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【ANIME】2017年、アニメ作品における新たな興隆・・・・セカイ系・赤松健・日常系・まどマギ・ゆゆゆから振り返る【セカイ系他編】

2016年から2017年にかけての2年間で、日本のアニメ作品における一つの転機を迎えた。3DCG作画で丁寧に作劇されたアニメが素晴らしい出来を収め、2016年においては日本中を巻き込んだアニメ映画が2作生み出された。テレビアニメに関しても、BD/DVD売上ベースでいえば確かにヒット作品といえるものは無くなったかのように見えるが、ハッキリとしたトレンド・作風が見えた1年であった。

2017年のアニメシーンでみえた作風、新日常系・ディストピア系・終末系・ポストアポカリプス系の作品が、はっきりとした爪痕を残したといっていいだろう。作品名をあげれば、「けものフレンズ」「少女終末旅行」「宝石の国」「クジラの子らは砂上に歌う」「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」「結城友奈は勇者である -鷲尾須美の章-/-勇者の章-」となるだろうか。

もちろん、アイドルアニメやラブコメアニメも強い印象を残してくれたのは間違いない。だが、「魔法少女まどか☆マギカ」「楽園追放 -Expelled from Paradise-」「ハーモニー」「PSYCHO-PASS」「シドニアの騎士」「学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD」「進撃の巨人」などのヒット作が生まれた2010年代のいま、新日常系・ディストピア系といった作品に大きな支持層があるかのように見えるのだ。

しかして、明確な支持層はどんな人か?といわれると、言葉にしづらい面がある。ここでは翻って、そういった世界観・作品世界が支持されるようになった理由や背景を捉えてみたい。

いきなり新日常系・ディストピア系・終末系・ポストアポカリプス系を書いても、時間的な流れや歴史的な背景が見えづらいと思う。見るものが傾倒していった流れを紐解くためにも、ここではヘタな形でも、MAG文化(マンガ・アニメ・ゲーム文化)における主要なストーリーライン/文脈をおさらいし、主要な作品について詳解をしていくことにしよう。

2000年に中学入学、2010年に大学卒業、2000年代をモラトリアム全てに費やした人間が見ている景色が、こんなもんということを楽しみつつ、読んでもらえると嬉しい。

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では一度、90年代から00年代中頃までのMAG文化で流行し、大きな話題をさらった作風をさらってみよう。さまざまな作風があった。

男女の恋愛模様とコミカルに日常生活を描いていったラブコメ作品、その原典といえば「うる星やつら」であり、その後の漫画作品に大きな影響を与えた。その後、90年代後半から00年代を股にかけ、今度は赤松健による「ラブひな」が刊行し、男性主人公(女性主人公)×女性(男性)多人数ヒロイン・・・今で言うところの「ハーレム系作品」のDNAを根強くした。

赤松健の作品が生まれていた90年代後半には、男が1人の女性を選ぶまでの恋愛シミュレーションゲームが、90年代後半から00年代にかけて駆け足で大きな影響を及ぼしていった。

『同級生』『同級生2』『ときめきメモリアル』シリーズに「トゥルーラブストーリー」シリーズと「メモオフ」シリーズなど、PSやドリームキャストを中心にしたコンシューマゲーム(エロシーンの無いシミュレーションゲーム)として人気を博していくことになる。

また同じ時期、2000年代前半以降にはパソコンをプラットフォームにした美少女ゲームでも同じようなストーリーラインが踏襲されることになる。2010年代へと向かうに連れて、男が1人の女性を選びつつも、多数のヒロインが男主人公にチヤホヤと話しかけてくれるというシナリオへと変化していった。

そういった文脈の中で勃興したのがキャラクター萌えという文脈であり、00年代途中からは日常系(空気系)作品が大流行、現在ではアイドル作品や新日常系・ポストアポカリプス系作品が流行している。もちろんだが、1995年に発表された新世紀エヴァンゲリオン、そこから端を発するセカイ系というストーリーラインも、見過ごすべきではないだろう。

セカイ系の話は、ここで大きく書く必要はないだろう。というか、書き始めるとひとたまりもないことになる。90年代後半から囁かれたこの言葉は、さまざまな字義を引き寄せてはリビルドしてきた、定義不明瞭な言葉、まさにバズワードとして今も生きているのだ。生物的にいえばアメーバを思い出す、そんな存在と取っ組み合って何かを解釈しようとすると、本当に骨が折れることなのだ。

ここでは、ひとり語りがやけに激しく、その語り手自身の了見・知見を「世界」という誇大な言葉であらわしたがる。加えて物語構造でいえば、主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する。そういった認識をセカイ系に対してはもっておくことにしておきたい。(いずれも前島賢さんによる著作「セカイ系とは何か」からの引用)じつのところ、この流れは時代変遷とともにして、字義が変化してきたという経緯があるが、ここでは省くことにしよう。

こうしたなか、1999年に「バトル・ロワイアル(BATTLE ROYALE)」がヒットを飛ばし、俗にいう「バトルロワイヤル系」がうまれた。中学同士が無人島から脱出するために殺し合う、そんなシナリオを非人道的だと思って見ていたのを、いまでも覚えている。

その5年後、作品設定をほぼそのままにしつつも、暴力性や非人道的な側面を抑えつつ、キャラクター個々人の倫理観や人生観をさまざまに描き、ケレン味とロマンに溢れた大作が生まれることになる。TYPE-MOONによる「Fate/stay night(2004年)」は、「聖杯戦争」という名のバトル・ロワイヤル形式ゲームであることは、言うまでもない。90年代後半から00年代前半にかけての「理不尽さ極まる展開を目の当たりにしなければ、人間が生きている実感を表現できない時代」、その残り香であったわけだ。

その後、ファンディスク「hollow/ataraxia」が発売されたわけだが、キャラクターがほぼ全員出演し、ギャグコメディを終始展開するというほぼ真逆のストーリーであったことからも伺えるように、奈須きのこ自身による反動的な自己治癒であったように読み解けてしまえる。

忘れてはいけないのは、Fateと時を同じくして、麻枝准とkeyによって生み出された「Air」「Kanon」「CLANNAD」「リトルバスターズ!」であろう。理不尽さ極まる展開や人の死を乗り越えて、それでもなお人の生を謳歌しようとするこの4作品が、泣きゲーと言われ、唯一無二の作品性をもったことは言うまでもない。

こうして90年代後半~00年代~10年代と流れを追いかける上で、どんな作品を深くおいかけるか。人それぞれになるであろう。ぼくは次回、先述した赤松健による「ラブひな」と「魔法先生ネギま!」という2大作品の話をしていきたい。


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