【個】個として考えすぎ

 良い増田を読んだ。

 内容がどうこうじゃなく、議論の発端として。

 ブクマ(記事などに対して100文字以内でコメントを付けられる)しようと思ったけど、100文字で収まりそうになかったので、こちらで書いておる。

 100文字で書き切ろうとすれば、

 個として考えれば(それが人権っちゃ人権なんだろうけど)、あちらを立てればこちらが立たずっていう、難しい問題。個人的には、余命が長い世代のメリットが多い方向で進んで欲しいんだけど、難しいんだろな

 という感じか。計測してないので、100文字で収まっているかどうかは知らない。(ツイッターの140文字とは度々せめぎ合ってるので、それでいえば±20~30文字ぐらいにはなってそうだとは思うが)

 

 さて。さて、である。
 極論を言えば、生殖能力を失った生物に生きる意味も意義もない。哺乳類などは子育てという期間がある&複数回生殖することが普通なので、その辺のボーダーがゆるゆるになっている。
 加えて、平均寿命が短かった時代の人類は、死ぬ直前まで、誰にも負担をかけず、さらには人の役に立つという人が多かったのではないだろうか。
 二世帯、三世帯家族であれば、ボケたり、寝たきりになるまでは、子守という役目が存在している。(三世帯で複合、どこかの世代の姉妹兄弟が同居となれば、常に家庭に赤子から中学生ぐらいまでの子供が居るだろう。特に、中学生とか、守る必要がないが、一応大人の目をつけていたい年代が最後にきて、老婆、老爺とセットでなんとなくおさまりがいい。守る:まもるではなく、もる)

 核家族化が進み、それもあってか、(それもあってというのは、子守しないので脳も体も動かさず)健康状態から遠ざかり、なおかつ医療の発達やらクソ倫理観とかやらで人以下になりつつも余命を永らえる状態の老人が増えてきた。医療費は圧迫される。介護とかが”良い”仕事であれば、それはひとつの社会福祉だったり、富の再分配だったりでいいんだが、どうやらそうではない。(実際に介護職に就く、就いた人間を何人も知ってる)

 個や集団でいえば、昔は、というか自然界では、群れという、集団でありつつも、シビアでドライなものがあって、そのシステムは見習うべきものが多い。
 生殖能力(未来も含めて、種の繁栄への寄与の有無)や、食料調達、外敵への対応、つまりは生きるために必要だから、群れに存在できている。
 一部の強い(対環境だったり)種族は、それでも老人(老何?)を囲う余裕はあるのであろうが、そんなもんは一部だ。余裕があるからやってる。

 人間は余裕があるか、ないかでいえば、ある。圧倒的にある。先進国では。それ以外では、子供の命すら軽んじられて、そこにcareが回らないのが実情ではあるが。

 先進国の、なんの生産性も持たない老人と、軽き命として、産まれては散っていくことの多い、発展途上国の赤子。どちらに価値があるのだろう。それを言っても詮無いことだろうが。

 インフレ傾向にあると、貯金が意味を持たない。持たなくない? 1000万円貯めても、老後にその価値が1/3とか下手しい1/10とかになったらねえ。
 ってわけで、年金とか、システムが考えられたわけだが。破綻するとかしないとか。
 よくよく考えたら、老後の貯金は自分でしろ。インフレ傾向にあったら利息も付くし、デフレ傾向とか、現状維持だったら、貯めた額≧思ってた金額だから問題なくない? って方向にすべき。
 んで、不慮の事故とか大病とかそういうのは保険で。保険は入れない、貯金もできない。じゃあ、その後の人生は、人類の負担になるから、生きるのやめようか。って、不謹慎とか冷酷とかかもしれないけど真理だと思う。
 みんなが苦労して、不幸せで、70億人いきるのと、みんながそこそこ幸せで、30億人生きてくのだったらどっちがいいか? って話で。

 前者だっていう人が居たら、話し合ってみたい。多分ちゃんとした人も居るとおもうけど、ほとんどってか、99%ぐらいは馬鹿とか頭お花畑とか、それ以外でいろいろやらかしてる幸せもんだと思う。で、いまこの日本って国には、そこまでの幸せもんは数えるほどしかいない。まあ、千手観音さんで指折って数えられるか、100人体制になるかは知らないけど。

 群として考えたら、人口の10%とか減って、それがほぼほぼ老人だったとして、ダメージ少ないよ。下手すりゃメリットのほうがでかいまである。悲しみとか抜きにして。

 個は大事かもしれないけど、先天的とか後天的とかに関わらず、突発的に障害とか背負った人が、平均余命(ここでいう余命は、寿命ではなく、その人の存在が全人類にとってプラスになるかどうかというボーダー。ドライだけど)まで生きる権利は保証されるべきかもしれない(それすら譲歩)けど、その後は、余裕がある種族(国家とか地域とか)だけでいいんじゃないのかなぁ。
 それこそ、年金制度廃止して、じいちゃんばあちゃん、老いた父や母を長生きさせたかったら、自分の稼ぎでなんとかしろって方向とかで。
 そしたら、親は怖いから多めに子供作るでしょ。(5人も産めば一人ぐらいは老後に経済的なりその他なりの面倒見てくれる可能性)
 少子化対策にもなるし、その道を選ばなかったてことは、そこ(人として終わるというか、お荷物になる時点)で人生終わっても諦めつくのになあ。

 下手に余裕が出来てきたから、
 個>群れ、で考えてるけど、未来ある幼い命が軽んじられてる状態と共存してるという歪さ。いや、うちの国とよその国では事情が違う、とかいうのって結局、どこかの群れに所属してるスタンスだし、それなら、たまたま良い群れに当たった、群れガチャのリセットいらなかった勢ってだけの幸運で。
 個を重視しろとか言いながら、全人類を個々で見ずに、都合のいい群れの中での個を主張する。

 あと何十年ぐらい? このまま人類は馬鹿なんだろうか。


 共感なんて得られないだろうけど、個々で権利を主張するなら、まずは、過半数の国民(そのグループに所属している個、だいぶと妥協したけど7割とか8割以上が妥当な数字だとも思う)が、そこそこ以上に幸せだと感じられる状況を作ったうえで、余剰で残りの人間の面倒みるっていうのが本来であると思う。過去の実績とかそんなの抜きで。逆に過去に実績あれば、個人の資産で老後も安泰だろうし。
 んで、同じチップをベットするなら、今後成長の見込み(や、人類への貢献)のない老人よりも、可能性に満ち溢れた若い世代にベットしたいよね。ってだけなんだけどね。
 どっちを切り捨てるべきか? って考えたら、
 二択にして、過去に頑張ってくれた老人(とか)のほうを大事にすべきだって人は、色々頭おかしいと思う。悪い意味で。

 極論だって騒ぐ馬鹿も多いだろうけど、究極の選択をしたうえで、救えるもの、手を差し伸べられるところには手を差し伸べるってほうが、安定しない? 戦術か戦略として。
 繰り返していうけど、まだ人類全体見たら、生きるのもギリギリってか無理って層や地域がいっぱいなんだよ。そこ無視してないと、ほぼほぼ無条件で老人を敬え~、なんていえないと思うんだけどな。

 まあ、若者育てたら色々都合が悪いようなお年寄りが牛耳ってる国なのかもね。ほとんど。んで、政治やるよりよっぽど楽しくて儲かる商売がいっぱいある(才能ある人にとっては)。歪だ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?