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帰国してからの激変

(前回のブログ)


写真は2013年5月NY

指の関節の腫れは、機内での浮腫が続いてるのかな?と思いつつ、痛みより楽しさが上回り、自分のカラダの内側で大きな変化が起きているなんて気づかなかった旅。そして、この日から4年後一人でまたこのNYを訪れ約1ヵ月滞在する事になるのです

初診からしばらく経って、症状が悪化、紹介状を持って訪れた総合病院で正式に"SLE:全身性エリテマトーデス"の診断が下されました。この時は腹をくくり、病気を受け入れる心構えはできたつもり。でも、この後に起きる様々な症状、副作用でカラダもココロもアップダウンを繰り返す経験から、予防医療の重要性や健康の定義を深く理解する事になるのでした。

定期的な受診では、採血から診察まで3時間以上が平均。待ち合い室ではいつも患者が溢れていました。新しい病院の先生は、とても穏やかで優しい先生。この数年後、転院した病院でこの先生に再会する事となり、この当時は研修医だった事を後に知る事になります。

血液検査の結果から、まずは少量のステロイド治療(プレドニン5mg)で様子を見ながら治療がスタート。しかし、診察を2回ほど受けた後に容態が急変。

ある晩、猛烈な痛みと全身に力が入らず、意識が朦朧とし、救急車を呼ぶか何度も悩み、一晩中もがき苦しみ朝方まで何とか耐えたのです。何が辛くて何が苦しいのかも分からない状態。

明け方、携帯電話を持つ力さえギリギリの状態で妹にSOSのメール。そこから救急外来に行ったまでの記憶は所々しか思い出すことはできません。随分酷く顔が腫れ上がり目は虚ろ、妹は『あの顔を一生忘れない』という状況だったのだとか。

SLEの原因ははっきり分かっておらず、遺伝素因に環境要因が加わり、複合的な要因で発症する自己免疫疾患と考える。と記載してあります。

私には明らかに"環境要因"と、"複合的な要因"が重なった心当たりがはっきりとありました。発症の数年前、不眠、自律神経失調症、思わしくない身体の状態のまま無理に過ごした経験が大きく関係したんだと確信。誰よりも自分がその事に気づき、完治が難しい病気という現実を突きつけられた時から、自分の身体への想いや葛藤が始まりました

この悪化してからの療養期間、入院か自宅療養か選ぶ事になり、炎症につながる為、禁止されていた運動でも[Yoga]に通う為自宅療養を選択したのです

続く

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