コロナウイルスはわたし(たち)に何を伝えに来たと思うか?

先週の講座を受けて、沢部さんがウイルスになってみたら陽気だったと言っていたのを聞いて、そんな考え方もあるのかとびっくりした。ウイルスに意志などないから、メッセージなど伝えられるはずじゃないじゃないか、と思っていたが、逆の立場で考えるのも楽しそうだった。そうか、ウイルスだったら、この人間社会はどう見えるのかな、ちょっと想像してみようと思った。

私がウイルスだったら、飛行機や船でグローバルに人が動いてくれるのは、どこへでも行けるので大変好ましかった。また、満員電車に乗って、通勤してくれるのも、苦労せず移って行けるのでこれ以上ないありがたさだ。大教室で学生が詰め込まれたり、おしゃべりしてたりする様子なんて、飛沫いっぱいでうきうきする。都会で人が集まって住んでいるのも、環境的に好ましい。パニックになって、買い占めするために密になっているのも、しめしめと思う。マスクや消毒液なんてなくなれ!人間が狭いところに密集し、国境なく頻繁に移動してくれることで、人から人へ、どんどん住む場所も拡大できるし、仲間も増やすことができる。密最高!


また、政府が感染を隠してくれるのも、検査をしないで野放しにしてくれるのも、非常にありがたい。財政難で保健所を減らし、病院のベッド数を減らしてきたこれまでの政策に対し、もっとやれ!と思う。空港で検査せずに帰宅させるのもグッジョブ。各国が協力もしないで、誰がウイルスをばらまいたか、陰謀論のやりあいになって時間をロスしているのも、あたたかい気持ちで見守りたい。人命より経済を重視する政治家には、よくやったと称賛を送ろう。第二波、第三波に備えず、今まで通りの生活に戻ってくれてありがとう!急にオンライン教育に転換できなくて、生徒を学校に戻してくれて、サンキューベリーマッチ。愚かな政治家と、愚かな政治家しか選んでこなかった人間よ、心からの感謝を申し上げよう。


コロナウイルスになってみると、現代社会が求めてきた都会の便利な生活が、気持ちのいい巣窟になるし、政府や社会の欠陥・弱点が、なによりのごちそうになることがわかる。私たちが、便利さと引き換えに、ゆとり、人間らしさ、命を優先すること、人と動物と自然に対するやさしさなどを、いかに犠牲にしたきたのかと、考えさせられるような気持ちになった。コロナウイルスは、人間のおごりが大好物だ。


しかし、だからといって、近代的な都会生活をやめようというのは難しい。それに、都会の生活には、人が多く集まることで、多様性に対する寛容が生まれやすいという良い部分もあるし、お年寄りや病気の人には、買い物が便利など生活のしやすさもあるし、治療や療養のチャンスも多いと思う。だから、この生活様式をがらっと変えるというよりは、コロナウイルスの大好物の真逆にあるもの、つまり、謙虚さや、やさしさ、余裕、思いやり、想像力などを実現し、洗練させていくことが大事なのではないかと思う。生活と政治が直結していることを忘れず、人間としてまっとうな人をちゃんと政治のリーダーとして選びたい。


とはいえ、新型のウイルス感染自体は、いつの世にもあった。人間がおごっても、おごらなくても、定期的に襲ってくる。ただ、人間のおごりがなるべく少ないほど、感染の拡大や犠牲者が増えることは抑えられるだろう。これまでの歴史に学ぶ必要もある。知識や知性を尊重する世の中にもしなくてはいけない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?