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置かれた場所で咲きなさい

こんにちは。
マネージャーの高野です。

第一回目の記事で書かせていただいた
「置かれた場所でベストを尽くすこと」こちらは私のモットーの一つですが、このことを強く意識したきっかけがあります。
一つはこちらの本、


そしてこの本と出会う前、それを強く自分に根付かせたきっかけがあります。それは息子とのエピソード。

たとえ選択肢は誰かが用意してくれていたとしても今ここに立つ自分は日々の自分が選んだ結果の上に成り立っている。そんなことを意識するようになったきっかけをくれました。今回はそのことについて書きたいと思います。



「人生は選択の連続でできている」by シェークスピア(諸説あり)
あまりにも有名なこの言葉。一度や二度は耳にしたことがあるのではと思います。
小さいものから大きいものまで、人は無意識に選択を繰り返している。
一説によると人は毎日無意識に35,000回ほどの選択をしてるそうです。
今この瞬間も皆さんは選択しているでしょう。

「このnoteを読む or 読まない」

(ぜひ読んでね。そしてスキしてねw)


Not Happy マタニティーライフ

私には今年8歳になる息子がいます。元気もりもりなプチ反抗期なお年頃。
そんな息子の妊娠・出産は波乱万丈でした。

妊娠発覚時ルンルンで近所のクリニックへ行ったら子宮外妊娠かも?!と診断されお腹が破裂して大量出血する疑いがあり大学病院へ緊急搬送。
どうやら私は稀に見る珍しい子宮の形だったらしい。
妊娠継続可能ということでしたが稀な体質の妊婦だった為、その後は大学病院にお世話になることになりました。

のちに退院。。。

時が経って、妊娠8ヶ月。
赤ちゃんの成長が芳しくないので明日から入院してください。
とお医者様から言われ、また入院涙。

28年間健康優良児だった私はこんなに病院にかかるのは生まれて初めてで(お母さん健康に生んでくれてありがとう!)入院前日の夜不安しかなく久しぶりにワンワン泣きました。

そんな入院前日の夜、不思議な夢を見ました。
それは今でも鮮明に覚えていて、なぜかそのことが自分に根拠のない自信を与えてくれました。
目がくりくりした赤ちゃんが金色の光に包まれながら小さく縮こまり、でも目はすごく真剣な表情で空洞の筒を頭から進んでいく様子の夢。

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イメージはこんな感じ。

なんでかこの夢を見て、絶対に無事に出産できる。と確信したのでした。
今思えばそれは息子から大丈夫だよの合図だったのか?ただの不安から来る何かだったのか。。。
二ヶ月に及ぶ入院生活の中で、その夢を思い出しては「大丈夫」と自分に言い聞かせていました。


いざご対面!

長すぎた妊婦生活も無事赤ちゃんが規定の大きさまで成長し、いざ出産!!!


「うんぎゃ~~~~~」

「おめでとうございます!」

ドラマで見るようなこのシーン。


ちょ~~〜〜痛い出産を乗りこえ、頑張った~。感動のカンガルーケアーとか始まる感じ?
とか思っていたら、周りがばたつき始める。
代わるがわる入ってくる緊迫した先生達。
「おめでとうございます」から数分後、


息子の心臓病発覚(今は手術を乗りこえ元気もりもりです)


出産数分後には母子別々の病院へ。。。

「お父さん。赤ちゃんを別の病院に緊急搬送します。一緒についてきてくれますね」(とか言われてた気がする。)

何枚もの書類にサインをし、先生に連れられ旦那はどこかに行ってしまいました。
分娩室に一人残されポツーンだった私。
何が起きてるのか理解できぬまま、助産師さんがやってきました。


「お母さん。出産直後で大変だけどよく聞いてね。赤ちゃんね、心臓に異常が見つかって今危険な状態なの。うちの病院では助けてあげられないから今から別の病院に運ぶよ。」


真っ青な顔で保育器の中で沢山の管を繋がれ運ばれる息子。
その横に慌ただしく付き添う旦那と先生方。
それを車椅子に座ったままただただ見送る母。
結局息子には一度も触れられぬまま息子は風のように運ばれていきました。。。
出産直後のボロボロな体で意識朦朧の中、無力さだけを抱え急遽用意された大部屋を一人で使う(助産師さんなりの配慮だったらしい)というなんとも孤独な状態で、私を心配し真夜中に駆けつけてくれるという母と妹の到着をただひたすら待ったのでした。。。


生まれた時から別々の道

生後一週間での心臓手術。

不安で泣きそうな私にドラマに出てきそうな麻酔科の金髪のおばちゃんが
「大丈夫よ。私失敗しないから」(リアル米倉さん!!!)
と励ましてくれました。


無数の管が手術の前に一旦外され、初めて息子の顔をきちんとみることができました。
あまりに小さくカリカリな息子。
その時、申し訳ない。。。なんて自分は無力なんだ。。。という思いと同時に、

「わたしの赤ちゃんって思ってたけど、結局は生まれてから死ぬまで高野太郎(仮名)は高野太郎。太郎は自分のレールの上を歩いていくんだな」

とすっと何か自分の中で落ちるものがありました。なんとも不思議な感覚。

5時間に及ぶ手術を乗り越え無事に生還!!

スモモほどしかない心臓を神の手が救ってくれたのでした。
頑張った息子、支えて下さった先生方、家族には本当に感謝です!!!!!

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胎内記憶

よくある話。
子供が突然話すとか話さないとか、、、

息子は4歳になるかならないかのとき、一緒にお風呂に入っていた時に突然話だしました。
彼が1歳になったとき、一番初めに話した言葉はアパマーン(アンパンマンのこと)。その言葉を発したことをきっかけに喋る喋る。昔から割と饒舌な子供でした。
なのでその記憶を語る時もすごくしっかり喋ってくれました。


「空からね、ママとお父さんみてね、楽しそうだったからここにきたの」

「僕はね、最初これくらいの大きさで(親指と人差し指で小さな丸を作って豆みたいのを見せてきた)だんだん大きくなったの」

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空の上では赤ちゃんが沢山並んでいて、一人一人にどこに行きたい?と神様的な人が尋ね、赤ちゃんたちは自分が行きたいところを指差すらしい。

お~~~。
すごいじゃん息子。
今この話を改めて聞くと本人全く覚えてませんが、その当時親バカ炸裂な私はえらく感動したのでした。

そうか~、君は私たちを選んでここに今いるんだね。


息子の選択

息子の胎内記憶話が正しければ、彼は自分でここ(私たちのところ)に来ると選択してやってきました。

もしその時彼が日本のように医療が発達していない国の夫婦を選んでいたら、助からなかったかもしれない。
もしその時彼が町医者から大学病院へ緊急搬送される母を選ばなければ、大学病院での処置を受けられず手術までもたなかったかもしれない。(のちに大学病院の先生から言われた)


そう思うと、彼は生まれる前からめちゃすごい選択をさらっとやってのけたことになります。
彼自身、神様?から無数の選択肢を与えられ自分でここに行く(立つ)と決めてやってきたわけで、そこからすでに彼の人生は始まっていて、それは誰の責任でもなく自分自身の決めた道を生まれる前から歩き始めていたことになります。


そんな息子の妊娠・出産の一連を経験し、自分と彼は全く別物なんだと意識し始めた時から、自分が母親として彼にできることは何か、、、と考えるようになりました。

その答えの一つとして導き出したのが自分の生き方全てを彼に見せること。
でした。
めちゃかっこよく言いましたが笑、そんなかっこいいものではなくてダメなところも、いいところも全部見せる。母も同じ人と言うことを見せていくということです。


ちょっと話はそれて、、、
昔私は親は完璧だと思っていた節があり、大人になれば何でもできるようになる。と思っていた子供でした。だからこそ、大人がつまづいている様子に幾度となく戸惑い、完璧ではない親に苛立ちを見せることもありました(自分勝手すぎる)。
そんな完璧主義気質な自分を変えてくれたのも息子です。(育児は自分がダメな部分ばかり見えまくるため、、)

話は戻り、

彼が高野太郎の人生を歩んでいくために微力な母ができることは、
「私が選択した道で時に挫折しながらも前に進む自分の姿を見せ続けること」
これがが唯一できることと思ったのでした。

生協の冷凍オムライスは多用するし(めちゃうまですこれ!オススメ!)ママの好きなご飯は?と息子に尋ねれば「白いごはん!!」と即答されてしまう出来損ない母ですけどね笑


選択の連続。失敗か成功か??

朝起きて温かいお茶を飲むのか、冷たいお水を飲むのか。
いや、起きる前からこのスヌーズ機能をあと一回で止めるのか、あと三回は粘るのか。
人は起きてから寝るまでずっと選択し続けています。
時に大きな人生の決断を迫られたり、これは失敗だったって思うこともあります。
明らかに失敗な選択をそこから学んだこともあると自分を納得させてみたり、思いも寄らない幸運な結果を招いたり、面白いですよね。

だからこそ、自分が選択して立つことができているこの場所を大切に、常にベストを尽くしたいなと思うのでした。


息子が今後何億回いやそれ以上?の選択を繰り返し、その選択を実行したい!と思った時、少しでも何かを与えられるよう、私は自分の選択に誇りを持ち、きたる時の為に表参道へ出稼ぎへ行くのです。



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