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菜根譚を読んでしっくりこなかった理由を分析した(個人の感想です)

韓非子を読み終わった後、「次は君主論だ!」となっていたのですが、知人から「菜根譚」をおすすめしてもらった。

早速図書館で借りて読んでみたが、あまりしっくりこない。その後も何冊か借りたが、これらもしっくりこない。
知人に連絡したところ、『絵解き菜根譚』がおススメだというのでこちらを読んだところ、一番しっくり来た。

しっくり来たとはいえ、個人的には、正直なところ菜根譚の内容自体はあまり刺さらなかった。

言っていることは理解できるし、共感もできるが、なんというか、目から鱗が落ちるような感覚はなかった

これまで読んできた中国古典とは何が違うのか?本を読み、自分なりに考えた結果、納得する答えが導けたのでここに記しておく。

菜根譚は「随筆」である

貞観政要、孫子、韓非子、については、「なるほどな~」と考えさせられるものが多かった。事実に基づき、その対応策や方針を示すような内容です。

菜根譚は、読んでいて、もちろん納得できる内容もあったが、なんだか「若干綺麗ごとだな」とか「理想論だな」「それってあなたの感想ですよね?」と思える内容もチラホラあった。

菜根譚を読んだ後、よくよく調べて初めて気付いたのですが、この本は「随筆」だということ。

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8F%E7%AD%86 より引用

そもそも、哲学書でも兵法でも思想家の本でも何でもないのだ。

あえて例えるならば、タイトルや評判から「ビジネス書」だと思い込んで買い、ページを開いたら「相田みつをの作品集」だった、という感覚に近い。
「ジャンルが違った」という例であって、決して相田みつをさんの作品をdisっているわけではない相田みつをさんの作品はとても素晴らしいものだと思っています。)

作者の為人|《ひととなり》について

何冊か読んだ中で、菜根譚の書かれた時代背景と、著者の洪自誠について書かれた本があったので紹介します。

作者の洪自誠が生きたのは、明の時代の万暦(という元号。1573年~1619年※ネットでは1620年までと表記されているものが多かった)。

恥ずかしながら日本史に明るくないため、驚いたのは1573年は室町時代の終わりで、1619年にはすでに江戸時代に入っているということ。
これも今さらですが、安土桃山時代ってたった30年ほどの時代だったんですね…。

話を戻すと、万暦(万歴年間ともいう)については下記のような記述がありました。

(前略)高度に完成された支配体制によって、社会全体ががんじがらめにしばられ、新しいエネルギーの行き場が失われた閉塞の時代でもあった。

洪自誠 著 ほか『菜根譚』,徳間書店,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2935761

菜根譚の内容を読むと、「どこかで官僚として働いていて、派閥争い的なものがあるのを見ながら、老後は隠居して余生を過ごした」そんな人間だったのだろうな、と勝手に想像したのですが、同じ本には下記の記述がありました。

洪自誠の生きた明末の世は、 (中略)知識人がその識見、才能を社会のなかで生かす道は、煩雑できびしい試験制度を通じて官僚に登用され、支配体制の内部で活動するよりほかにはなくなっていた。
しかも(中略)、体制内部の腐朽が進むにつれて、派閥抗争は激化の一途をたどり、どす黒い陰謀が渦を巻いていた。
訳者の想像では、有名な万暦年間の党争(中略)によって、洪自誠もまた深い傷を負って官を辞したのではないかと思われる。

洪自誠 著 ほか『菜根譚』,徳間書店,1965. 国立国会図書館デジタルコレクショション P21-22
https://dl.ndl.go.jp/pid/2935761

中国においては、知識人、官僚とは同時に地主階級であり、特別に出世やぜいたくを望まず、「足るを知り、分に安んじ」 ていさえすれば、悠々自適の生活が許されるだけの物質的基盤を有していた。(中略)
洪自誠もおそらくはこのような階層に属していたであろうことは、『菜根譚』における民衆への態度を見れば容易に想像されるところである。 (中略)
本書中、民衆について語っている項目がきわめて少ないだけでなく、たまたま民衆についてふれれば、(中略)羨望のことばばかりである。
洪自誠にとって民衆とは、いわば山水画のなかの点景のような存在であり、かれ自身はまったく別の世界の住人だったとしか思われない

洪自誠 著 ほか『菜根譚』,徳間書店,1965. 国立国会図書館デジタルコレクショション P22-23
https://dl.ndl.go.jp/pid/2935761

これらの考察を読んでみて改めて考えると、菜根譚がしっくりこなかった理由がわかる。

この本は「持つもの」が書いた本だからだ。

「持つもの」の理想は、「持たざるもの」の理想とは限らない

「持つもの」が書いた本だと理解して読むと、すべての言葉の解像度が何段階も上がってくる。

一例を挙げると、

「人は名位の楽しみたるを知りて、名なく位なきの楽しみの最も真たるを知らず。 人は寒の憂いたるを知りてえず寒えぎるの憂いのさらに甚だしきたるを知らず。 」
(人は地位や名誉を得ることが幸福だと思い込み、名声や地位がないことこそが最上の幸福である、ということを知らない。
人は貧しさによる飢えや寒さを最大の不幸だと思い込み、飢えもせず、凍えもしない富貴の人こそが最も深刻に悩んでいることを知らない。)

という一説がある。

これは「持たざるもの」からすれば、「飢えも凍えもしない人間が最も深刻に悩んでいるとか、ケンカ売ってんの?」となるし、正直、貧しい人の前でこんなことを言えば「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」状態である。

かといって、「持つもの」の苦悩が理解できないわけではない

「地位と名誉を得ることが幸福だ」という世界に生きていたからこそ、地位も名誉も関係ない世界のすばらしさを感じるのだろうし、

「金持ちはいいよな、何不自由ない生活ができてさ」という言葉に、「俺だって苦労はあるんだよ、って言いたいけど、嫌味にしか聞こえないし、理解してもらえないだろうな」という孤独を感じることはあっただろう。

だからこういった言葉を書きためて、気持ちを紛らわしたんだろうな。と思います。

一応、彼をフォローすると、

「富貴の地に処しては、貧賤の痛騰を知らんことを要し、少壮の時に当たっては、すべからく衰老の辛酸を念うべし。」
(財産や地位に恵まれているときにこそ、貧しく地位の低い人の苦しみを理解しなさい。若く元気なときにこそ、老い衰えたときの辛さを考えなさい。)

という一節もあり、決して「持たざるもの」のことを理解していなかったわけではないと思います。

ですが、「持たざるもの」の自分には、「持つもの」の苦しみを想像することしかできない
同じように彼にも、「持たざるもの」の苦しみは、想像することしかできなかったのだろう、と思います。

「持つ権利がありそれを手放せるもの」と、「持つ権利が最初からないもの」の間には、どうしようもなく大きな隔たりがあるわけですから。

あとがき

ネットでの評価を見ても、非常に高いものが多い「菜根譚」。
それが深くは刺さらなかったので、なんでだろうと悩んだのですが、
自分なりの理由が見つかったので非常に勉強になりました。

「持つもの」は彼の書いた内容に十分に共感できるでしょうし、「持たざるもの」であっても、彼の人物像と彼の生きた時代背景を知れば、彼の書いた内容を十分に理解できます。

日本語訳の書籍は菜根譚の内容を抜粋して紹介しているものが多いため、あまり載っていませんが、菜根譚の中には「春よりも秋のほうが良い(超意訳)」みたいな「それってあなたの感想ですよね????」的な内容もあったりして。
中国の一役人の随筆だと思って読めば、結構面白いです。

あと、冒頭で紹介した『絵解き菜根譚』は日本語が美しいのでおススメです。ちなみに菜根譚の内容を抜粋した本なので、「春よりも秋のほうが良い(超意訳)」の一節はありません。

次こそ君主論を読むぞー。
(まとめるかは…未定です。)

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