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選ばなかった道を思い出したときに。

1年経たずテレワークオフィスの解約を試みて解約通知書を送ったが一切音沙汰がない。ゆーりです。

書きたいネタはたくさんあるのですが、なかなかスムーズに進まず記事にできないので、noteの企画記事でも書くか。というわけで、テーマは「#大切にしている教え」。


もし、一度だけ人生をやりなおせるとしたら、どこに戻って、何をやり直す?
という問いに対し、自分はだいたい『やり直したくはない』と答えている。

「後悔していることはないのか?」という問いには、
胸を張って、とまではいかないけれど、一呼吸おいて「うん、そうだね」と返事できるくらいには後悔がない。

ただ、ひとつだけ。
自分の人生にとって、間違いなく大きな分岐が、ひとつだけあった。

その時、別の選択をしていたら、間違いなくWeb制作会社では働いていないし、ソムリエの資格を取ることも、個人事業主になることもなかった。
もしかしたら、こんなふうに文章は書いているかもしれないけれど。

つらいとき、その分岐点をよく思い出した。
あの時、別の選択をしていたら、自分は今頃、幸せに暮らしていたんだろうか』と。


その時にいつも自分は、『別の選択をした自分も、同じように自分を思い出している』と思うようにしています。

この感覚は、当時のスクウェアからリリースされたゲーム『クロノ・クロス』に大きく影響を受けています。

主人公がとあるきっかけで並行世界に飛ばされる。その世界では、幼い頃、既に自分は死んでいた。
自分のことを知らない、見知った顔の人たち。
そこからまあ、自分の生きた世界と死んだ世界を行き来しながら、普通のRPG同様世界を救うというストーリー。

昔から「果てしない物語」や「十二国記」などは読んでいて、もともとファンタジー脳ではあったのですが、SFジャンルには一切手を出していなかったため、「並行世界」という概念が、当時の自分にはとても新鮮でした。

そこから、人生の中にいくつも分岐があって、その分岐のたびに、世界は分かれていく。自分はその分岐のうちのひとつを生きているだけにすぎないその時選ばなかった分岐は、別の自分が生きているのだと思うようになりました。

そして、自分が選ばなかった分岐を生きている自分も、自分と同じように、迷い、苦しみ、悩んで、別の選択をした自分を思い出しているのだと。

だから、つらく、苦しくて、この道を選んでよかったのか迷う時は、必ずそれを思い出します。


別の選択をしたあなたわたしも、きっと夢みているはずだから。
もし自分が、あの時、別の道を選んでいたら、自分の人生はどうなっていたんだろうと。

そう。
人生は所詮、ないものねだりなんだ。

でも。

私には、あなたわたしがいるから。
私が選べなかった未来を、あなたわたしが生きているから。

だから、私は精一杯生きよう。
あなたわたしが選べなかった、未来を。

忘れなくていい。
思い出したっていい。
でも、その未来はあなたわたしだけのもの。

あなたわたしに誇れるように、私も生きよう、と。

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