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往復note(3):人は何に目隠しされているのかへの返答

Tさん、返答ありがとうございます。返答を貰うと往復note始まったと改めて感じますね。瞑想会も始めて3週間ほど立ちますが、少しづつ集中度が上がっているように感じます。まだまだ集中しきれてないですが、一人だと続かなかったのが継続できているおかげか、午前中、頭がすっきりしているように感じています。

ところでこの往復noteのルールですが、この前お話したように、ルール3)を追加したいと思います。

ルール1)相手のnoteを受け取ってから1週間以内にnoteで返信する

ルール2)文字数の制限はない

ルール3)最後に新しい質問で締めくくる

返答に既に質問があったので、次からもその感じでお願いします。

さて、質問頂いた「最近目隠しされてるな~と感じたこと」なんですが、最近の失敗談からお話したいと思います。瞑想会から戻って近くのスーパーで買い物をしたんですが、戻ってすぐトイレに行って、ふとサボテンに水やらないと思ってベランダに行ったりしているうちに、買い物のことはすっかり忘れ、そのまま外出してしまいました。夕方家に戻って、お風呂に入り、あがってから、ふと足元に買い物を入れたエコバッグがそのままなのに気づきました。要冷蔵の肉とか、サラダとか12時間位ほったらかし。今の寒い時でなく、先日のまだTシャツ1枚で暑い暑いと言ってた日の事です。

さあ、肉やサラダは果たして食えるのか?それで思ったのが、私たちは食べ物がいつまで食べれるかについて賞味期限や消費期限を頼りにしていて、あっ、これそろそろ食べきらないと、とか思いますが、冷蔵すべきものを常温に置いたとき、それは消費できるのかということは教えてくれません。そこは動物としての感覚というか、匂いや色から判断することが求められます。

実は、そんなことは昔の人は毎日やってたはずで、知らないうちに賞味期限や消費期限のような外部情報に依存しきっていたんだなぁと改めて思いました。これもひとつの目隠しではないでしょうか。最近の失敗談でそのことを思いました。

情報って、もともとは直接体験だったものが、人間は言語を発明して人に情報を伝えられるようにし、印刷を発明して、それを残し、より大量に伝えられるようにし、それ以後もいろんな発明をしてどんどん増えていった果ての現在の状況があるわけです。特にコロナ禍でマスコミ、SNS、専門家たちのいろんな情報を浴びるように受けながら、情報に対するリテラシーとそれにプラスしてどの情報を信頼するかという感性も要求されているように思いました。単に情報をそのまま受け取るのではなく、どんな人が発信しているのかを考えないといけないし、しかもその人を直接知らない場合がほとんどなので色々大変ではあります。あとその人を信頼できると感じてもその人の発信する情報をすべて信頼するということは別問題だったりもしますよね。

アーティストであるTさんは、情報を受け取る時の感性が違うのかなと思ったりします。世の中に情報を発している人が沢山いる中で、この人信頼できそうとかピンと来るとかありますか?何かそんなことがあれば、どこでそう思うのか教えて下さい。もしなければ、情報の受け取り方で気をつけていることとかでもいいです。


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