭くなってしまうように感じます。先輩社員を見れば、この会社で勤務し続けたらどんな将来になるのか、ある程度予測がつくようになります。

その予測が理想通り!ということであれば良いのですが、このままこの会社にいて何もしなかったら後悔しそうだという方もいるんじゃないでしょうか?

そんな方が、後悔をしないで済むように、パラキャリとして本業を持ちながら新しい一歩を踏み出すことが出来れば、それこそドラッカーも「提言してよかったー」と天国で思うかもしれません。

・パラキャリはこれから何か新しく始めたいシンキャリのための言葉のお守り
理由は人それぞれですが、これまで当然のように本業一筋だったシンキャリマンが、「このままでいいのか?」と思った時に、突如現れた「パラキャリ」という可能性。

もともとパラキャリ状態の人からすれば、今わざわざ名前をつけられても…ですが、これから始める人にとっては、明確なゴールとして必要なのだと思います。お守りのように、言葉が存在することで新しい可能性を信じることが出来るのではないでしょうか。

ちょっと余談になりますが、一つ懸念の声をあげるとすれば、「パラキャリ」がその内容ではなく言葉だけが伝言ゲームのように独り歩きしてしまうことです。
私が「それって単に副業のことではないのか?」と疑問を抱いたように、人によって「パラキャリ」の認識は違うかもしれません。

せっかく新しい可能性が出てきたのに、伝言ゲームが原因で存在がうやむやになり、ムーブメントで終わってしまうのは本当に勿体無い。

だからコレハタナイトのようなイベントがあり、実践者が「何を」、「なぜ」、しているのかを直接聞く機会が必要なんだと思います。


というわけで、前半は世間が言うパラキャリとは何か、そして誰にとってパラキャリという言葉が必要なのかについての考察でした。
後半では「パラキャリ」という言葉が必要になる環境と、結局我々はパラキャリしなきゃいけないのか?、するのであれば何からすれば良いか、について話したいと思います。

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