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山城跡と桜
「藤江氏魚楽園」の敷地の中には、江戸時代の山城跡があります。
そこは、雪舟庭園よりも山を少し登った位置にあります。
桜の木が多く、枝垂れ桜、ソメイヨシノがとても綺麗な場所です。4月の初旬から中旬までに満開になり、幻想的な景色を見せてくれます。
今年は雨も多く、寒い日も続いていたので、開花が遅れるのではないかと思っていましたが、3月末からの暖かさで一気に花が開きました。
駐車場からも綺麗に見える桜景色ですが、意外とお客様は桜がある事など知らない方が多く、今の時期来られるお客様は「ウソ!ここ穴場だ~!!」と言われて喜ばれます。
さて、この山城は戦国時代の頃に秋月藩から「寛房」という方を迎えて、「魚楽園」の周辺地域を守っていた城だそうです。
寛房氏を迎えて、開祖と致しましてから苗字が「藤井」から「藤江」と変わりました。
藤江という苗字、家紋(丸に二引き)から藤原氏の流れ?
と言われるのですが、実際は1185年の壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人とされています。
当家に伝わる古文書には「故あって名前も家紋も代える事となった・・・。」等と書かれている事からやはり、魚楽園まで逃げてきた祖先は素性を隠すために変えたのでしょう。
そのような事で、寛房氏は戦国時代から江戸時代(寛永年間)将軍でいうと徳川家光の頃まで魚楽園の地に養子と迎えられ、この地を守ってきた先祖となります。
山城跡を見ても、今では石垣で使われたであろう石の残骸や、一部石垣らしい物が残るのみで分かりづらいと思います。
今はそこに先代である父の慰霊碑が据えられています。
30年前に建てられて慰霊碑の周りに母が桜を植えたのが、今では大きくなり、お客様の目を喜ばせてくれています。
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この写真の真ん中に石が見えていますが、この石はかつて石垣に使われていた物でかなり大きいのです。
そして、この石が私の特等席です。
春の満開の桜をいつもこの石の上で眺めます。
鶯、ひばり、ヒヨドリ、メジロ等多くの鳥たちのさえずりを聞きながら過ごす桜の時期は格別です。
また、この時期、朝早い時間の散歩のお供はいつも、三毛猫のハナちゃんです。
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過ぎてゆく桜の時期は短く、最後は特等石から先代と色んな事を話し、雪の様に舞う花びらを観賞しながらこの時期は過ぎていきます。
国指定名勝庭園「藤江氏魚楽園」|魚楽園 (gyorakuen.jp)
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