学校に行きたくないあなたへ

この国の教育の現状は利権のための「人質教育」です。
子供の「未来」を人質に教育関係者の利権を守る構造になっています。

まず校則という不条理かつ理不尽なルールが数多く存在し、それらに従うことが良いとされています。

服装については制服にとどまらず、下着の色まで指定し検査をする。
髪形については先天的な髪色までも否定し、規則通りに染色させる。

その他にもなぜ成立したのか不明な法律や条例を無視した校則もあり、従わねばなりません。
従わない場合は懲罰を与えるという明らかな人権侵害が行われています。

学習においても文字の書き順や計算の順序など無意味なことを指定して従わせる。
そして教師にどれだけ従ったかが評価の対象となる。
従わない場合は評価を下げ、将来の進学や就職に大きなマイナスの影響を与える。

芸術やスポーツは本来は学力とは無関係であり、紹介や体験をさせればよいものです。
しかしその科目の教員の権威低下を防ぐため、利権を守るために評価の対象としています。

教師の権威を守るための推薦入学制度です。
昨今、推薦入学の枠が増加しているのは利権を維持しようとしているあらわれです。

教える人間と評価する人間が同じであり、教え方に問題があるかどうかの第三者による検証はありません。
教師個人の嗜好や感情にも左右されることがある非常に不安定で合理性を欠く評価制度です。

そもそも人を年齢で区分するべきではありません。その能力によって区分されるべきで、能力に合った教育を与えることが平等な扱いだと感じます。

人は「情報処理能力×経験」で成長していきます。
人により1つの経験から得られる情報量が大きく違います。
さらにそれを関連付けして蓄積していくことを考慮すると年齢により能力レベルが判断できるとは考えられません。

入学試験についても限られた回数のみ、場合によっては年に1回の学力試験で判断するということも問題です。
先天的な能力は大きく変動するものではありません。

記憶に関しても外部情報へのアクセスが容易となった現在では記憶の量のみが重要なのではありません。
必要となった情報へのアクセス能力として蓄積された情報の質と量がより重要です。

テストは頻繁に継続して行い、そのテストは学力考査ではなく「学力」「芸術」「運動」などの様々な分野の先天的な才能とその達成度を計り続けていく適正検査であるべきです。

義務教育というのであれば「数学レベル9」を満たしたら終了という指標にすればよいだけです。
レベル5の授業には数学な得意な6歳と苦手な15歳が両方いればよいと思います。
科目ごとに得意不得意の違う様々な年齢の子供が一緒に学ぶのが自然なことです。

早い段階からその子供の才能を最大限に伸ばすことができ、逆に限界がある分野については諦めることも可能です。
「知能は努力によって際限なく向上する」という誤った認識のため「努力不足」と不当に評価されることがなくなります。

知能向上の見込みがないにもかかわらず塾や家庭教師などに通わせるという無駄な経済的負担もなくなります。
芸術やスポーツについても同様で、どれだけ練習し努力しても才能がなければ無意味であり本人の努力不足ではありません。

塾や習い事を本人の意思に反しで通わせること、さらに上達しないのは努力不足というのは虐待です。

可能な限り早い段階からその人の才能を見極め、最大限成長させることが出来る社会。
「成しうるものが為すべきを為す」ことでお互いに補完し合う社会が理想です。

逆に義務教育のレベルを理解習得できない人もいるのは仕方がないことです。
知的障害とは判定されない「境界知能」の人たちについては理解習得が出来ていないにもかかわらず義務教育を終了したとみなされています。

社会では努力不足な一般人として扱われ、当然仕事に支障がある場合も多いため生活に行き詰まってしまいます。
しかし障害ではないため「努力不足」と判断され支援や救済がされません。
現在このような人たちの受け皿は少年院や刑務所、そして風俗産業となっています。

人それぞれの能力の限界を正しく判定し適切な扱いをするシステムがないためです。
能力の限界のため、搾取や詐欺の被害にあわないよう一定の契約には第三者の助言や判断を必須にするべきだと思います。

多くの子供を画一的に、合理的に処理していた時代の制度が現在も続いています。
「なぜ変えないのか」は教育利権を守るためです。わずかでも変更すると利権を失う恐れがあるためです。

教育利権を守るためにあらゆる問題は隠蔽されてきました。

いじめについては同級生からだけではなく、教師から被害を受ける例も多数あります。
体罰や明らかな判断ミスによる事故。死者が出ても一向に改善されず、繰り返されています。

身内や組織の保護を優先し、問題どころか犯罪を犯した教師でさえ守られ再任されています。
採用は世襲が優先されてきました。以前より改善されてきてはいますが一家全員が代々教員なども珍しくありませんでした。
体制維持が最優先であり、身分は世襲。従わない者には懲罰を与える。
これは「101号室」で拷問・洗脳する独裁体制の国家と同じです。

特にこの国においては周辺にある独裁体制の国家と思想を同じくする者たちに教育が支配されています。
ある意味、周辺にある独裁体制の国家の出先機関であり一部であるとも言えます。

周辺にある独裁体制の国家に有利になるような偏向教育や自虐的な歴史観を植え付けています。

周辺にある独裁体制の国家にとって不利となるような研究、特に軍事研究については学術団体により妨害され中止させられた例もあります。

そのような強固な利権体制も最近は衰退の傾向が見られます。
教育利権の源泉たる子供の供給が減少したためです。

存続が危ぶまれる学校は推薦でスポーツの有力選手を集め、知名度を上げる必要があります。
結果、スポーツ選手による独裁体制に支配された大学もありました。

スポーツや音楽が学業やものづくりより上と感じられるような偏った報道も多くなりました。
もっと一人一人に合った技術を身に着けることが重要で、ジャンルにに上下はないはずです。

定員割れを起こしている大学を存続させるのも利権を守るためです。
官僚の再就職先にもなっているため必ず予算が確保されます。

子供に対しては利権のために奨学金という名目で借金をさせて、利益が見込まれない投資をさせて大学を維持しています。

定員割れの大学だから学校名で差別されているのではありません。
自ら教育利権に加担しているにもかかわらず、それを理解していない愚者だから差別されるのです。
借金までしているのであればなおさらです。進学する意味がないにとどまらず、害にしかなりません。

教員は子供の将来のためではなく教育利権守るため、仲間のために進学を進めているにすぎません。
無駄な教育費にお金が使われているから豊かになれないのです。

このような定員割れの大学が地元に存在するのは恥ずべきことです。
留学生を連れてきてでも存続させるのは国民の利益よりも教育利権を優先させていることになります。

定員割れの大学を廃止し、その予算を別の大学や有望な研究、学業を志す優秀な子供に配分するべきです。

リモートで授業を行っても全く理解には問題ないのに学校に来させるのは教育利権のためだけではありません。

邪魔である子供を預けたい親の要望でもあります。子供の将来が人質にされていることもあり、自分の仕事などを優先するため多少の理不尽や犠牲を許容したという事情もあります。
自分の子供以外であれば誰が犠牲となってもかまわないからです。それがさらに教育利権を増長させてきました。

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