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【ANIME】2017年、アニメ作品における新たな興隆・・・・セカイ系・赤松健・日常系・まどマギ・ゆゆゆから振り返る。【赤松健・ハーレム系編】

2016年から2017年にかけての2年間で、日本のアニメ作品における一つの転機を迎えた。2017年のアニメシーンでみえた作風、新日常系・ディストピア系・終末系・ポストアポカリプス系の作品が、はっきりとした爪痕を残したといっていいだろう。

しかして、明確な支持層はどんな人か?といわれると、言葉にしづらい面がある。ここでは翻って、そういった世界観・作品世界が支持されるようになった理由や背景を捉えてみたい。その流れを捉えることで、見るものが傾倒していった流れを紐解くことができると思う。

前回はヘタな形でも、MAG文化(マンガ・アニメ・ゲーム文化)における主要なストーリーライン/文脈をおさらいすることができた。

00年前後からは、主要な作品を詳解していきたいと思う。とはいえ、「涼宮ハルヒの憂鬱」や「けいおん!」などの日常系は語られすぎた感があるため、この特集では除外したい(本当は話したいけど、またいつの日か)

今回では赤松健作品、「ラブひな」「魔法先生ネギま!」について詳解しよう。この時点でハッキリと話しておきたいのが、赤松健によるこの2作品こそが、いまのMAG(マンガ・アニメ・ゲーム)文化の基盤をもたらし、日本のポップカルチャーのいち部分を担ったということだ。赤松健がいなければ、いまの日本のポップカルチャーは違った形になっていただろう。

では、書き始めたいと思う。

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1998年に連載を開始した「ラブひな」は、東京大学への合格を目指す浪人生の浦島景太郎が、女子寮「ひなた荘」の管理人となり、住人の美少女とドタバタを繰り広げながらも東京大学進学を目指す話だ。

成瀬川なる・前原しのぶ・青山素子・紺野 みつねにカオラ・スゥの5人に加え、物語途中から登場する乙姫むつみなども加え、ラブコメディ作品として一世を風靡した。

浦島景太郎と成瀬川なるの東大入学というタームがあり、時間軸がある程度進んでいくことが前提になったストーリーラインではあるが、

その世界観を、ファンは「赤松健ワールド」と称し、賞賛した時期もある。赤松健はこの作品の制作において、こう話している。(この記事内における引用は、堀田純司による著書「萌え萌えジャパン 二兆円市場の萌える構造」から)

「これは意識しているんですが、辛いことがおこらない世界なんですよね。『ラブひな』でも主人公の浦島景太郎は一度受験に失敗しましたけど、あれは人気が出て連載が延長されたためでした。基本的にはライバルの男も出ないし、嫌なことが起きない世界なんです。最終話近くで景太郎と成瀬川が山の手線に乗ってぐるぐるまわるんですけど、あれが象徴的で、結局のところ同じ世界をぐるぐる回っているだけなんです。そのなかで女の子がいっぱいでてきてモテまくる。ひなた荘という舞台がまさにそうなんです」
「実際の社会って辛いことが多いでしょう。特に現代はあまりいいニュースも少ないじゃないですか。だからマンガの中ぐらいは絶対に嫌なことが起きなくてもいいんじゃないでしょうか。出て来る女の子はかわいくて、みんな主人公が好きで。読者には現実で苦労したぶん、そこで楽しんでもらう。(中略)ちょうど『ラブひな』が始まったころは、「エヴァンゲリオン」の自分探しブームが終わって、癒やしが始まった頃だったんです。だから癒し世界で『ラブひな』ワールドを作りました。」
「勝負にまけて努力して魔球を得るではなくて、「みんなに応援されて押されて東大に受かる」という世界は、すごく気持ちいいじゃないですか。みんなに応援されて合格する世界は、読者にとっても嬉しいと思います。描いてるわたしも喜びましたから。そういう世界が「赤松ワールド」なんですよ。」

この発言は、いまから約13年前の2005年のことだ。2017年になった今から振り返って読み返せば、ここで話されている「ラブひな」の作品世界観が「日常系マンガ」と大きく変わりがないことに気づけると思う。この2005年直後から勃興する「日常系」作品は、本来はラブコメディ作品の、よりいえば、「ラブひな」が特化した「誰も傷つかない世界観」というラブコメ作品的DNAを保持した作品として、大きな進化した作品だったとよみ解けてくる。

上記の証言は、すっかりそのまま「日常系」作品を語るときのキメ台詞にすらなり得るだろうし、ひいては00年代中頃のMAG文化や萌え文化を象徴するムードといえるのではないだろうか。

赤松健は、ラブコメディ作品世界を先鋭化し、見るものをその作品世界へと誘うブラックホールへとブーストさせた張本人であり、2010年代に至るまでのMAG文化のDNAを精製した存在といえるのだ。

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次に、2003年に発表された「魔法先生ネギま!」を簡単に説明しよう。9歳でメルディアナ魔法学校でトップの成績を修めた魔法使いネギ・スプリングフィールドは、麻帆良学園中等部の英語教師になった。そのクラスには31人の女子生徒が在籍しており、彼女らととともに、「ナギ・スプリングフィールド」の行方を探しつつも、父親のような立派な魔法使い(マギステル・マギ)になることを目指し、ストーリーが進んでいく。

今作は、アニメ作品はもとより、実写ドラマ作品も制作された。ときは2004年か2005年だったか、マンガ発の実写映像作品というのは今では珍しくなくなったが、当時はそのメディア展開もさることながら、「まさかねぎま!でやるとは・・・」という驚きの目で見られていた。当時からしてみれば、MAG文化圏のなかにあっても完全にオルタナティブな存在だったのだ。

男主人公vs女性ヒロインという構図ですすむラブコメディ作品というと鑑みてみても、31人の女生徒ヒロインという途方もない人数を丹念に描いた驚異的な作品、それが「魔法先生ネギま!」という作品を大雑把にみたときの印象に違いない。

そのヒロインの多さがゆえに、男主人公vs多人数女性ヒロインが一斉に介する「ハーレム系作品」とも目されそうだ。とはいえ、そういった作品は多数あれどでも、ここまでエッジな形で表現されている作品も、他にはないだろう。

そのなかで、男主人公であるネギは徐々に成長していき、魔法世界・現実世界を股にかけて、世界を救う英雄へと成長していくことになる。
この点について、赤松健はこのように述べている。

「ネギだけは、初めて自分で目標を持って、戦って成長していくというキャラにはしています。『スター・ウォーズ』でルークが最後に父親を倒すために強くなっていくような、半分はそうした少年漫画的な感覚を骨子にしてはいます。『ラブひな』で赤松ワールドは完成したとよく言われてきたので、そこから脱却しようと半分は冒険を入れました。しかし残りの半分は今までの『赤松ワールド』です。」(赤松健談)

この2005年当時に連載されていたのは、舞台となっている麻帆良学園の学園祭あたりだったはずだ。単行本でいうならばだいたい12巻から15巻ごろ。ネギはこの学園祭編のメインパートの一つとなる武道会で、さまざまな敵と戦い、成長していく姿を見せていく真っ最中だ。

この時点では、31人いるヒロインのうち、10人ほどのヒロインまでしか詳細を描けていない。その後に38巻で連載を続けた本作でいうとまだまだ序盤、その後、20人前後のヒロインを丁寧に描いていったのだ。2012年に本作は完結を迎え、赤松健は新たに『UQ HOLDER』の執筆を開始、現在でも連載中だ。

本作が発表された以後でも、これほどの人数のヒロインを生み出したマンガ・ゲーム・アニメ作品は多くない。それでいて、彼女らそれぞれに役回りが授けれられ、ストーリーライン上で重要な立ち回りが授けられている作品もないだろう。登場頻度に多い/少ないの違いはあるが、31人全員に見せ場がある。

赤松健によれば、31人のヒロインを描く際には、やはり大元になったキャラクター像があったと語っている。神楽坂明日菜は前作「ラブひな」における成瀬川なるであろうし、性格や造形は「エヴァンゲリオン」の惣流・アスカ・ラングレーであろう。

ほかの30人全員が明日菜ほどに明確かどうかはさておき、この頃から「キャラクターの定型化」が始まり、いわゆる属性萌えを狙った作品が興隆していったように思える。ちょっとした別話になるが、批評家の東浩紀さんによる有名な概念、データベース消費の形をなしているのがわかるだろう。

本作『魔法先生ネギま!』を異質にしているのは、「誰も傷つかない世界」を構成する31人のヒロインを丹念に描こうとする作者の執着心もさることながら、そこまでして丹念に描かれたヒロインに囲まれた「誰も傷つかない世界」のなかで、傷つきながらも成長を求めるネギ・スプリングフィールドえがいた、その2つによるコントラストであろう。

それは「誰もが努力し、傷つかない世界観(≒社会・関係)」を強固に描いているということでもあり、ストーリー途中から主人公ネギにとって、ヒロイン31人は「何者にも傷つけてはいけない存在」として昇華されていることにもつながっていくのだ。

「誰も傷つかない世界(≒社会・関係)」のために、主人公が傷つきながらも成長を遂げる。それは赤松健にとっての大きな変化でもあり、赤松健の手による少年漫画というのも、自他ともに認めるところだろう。『ドラゴンボール』や『幽遊白書』、『NARUTO』に『ワンピース』といった作品と並べても、作品構成におおきな違いが見受けられない。

地球を守る孫悟空、人間世界を守る浦飯幽助、木ノ葉隠れの里(ゆくゆくは火の国)を守るナルト、そして自身の仲間を守ろうとするルフィ、彼らとネギに大きな違いはない。守る対象が非常にビビッドに描写され身近に感じられるという点では、『魔法先生ネギま!』は『ワンピース』に近しいようにみえる。

もうひとつ取り上げるとすれば、ネギは31人の女性ヒロインのなかから、恋仲といえる相手を選べないままで本編完結を迎えたことである。その後『UQ HOLDER』においては、ようやく恋仲といえよう相手を選んだ後の世界も描かれてはいるものの、女性を選択ができない不能性、あるいは女性心を察しきれない心は、作中最後まで描かれることになったのだ。

ネギ・スプリングフィールドの少年体型でウブな精神は、ヒロイン31人が作る世界へとダイヴしたいと願う読者を、より強く同調させるキーとなった。赤松健自身が「僕自身がオタクなのだから、オタクのことはよくわかってる」と自負していたように、彼によるネギ・スプリングフィールドの造形は、「女性から愛されそうな人物」「女性が無防備な表情をさらしてくれそうな人物」「読者vs男性キャラというような構図を避けるための人物像」として生み出され、何よりに読者がネギに対して感情移入しやすいようにも描かれていた。

つまり「僕はどんな女性にも愛され、誰よりも強く成長する」という感覚を、読者にもたせやすいように造形されたのだ。この造形は確かに多くの赤松健ファンの心を掴んだといえよう。

2003年のねぎま!執筆時点において、赤松健が少年漫画のコンテクストを導入したのは、本人が語るように「赤松ワールドからの脱却」であるわけだが、2001年に起こったアメリカ同時多発テロを発端とした集団的なテロ組織との戦いや、それに関連して生まれでた鬱屈とした闇への対応にもみえる。またこの時期に流行した『ハリーポッター』シリーズの影響をも鑑みると、彼が今作で描こうとしていたものがわかってくる。

赤松健が今作で描こうとしていたのは、「誰も傷つかない世界」を守るために、「誰も傷つかない世界」を構成するさまざまな存在を強烈に見つめ、信じ、それぞれに愛するということ、それ自体が社会にうごめく闇を制するキーになる、そのような表現である。

だが、今作における世界全体を(≒31人ヒロインで構成される「誰も傷つかない世界」を)守るというメッセージや表現を、読者がうまく捉えたかどうかは難しい。女性ヒロイン全員の出演頻度に大きな差があるのは、全8回に分けられた人気投票によるものが大きいだろう。

赤松ワールドを愛するファンの多くは、もちろんだが女性ヒロインへの愛(≒キャラクター萌え)を持っているのが前提になる。その上で本作のストーリーを読解していたかは、判断が難しいところではある。

『UQ HOLDER』が週刊少年マガジンから別冊少年マガジンへと移籍したさいに、タイトルに『UQ HOLDER! ~魔法先生ネギま!2~』と副題が追加されたことからもわかるように、赤松健のなかでは、未だに『ネギまワールド』は終わっていないのがわかる。「誰も傷つかない世界」を守るというメッセージを、彼はまだまだ満足に送りきれていないということなのだ。

その作風とDNAが、どのような形で花開いたかは、赤松健によるこの言葉でわかると思う。

AKB48、その派生グループは、確実にねぎま!的なDNAが根付いている。今作がいかに大きな存在であったかが、分かってもらえるかと思う。

次回は、日常系諸作品についての大観を書いてみたいと思う。


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