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Heart Education

私は幼少期の記憶がほとんどない。

写真も、数える程しかなく、思い出すきっかけも少ない。

何で私の写真ないんだろうとは思ったが、聞いたことはない。

私は、激しく殴られたりはないし、食事も与えられていた。

だけれど、小さい頃から、虚しさ、空虚感を感じていたのだと思う。

私の家には、両親とは、とても似合わないような、難しい、高尚な本がたくさんあった。

兄たちが読んだ本だ。

兄たちみたいになりたかった。

だけれど、兄たちが、優しかったかと言ったら、真逆であった。

長兄は、私に無関心であったし、次兄は、とても暴力的だった。

次兄は、父親と喧嘩が多く、私は彼の憂さ晴らしの的になっていた。

それでも、兄たちに憧れていた。

人間関係は苦しさしかなかった。

自分の人生は『?』ばかりだった。

いろんなものに手を出しては、違う、違う、これも違う。

その繰り返し。

どれだけの違うを繰り返しても、私が、自分を認めることはなかった。

乳がんになって、物理的に本当に死を意識しなきゃいけなくなっても、それでも私の中には、『癒す』が、本心としてあったか?

なかった。

この苦しさから、逃れたかったから。

それでも今ここにいられるのは、自分への愛が機能していたからだと、今は分かる。

アクティブ瞑想に出会い、キネシオロジーに出会った。

だけれど、目の前の現実が、なかなか変わらず、何度も自暴自棄になった。

でも死ねなかった。

たくさんの時間、私の話を聴いてくれてセッションしてくれたセラピストたちが、ストッパーになってくれた。

セラピストたちには、感謝しかない。

そして私は、自分が複雑性PTSD だったことを知り、やっと『?』が解けてきている。

キネシオロジーは、自分の存在という土台を作ってくれたのだが、私に理解を深まらせてくれた場所がある。

『Heart Education center 』は、トラウマへの理解が、とても深い。

この場所に出会ったことで、一気に、今までの知識への理解が深まった。

リンクを貼っておきます。

『Heart Education Center』

https://hearteducationcenter.jp/










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