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【ANIME】2017年、アニメ作品における新たな興隆・・・・セカイ系・赤松健・日常系・まどマギ・ゆゆゆから振り返る。【日常系作品編】

2016年から2017年にかけての2年間で、日本のアニメ作品における一つの転機を迎えた。2017年のアニメシーンでみえた作風、新日常系・ディストピア系・終末系・ポストアポカリプス系の作品が、はっきりとした爪痕を残したといっていいだろう。

しかして、明確な支持層はどんな人か?といわれると、言葉にしづらい面がある。ここでは翻って、そういった世界観・作品世界が支持されるようになった理由や背景を捉えてみたい。その流れを捉えることで、見るものが傾倒していった流れを紐解くことができると思う。

初回では、ヘタな形だがMAG文化(マンガ・アニメ・ゲーム文化)における主要なストーリーライン/文脈をおさらいすることができた。

前回の2回目では、90年代末から活躍を続け、独自の世界観をもってして00年代以降のMAG(マンガ・アニメ・ゲーム)文化に、多大な影響を及ぼしてきた赤松健の作品について書いた。

「誰も傷つかない世界観」を作風の中心にすえ、じっくりと描いてきた彼の作品は、ラブコメディ作品世界を先鋭化し、見るものをその作品世界へと誘うブラックホールへとブーストさせた張本人であり、後に、AKB48を中心にしたアイドルブームの基盤を生み出した張本人でもある。

まさに、2010年代に至るMAG文化のDNAを精製した存在であり、この国のポップカルチャーの一部分を担った人物だったのだ。

ということで、今回は前回にもすこし書いたが、日常系の諸作品について書いていきたい。何かの作品をピックアップして書くわけではなく、概要・鳥瞰した上でのまとめとして記しておく。

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赤松健が少年漫画的なテクストを導入した2003年とタイミングを同じにして、日本初の4コマ漫画専門の月刊誌『まんがタイム』を創刊していた芳文社により2002年から04年にかけて刊行された「まんがタイムきらら」系列ともいえよう関係3誌は、その後に2006年以降に「日常系作品」「空気系作品」として大きくヒットを飛ばした。

「ひだまりスケッチ」「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」「らき☆すた」、もちろん、彼らの先駆けになった「あずまんが大王」のアニメ化とブレイクを忘れてはいけないだろう。この現象は印象的な対比的メルクマールになりえる。

赤松健が少年漫画的なテクストを導入した2003年以降と、2006年以降に大きくヒットを飛ばしていく「日常系作品」「空気系作品」が、なぜ印象的な対比的メルクマールとしてあげられるのだろうか。

一旦の箇条書きを記載したい。

・未成年の女の子たち4人か5人
・何かの目標にむかって邁進したり、なにかしらの達成をすることはない(あるいは目的とされていない)
・メインキャラは、性的なくすぐりが多少あってもいいが、基本的に恋愛からは隔離されている
・メインキャラの家族が描かれることも在るが、家族ドラマが主題にはならない
・過度の不幸、悲惨な事態はいれない

以上の箇条書きは、小森健太朗さんによって2013年に発売されたアニメ批評誌『神、さもなくば残念。』のなか書かれた、日常系作品の定義だ。小森さんはこの記述のあとに、いくつかの作品を挙げつつ、「<空気系>もまた、時代に応じて否応なく変質してきたのを感じずにはいられない」と書かれている。

その後の2010年代において、<空気系>またはその亜種と言えよう作品は、一定のファン層を生み出し、大きなムーブメントを形作っていたのは言うまでもない。先に挙げた定義を変形し、あるいは一部を退けて、数々のキャラクターが創作内にて「日常生活」を送っていくことになる。

ここで一旦、2010年代にアニメ作品化した日常系作品あるいはその亜種と言えようアニメ作品を挙げてみよう。
「ご注文はうさぎですか?」「きんいろモザイク」「のんのんびより」「日常」「NEW GAME!」「ゆるゆり」「人類は衰退しました」「じょしらく」「あっちこっち」「Aチャンネル」「わかば*ガール」「ゆゆ式!」「たまゆら」「GJ部」「三者三様」「ふらいんぐうぃっち」「だがしかし」「干題物妹!うまるちゃん」「ヤマノススメ」「さばげぶっ!」・・・・

これ以上あげると話が進まないのでストップしたい。とにかく、日常系あるいはその亜種と言えよう作品は非常に大きなムーブメントを作りあげ、連年に20作品前後は公開されていた。

そうしたムーブメントのなかで、小森さんと同じく、僕の目でみても、いくつか決定的に変わっていったことがあるように思える。

まずは1つ目、男キャラ(男主人公)の消失である。上記した作品のいくつかで、その排除性は非常に高く、日常系作品ではない作品にも大きな影響を与えた。なぜこれが起こったかといえば、視聴者が女性キャラやヒロインに共感する(≒恋する)という読解をより強く促すためであり、ヒロイン1人だけへの眼差しではなく、キャラ同士の関係性をみて楽しむということを強く促すためでもある。

関係性を楽しむ、という読解は「百合」という言葉を誘引したわけだが、例えばコバルト文庫の「マリア様がみてる」や「百合姫」などの由緒正しい「百合」とは、やはり少々毛色が異なってくる。

その様をみたとき、まるでポルノ作品だと読み解くのは、ある意味では正しいだろう、無防備な女性たちを脇から見つめる・・・という行為はまさに視姦行為そのものだからだ。先にあげたような「百合」とは、そういった点でもやはり異なってくる、そこには視姦のような強烈な視線はなく、ストーリーの行く末を楽しむスパイスとして効いてくるものだからだ。

いずれにせよ、男キャラ(男主人公)の消失によって、視聴者はより強くアニメキャラへの共感(≒恋)という読解を図ることになる。もはやそれは、共感などではなく同一化といってもいいくらいでもある。

共感を超えた同一化にむけて、原作となる漫画やアニメ作品における表現も相応に変わっていくことになる。目線や所作一つの裏に気持ちが見えるという表現ではすくなく、自身の心情や内面をツラツラと言葉にして説明し、その気持ちそのままに、キャラクターたちは動かされる。その姿は、純度100%、裏表も嘘もない、ストレスレスな振る舞いとストーリーという一点をつらぬいている。このストレスレス・ストレスフリーな空気を徹底的に描いていくことが、日常系作品・空気系作品において2つめに決定的な変化である。

この点は、前回に話をした「赤松健ワールド」(特にラブひなの世界観)にも繋がる話でもある。日常系作品の大ヒットは、赤松健の手を離れて解釈と発展を遂げた「赤松健ワールド」ということであり、それを多くのオタクたちが支持したということで反証したといえるのではないだろうか

こういったムーブメントもすでに10年は続いてきたことで、オルタナティブな流行としての作品群ではなく、上記した2点の変遷を踏まえながら、定番のストーリーライン・定番の作品群といえるようになった。アニメシーン内で多くの人に認知がされたこと、ビジネスとしても大きなファン層があることで安定的に見込めると踏まれたこと、そして良き書き手が途切れることなかったことが主因だ。

その証拠に、好きな日常系作品が終わってしまい、同じような作品を差すキーワード・ネットジャーゴンとして、「○○難民・避難所」という言葉が通例として使われているのをみると、このネットジャーゴンの裏にあるトライヴ(TRIBE・民族)が分かるだろう。

ここで、セカイ系の定義を思い出してみよう。やたらと激しい自己言及は、相応にして内面的な不安感を突っつき回すことになる。男キャラ(男主人公)の消失し、ストレスレス・ストレスフリーな空気を描く日常系は、やはりセカイ系とは対になる存在だ。

作品内における登場人物らの外側に広がる社会事情も、その作品を見て楽しむ読者らの外側に広がる社会事情も、怪訝なカオリを一切匂わすことなく、日常系作品は歩みを進む。それでもなお匂わすとするならば、オタクカルチャーに付随した事物か、食べものくらいなものだろう。それほどに閉鎖的な空間、いや視野狭窄、でもだからこそ、見るものはキャラクターを愛し、没入できるのだ。

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しかし、である。僕らは人間であり、社会のなかで生きるものだ。その脳と心の導きによって生まれ出るものは、否応なく社会との繋がりをもってしまっていることを忘れてはいけない。日常系という紙面上の2D作品、そこがいかに上質な逃避場所であっても、その場所の裏側には、作り手の心や意図が差し込まれているわけだ。

そう、赤松健は『ラブひな』を執筆するさい、「マンガの中ぐらいは絶対に嫌なことが起きなくてもいいんじゃないか?」と願って作ったわけだが、彼がいきていた1999年ごろにはどのような影響を受けていたかは、前回の記事のなかで書かせてもらっている。

日常系という幸福なスモールワールドが頂点に達したといえるのは、2010年に差し掛かる前年2009年に公開された「けいおん!」だといい切って間違いはないだろう。ひょんなことから軽音部に入部し、かけがえのない日常をふわふわと過ごし、友人らと友情を深めあっていくあの作品こそが、日常系作品のトップオブトップだった。

2011年の東日本大震災、かけがえのない日常というものが、現実世界において、文字通り簡単に揺るがされてしまうことに気付かされた、このターニングポイントを期にして、やはりアニメ作品の作風も堰を切ったようにして変わっていくことになる。その象徴が、「魔法少女まどか☆マギカ」と「結城友奈は勇者である」の2作品であった。

次回へ続く!!


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