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「トラベルミステリー」って何だろう問題 3

前回はこちら

来ました。とうとうカッパ・ノベルス版『寝台特急殺人事件』が届きました。ちなみにカッパ・ノベルス版は旧版なので、どうしてもそちらが欲しい人以外はカッパ・ブックスから新版が出ていますので、そちらをお勧めします。

前回に「西村京太郎『寝台特急殺人事件』のあらすじで「トラベル・ミステリー」という言葉が初めて使われたという定説がある」という内容におののき、慌ててカッパ・ノベルス版を購入したところで終わってましたが、やっと続きを書けます。

まずは奥付。「1978年10月30日 初版1刷発行 1992年3月1日 64刷発行」とあります。とりあえずあらすじを改稿してある訳ではないと思います。

ブルートレイン(寝台特急列車)の人気の秘密を探るため、週刊誌記者の青木は東京駅16時45分下り<はやぶさ>に乗りこむ。1号車の個室寝台で彼は隣室の”薄茶のコートの女”を取材し、彼女をモデルに写真を撮るが、そのフィルムを何者かに抜きとられてしまう。闇夜を西進する社内でふと眠りからさめた青木は、車内の異状に気づくが後頭部を殴打されて気を失う。翌日、東京の多摩川に、”薄茶のコートの女”の水死体が浮かんだ。彼女はいつ、どうやって多摩川まで運ばれたのか? 犯人とその目的は? 好調の著者が書き下ろしたトラベル・ミステリーの決定版!

西村京太郎『寝台特急殺人事件』あらすじより

そして今回入手した古本には運よく折込チラシが入っていました。1992年3月の重版時のものだと思います。ジャンル別に作られたチラシです。西村京太郎作品のコーナーがありますが、面白いことに気付きました。
「”トラベル・ミステリー”シリーズ」と「”十津川警部”シリーズ」は別扱いになっています。「”トラベル・ミステリー”シリーズ」に含まれているのは以下の全30作です。

寝台特急殺人事件
夜間急行殺人事件
終着駅殺人事件
夜行列車殺人事件
北帰行殺人事件
蜜月列車殺人事件
日本一周「旅号」殺人事件
東北新幹線殺人事件
下り特急「富士」殺人事件
雷鳥九号殺人事件
超特急「つばめ号」殺人事件
高原鉄道殺人事件
北能登殺人事件
寝台特急「日本海」殺人事件
最果てのブルートレイン
特急「あずさ」殺人事件
山陰路殺人事件
日本海からの殺意の風
特急「おおぞら」殺人事件
特急「北斗1号」殺人事件
山手線五・八キロの証言
寝台特急「北斗星」殺人事件
寝台特急「あさかぜ1号」殺人事件
ひかり62号の殺意
「C62ニセコ」殺人事件
十津川警部の決断
宗谷本線殺人事件
パリ発殺人列車
特急「あさしお3号」殺人事件
紀勢本線殺人事件

とりあえず全ての本のあらすじ、もしくはウィキペディアを見た限りでは「十津川警部と無関係な作品」は一冊もないようです。どう分けているのかは現時点では解りませんが、今回は『少女トラベルミステリ』のためのチェックなので割愛します。

まず、この本は書き下ろしなので、雑誌連載時に使っていたキャッチフレーズを使っている訳ではないと思います。
既にどこかで使われたことがある可能性を考えて、国会図書館オンラインで検索したデータを確認すると、一番古いのが雑誌1981年9月初版『宝石』の目次です。

強力連載発車!トラベル・ミステリー 京都情死行

1981年9月『宝石』

この時点で雑誌『宝石』の刊行は光文社です。ちなみに『京都情死行』は後に『京都感情旅行殺人事件』として刊行されているようです。

『寝台特急殺人事件』刊行は1978年10月、『宝石』該当号の刊行は1981年9月、どちらも光文社なので、多分この『トラベル・ミステリー』というキャッチフレーズを考えたのは光文社の編集さんなのではないかなと思います。

その後も1982年4月初版『蜜月列車殺人事件』にも『トラベル・ミステリー傑作集』とあります。

そして1982年4月17日『春の名作推理第2弾!西村京太郎のトラベルミステリー 北帰行殺人事件』が放映です。

他にも1982年8月『小説新潮(1981年には『首相暗殺計画』が掲載されたこともある)』に『友よ、松江で』を連載開始した時『テーマ別 現代推理小説特集 友よ、松江で トラベル ミステリー』と見出しが出ています。

『友よ、松江で』は短編集『展望車殺人事件』で読むことができます。

特筆すべき点として、この見出しに初めて『トラベルミステリー』という表記が出てきます。ドラマと同じく中黒がありません。「あんまり関係ないやろ」と思うでしょうが、地味に引っかかる部分です。

何故かと言いますと、このタイミングにはまだ他の作家さんの記事、作品のキャッチフレーズでは『トラベル・ミステリー』表記だからです。

1982年には8月発行の雑誌『太陽(平凡社)』で小池滋先生が『トラベル・ミステリーの愉しみ』という本の紹介記事を書いています。紹介されているのはアガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』『青列車の謎』『パディントン発4時50分』、小林信彦『<降りられんと急行>の殺人(『神野推理氏の華麗な冒険』収録)』『ブルー・トレイン綺譚(『超人探偵』収録)』、西村京太郎『あずさ3号殺人事件』『寝台特急殺人事件』『終着駅殺人事件』『夜行列車殺人事件』、鮎川哲也『ペトロフ事件』『黒いトランク』『砂の城』、松本清張『点と線』、斎藤栄『日本列島SL殺人事件』です。やはり西村京太郎作品がかなり多いです。

その後、割とほどなく他社でも『トラベル・ミステリー』という用語が使われ始めます。斎藤栄『東北新幹線殺人旅行』が1982年10月、辻真先『火の国死の国殺しを歌う』が1982年12月。どちらも徳間書店です。
斎藤栄先生、辻真先先生は後にもトラベルミステリの著作が多くあります。

多分この1982年時にはもう「トラベル・ミステリー」という単語は一定のジャンルを示すものとして使われていただろうと思います。(『トラベル・ミステリーの愉しみ』でもジャンルとしての扱われ方でした)まだ『トラベルミステリー』という表記には西村京太郎先生のカラーがついた表記だったのではないかと推測しています。

1983年6月発行の『オール讀物』で『佐渡に展開するトラベル・ミステリー』というテーマで何人かの作家さんが小説を書いている時にも中黒は当然のように入っています。

そう思う根拠としては、時期は多少遅れますが1984年9月西村京太郎『オホーツク殺人ルート』のキャッチフレーズが「新トラベルミステリー」となっていて、他では1985年12月刊行文藝春秋『オール讀物』に、宮脇俊三先生と辻真先先生の対談『「合理化」で苦労してますトラベルミステリー』が、単行本ではそこから少し下って1986年9月に井口民樹『さいはて特急おおぞら殺人事件』が刊行されるまで、西村京太郎作品以外での『トラベルミステリー』表記はないからです。

そして1989年1月『西村京太郎トラベルミステリー 愛と死の飯田線(テレビ朝日・朝日放送/土曜ワイド劇場)』が放映された後、一気に『トラベルミステリー』表記が増えます。

ちなみに西村京太郎先生の本が全て『トラベルミステリー』表記になったという訳でもなく、出版社によって中黒がついたり抜けたりしています。

とりあえずトラベルミステリーの言葉がどう定着していったかは摑めてきました。

1978年10月書き下ろし単行本『寝台特急殺人事件』に初めて使用される。
1981年9月、雑誌『宝石』の『京都情死行』見出しにも使用。
1982年4月、『蜜月列車殺人事件』に使用。
1982年4月17日、『春の名作推理第2弾!西村京太郎のトラベルミステリー 北帰行殺人事件』が放映。
1982年8月、『小説新潮』掲載『友よ、松江で』で見出しに使用。(出版物では初の中黒なし。「トラベルミステリー」表記。)
1982年8月、雑誌『太陽』に小池滋『トラベル・ミステリーの愉しみ』掲載。
1982年10月、斎藤栄『東北新幹線殺人旅行』、辻真先『火の国死の国殺しを歌う』に「長編トラベル・ミステリー」のキャッチフレーズ使用。
1986年9月、井口民樹『さいはて特急おおぞら殺人事件』に『トラベルミステリー』表記のキャッチフレーズ使用。
1989年1月、『西村京太郎トラベルミステリー 愛と死の飯田線』放映。
ここから一気にトラベルミステリー表記が増える。

こんな感じの流れだと思います。

この問題は大体解決したものとして、次は別のことを書いていこうと思います。

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